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傭兵心

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09/02/2007 にアップした文章です。

 

ビジネスマンマインドたちと雇われて働く生命賭けをする人々との共通点を、今日は考えてみたいと思います。なぜならば、ここのところ津本陽を読んでおり、時代小説でも、鉄砲伝来以来ものを書いている人々はかなり少ないことに気づき、私にとっての新しさゆえに、時代が変わっても、新しい分野への興味→技術取得→分野の確立への貢献度など、あるんだななぁ、といろいろと考えさせられることに気づいてしまったのです。メシの種としてやることには、いろいろな極端があり、安定した時代には受け容れられがたいものがかなりありますが、自分で自分の口を養っているのだから、他人にとやかくは言われたくないことでしょう。しかも、昨今、私は自分が立花隆氏テキなところがあると、西さんに「コレ読んでみて」と手渡された本を読んで思っているところなのです。

<津本陽情報>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%9C%AC%E9%99%BD
でも、私が読んだ鉄砲伝来の情報がここにはない・・・。改題しているのだった・・・。

http://www.m-network.com/sengoku/kisyu/teppou.html
これが、鉄砲伝来について。
それを汎用化して軍隊を作った人々について>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E7%AE%97%E9%95%B7

ついでなので、立花隆情報。西さんいわく、雑多な興味が、私が彼に似ているらしい(笑)。でも私は、政治は語らないと思うんだがなぁ・・・。おそらく、科学とその限界や、文化人類学や宗教学関連のことを言っているのかと思われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86

雇われて生命を賭ける、というので、すぐに思い出すのが、ゴルゴ13である私は、あまりに短絡的なのだろうか?(笑)実は、私は【職業に貴賎なし】を強くつよく信じており、生命に関わることだといえども、ゴルゴ13や必殺仕事人は、いわゆる警察や処刑人など、公的に雇われている人たちと、どこでラインを引く問題なのか?と、かなりいっしょに見ているところがあります。私にはできません。が、否定もしませんし、尺度として高いだとか低いだとかいう観念もなし。技術や適性や倫理観などは、個々人が持つもので、私が関知する物事でもなく(政治家でもないですからね・・・)、評価しているわけです。しかも、技術的に凡庸なあたりにいる人間にはできることでもなく、心理的圧迫等の代償も大きいのだろうから、フリーランスの人々がそれなりの高報酬を得ていることについても、不思議と納得しています。

さて、津田監物率いる根来衆の鉄砲部隊は、種子島への鉄砲伝来以降、急速に発達し、高額な雇い主は今の和歌山までいそいそと依頼に来たものらしい。

おもしろいことに、津田監物が根来衆という僧兵軍団を形成してのち、すぐに近隣で同じような集団が起きる。それが雑賀衆(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%B3%80%E8%A1%86)。最後には、大勢力となった織田-豊臣の豊臣が徳川と組んでいた時代に倒されてしまうわけですが、それについては、津田監物は見ずに没しています。

そもそも僧の住むお寺に、どうして殺人軍団、しかもお金で雇われた人々が集うようになったのか、不思議ではないでしょうか?すぐに推論がつく人はすごいんですが、宗教と殺人・戦争の関連性はどんな世界にも、いつの時代にもあり、今もテロリスト-国際情勢安定派という形で続いています。どちらにしても、世界観を集団単位で「こちらが正しい」としていることに変わりはなく、むしろ、「他人のすることや信じる物事」を放置していられないパワーマニアックたちに、問題があるかもしれないぞ、という見方をすることもできます。結局のところ、人は数で勝負することを最初に着目し、その後に質を充実させるのが手っ取り早いことになっているのでしょう。

傭兵たちは、その仕組みに早くから気づき、その外で、第三者として、お金を目的にし、自分の才能や技術を切り売りしていたわけです。食べていくために必要だったのか?血が湧き立つことを求めていたからなのか?パワーマニアックの形を変えたものだったのか?それにはいろいろな要素がありますが、彼ら自身は、パワーゲームの表舞台には決して立つことはなく、知っている人だけが知っている存在でした。

なんだか、私にはそれはかっこいいことのように思えてしまうのである・・・(爆)。

特に、鉄砲伝来から鉄砲衆の組織化やその訓練については、ものすごいスピードで、まだ技術がそれほどに達していなかった鉄砲を、玉によって工夫をしたり、組織化して人的努力で補助したり、と、まぁ、あくなき努力はすごいものです。玉を作るときに、筋を入れることにより撃って飛んでいく最中に砕けさせるなど、すでに散弾銃の概念が取り入れられていました。さらに、技術はものすごく、命中率が限りなく100%に近い存在を次々生み出していける研修制度というのは、一体どこから来ていたのか?

これを読んでいると、どうして日本人は英語ができないのか、まったく理解しがたくなってくるわけですよ・・・。そんな末裔たちは、ロボット産業やIT産業などで、めざましい技術の進歩に貢献しているのですが、どうして英語はダメなのかなぁ、と(笑)。もちろん、日本語と英語の質の違いを比べてみても、意識せず学習しなければ、当然の結果ではあるのだけれども、新しく来た鉄砲というものに関して、これほど短い時間で、これほど効果的に、その数百年後には、世界中の兵器の革新技術も提供できたというのに、なぜに?と。

傭兵たちは、死ぬということに関しても、たいへんな達観を持っていたようで、おいしい酒を飲めて、おいしい肴があって、気に入った女性が抱けて、技術が伸びれば、他に何も求めていなかったようです。死を恐れない人々は強い。勝つということに強くこだわっておらず、引かねばならぬ窮地を読むのも正確で、合理性や効率を求める傾向も強い。

最近では、篠原涼子が主演した『ハケンの品格』などに、傭兵の長所がたくさん出ていたようですが(私は、ドラマは見ないことにしている。どうもスケジュールに振り回されるのがイヤなのだ。が、終わったあとに要素を拾うのはけっこう好きかもしれない)、仕事本位で、目的を完遂するという点で、お金で物事をきっちり引き受けて片付けるという考えは、私はかなり好きです。なので、自営やフリーランスに向いているのでしょう。そこに、感情が混ざると面倒なことになりがちだし、目も曇ることが多いので、どんなビジネスマンにも傭兵心はあったほうがいいような気がします。

生命を賭けることは、ビジネスマンでは稀ではありますが、それくらいの心意気でTaskに立ち向かう気持ちは必要かもしれません。ただし、お金に見合わなければ引き受けるこたぁないでしょうが・・・。私も、生命が賭けられるくらいの仕事に出逢うことが、この先あるんでしょうか?パイロットの仕事はある意味、日々命がけであったのですが、もうこの先、アレを仕事にすることはないでしょうし・・・。

ということで、ビジネスマン向けのセミナーに、津田監物の話を出すのはいいぞ、と少し思った次第です。何でも元は取ろうとする私の根性いかがです?(爆)