健全な自己顕示欲はいかほど?

04/28/2008 にアップした文章です。

 

どうして生命体は、自分を実在よりも大きく見せたいのか?過少評価を自分に下すよりは、健全なのか?それとも・・・。と考えていると、けっこう迷いが生じることかもしれません。本日、ニュースを見ていたら、秋葉原で、路上撮影会なるものが、大昔のタケノコ族のようなイベントになっており、しかも下着を露出させていたことから、逮捕となったということで、「うーん・・・」と唸ったから、考えてみた次第です。コスプレ(これが、Costume Playの略だということに気づいたのは、最初にこの文字を見てから3週間も後のことだった。アメリカに居たので、誰も知らず、出張者を捉まえて聞き出したのであった・爆)は、性的嗜好だけではなく、もっと健全な範囲でも、多くの人々に愛好されているというのが、ニッポンの常識らしい。健全なのか?(爆)

 

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080425-352401.html

元ネタのニュース記事。

これによると、【自称】アイドルらしい(爆)。自称してしまうということが、すでに危ない気がするんだけれども、どうなのだろうか?都の迷惑条例防止違反だということなのですが、他の都市ではどうなんでしょうか?確かに、真昼間の秋葉原には子どもも居るのだろうし、それを不快だと思う人々も山ほどいるのだろうし、迷惑っちゃー迷惑ですなぁ・・・。私は、若い女の子の下着は、見たくもないです。

 

自己顕示:自分の存在を目立たせ、他人の注意をひくこと。また、自分を実際以上に見せかけること。

 

コスプレをもう少し学習色を帯びさせて考えていくと、生物の由来から始まります。生命体の第一の欲(Needs)は、生き延びることに根ざしており、「睡眠欲・性欲・食欲」で、第二に当たるのが、「安全の保証確保」になります。この2つめが、「自分を実際以上に見せかけること」の動機になります。

 

弱肉強食の自然界の中では、食う者の側になるのか、食われる者の側になるのかが、日々繰り返し行われていますが、食う者と固定観念が持たれている動物の行動の中には、この「自分を実際以上に見せかける」が思ったよりもずっと多く見られます。怒ったり、闘志を燃やしたりするために、唸る・咆える行動に口腔を大きく開けて見せ付ける行為がありますが、あれも「自分を実際以上に見せかけること」の一環です。

 

ヒトも同じようなことをしてきましたが、日本の歴史の中でそれが取り入れられたのが、甲冑などの武具をつける戦場に向かう武士軍団で、そもそもは踊りなどの化粧や衣装からヒントをもらって、色を派手にしたり、柄を発展させていったり、大きさを増やしていったりしたのですね。戦場で、「恐れる自分よりも、恐れられる自分になりたい」という、二元論のどちらに廻るか?という知恵の発達です。

 

というわけで、私はこの自己顕示欲というものを、全否定できないでいますが、「いかほど?」というところが引っ掛るんだよなぁ・・・・。

 

ヒト社会の多くで、未だに目にはなかなか見え難い闘いが残っているにしろ、敵意などがないところで、コスチュームで自分を実在以上に大きく見せるというのは、なんだか虚しくはないのか?原寸大から一回りか二回りくらいの大きさで、充分気が済んだほうが健全ではないのか?などと、思うのは歳を食っているからなのか?いやいや、私はディスコ通い(昔は、クラブじゃなくて、ディスコだったんだよ・・・汗)もしなかったし、衣装と呼べる範囲にジャンプするほどのファッションも身につけたことがないし(せいぜい、バイト先の制服くらいだよねぇ・・・)、バイクに乗っても実用性だけを追求していたと思うなぁ・・・。

 

タケノコ族が流行っていた頃も、なぜあんなふうに世間に自分の存在をアピールせねばならぬのか?と、非情に醒めていたような気がする。むしろ、誰かに見られるよりは、放置しておいてもらいたいと願っていた日々である。誰かに見られてしまうと、貧乏であることが露出したり、まだまだ頭が空っぽなことが露出してしまうではないか!と、たいへんビクビクしていたような記憶あり。サーファーが流行って、ブルーのアイシャドウが主流だったときにも、私のブルーシャドウはなかなか減っていかず、茶系ばかりが減ったよね・・・(汗)。

 

しかも、私はアニメを見るやつでもなく、時間が許す限りバイトをしていたので、アニメ系のコスチュームをかわいいだとかかっこいいだとか、思う時間すらなかったというのがゲンジツ。映画も、アメリカに渡るまでは、20本以下しか見たこともなく・・・。アメリカのコスプレ代表の、Star WarsやStar Trekなど、渡米してから知ったくらいで(笑)。Halloweenのコスプレも、私自身は一度もしたことがなかったのです。見て楽しんではいたけれどもねぇ。

 

私は、今の自分を少しだけでも進化させることに夢中になっており、それが貧乏からの脱出だと信じ込んでおり、何ステップも上のかっこよさなど、追い求めているゆとりがなかったようです←結論(爆)。

 

性的嗜好で看護婦さんが好きだとか、セーラー服がたまらないなど、見て満足するのであれば、なんとなく気持ちはわからないでもありません。私も、消防士さんを見ると、胸がときめきます(爆)。でも、あれらはゲンジツの中でのユニフォームであり、コスチュームと呼ばれるようなものからはマイルドな位置にあると思うのだなぁ。しかも、こっちの満足は、見て受け手側に立って得るもので、発信する側ではないですし。発信したことにより、受け手を刺激して、その反応を待ち望むというのは知的作業要素が入るよなぁ。うん、高度なのか、それともそうでもないのか・・・。

 

私は、英語を教えているだけで、発信したあと、受け手の反応を待つというのには慣れています。期待通りの答えが得られたときには、ちとびっくりうれしいというのはあるので、きっとそれに近いのかなぁ・・・。でも、この場合の主役は、あくまで英語の法則だとか成り立ちだとか実在であって、私には何の関係もないし(爆)。

 

ガンダムやらStar Warsの主人公や、被り物やその他の「他人に変身すること」で、何が得られるのか?と考えると、自分ではない人間になってみたい願望というのがあると思うのですが、自分ではない他人になるのは、日々やっていませんかい?『共感能力』というのを使って、「もしも私がこの人だったらどうするだろうか?」というやつ・・・。それじゃ、あまりにドラマがなくってダメなのかなぁ・・・。もっと過激で、非日常的な変身をしないと、どうしても気がすまないのかしら?

 

私はむしろ、自分ではないものになるなどというのは、怖くてたまりません。どんなふうに振舞えばいいのかわからず、もしも、秘密クラブなどに連れて行かれて仮面などをつけられたら、と思うと、背中にびっしょり汗をかいてしまいます(笑)。匿名で何かをやることを潔しと思っていないので、そうした自分ではない自分に対して、憧れも願望もなく、自分として一回りか二回りの変身をすることで、日々満足しています。しかも、それを顕示する必要など、カケラも感じられない・・・。顕示してしまったあと、誰かに見張られてしまったほうが怖い(爆)。

 

いかほどが健全なのか?私は、あまりに顕示しないほうが安心に偏っているので、あまり参考になりませんでしたね・・・。近所のお祭りなどで、かっこいい法被姿などを見せる若衆や、習い事の発表会や、出世を左右するプレゼンなどで、どうしても我慢できませんかねぇ・・・。数万もかけて、オリジナリティが濃いのか真似っこなのかわからないコスプレで、得られるものが何なのか、その恍惚状態をぜひぜひ語って聞かせていただければ、私も今後の参考にさせていただきます。

 

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