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全国学力テストの存在意義 その2

02/27/2008 にアップした文章です。

 

昨日は、私の態度や考え方全般を明言することで終始してしまい、実際の全国学力テストの存在意義そのものについて、触りだけで終わってしまいました。受験がそろそろ終わりそうですが、この学力テストの存在があると、ラクになる子どもたちがいるのかどうか?宇宙のような脳が内蔵されている子どもたちの能力を、咲かせるために何が有効なのか?という見地で考えていくと、やはり私は全国学力テストについては、国が義務化するようなシロモノではないと考えています。

 

国力やら人口増加やらいろいろな他の社会問題とのバランスや連携などを考える策士も多々いるのでしょうが、特に、全国学力テストを実施することにより、それがうまく行くという保証は見えてきませんが・・・。現状より右寄りにしても、世界的に孤立してしまってはまずいわけですし、左寄りにしすぎて日本そのものが消滅してもまずいわけで・・・。

 

第一に、いろいろな視点を総合して見てみることが要求されるのが、社会問題全般なのですが、私は強い中央集権制度というものの効果を評価していません。中央は「まとめる」というだけの行為をしてればいいと思っており、総合的に統合的にしかできない事柄に関して、スペシャリストをそろえることに徹し、その育成に奔走すればいいと考えています。地方分権が理想的なのではないか?と実感できるのは、東国原知事が人々からの支持を絶大に受けているのを見ても実感できます。まぁ、半分はマスコミ操作だったりもしますし、深く物事を考えていない人々も相当に多いということが言えるのではありますが、その深く考えない層が多かろうが、みんなが「よりよくなっているという成果を感じる」ことが大切なわけです。そのための、地方分権は、距離感の問題で、現実視の問題です。中央が画一化した考え方を提示しても、「やや即している」「まぁ言える」くらいの距離感でしかないものが、地方で個別化することにより、よりBull’s Eye(標的)に近づいてくるわけです。

 

歴史的に見ても、地方分権制を取っていた国や帝国や文明のほうが、長寿ではありますし、繁栄も実績として残っていたと言えます。もちろん、何にせよ例外はありますし、天災などがあって阻まれた例などもありますが。

 

日本はその点、国土が狭いという立地をフルに活かせるわけですよ。狭いがゆえに分割化することで、システム密度を上げられる。効果的な濃度が上げられる可能性を秘めているわけです。物理的に目が行き届く範囲を狭くできるんですから。使わない手はないと思うんだけどなぁ・・・。

 

そこで、全国学力テストを実施したとしても、「ただの参考資料」の域を超えるわけもないと考えるわけですね。参考資料はあったほうがいいとする意見には納得できますが、国が業者に丸抱えさせているような実施の仕方では意味がないでしょうよ・・・(汗)。しかも、サイトを見てもわかるように、実際的な改善には何も役立っておらず、莫大な予算を使って、何で業者をウハウハ言うくらいに利益を上げさせなければならぬのか?微妙なラインではありますが、これこそが公私の境目がグレーな癒着が起きる温床になってしまうのではないかと思うわけです。実際にベネッセコーポレーションはこれで、相当額を儲けているわけですよねぇ・・・。なのに、テストが返ってくるのが5ヵ月後ってどうなのだ?4月に受けても2学期頭ですよ、戻ってくるのは。個人レベルでの充分な反映材料にはなりません。だとしたら、やはり国vs 地域に子どもを材料として使っているとみなされても、大した言い訳は立たないことでしょう。しかも、全国学力テスト向けの教材を、販売している会社に、ベネッセは法律や契約書によって抜かされるべきですね。だって情報を豊富に持っているわけではないですか。独禁法に抵触しないのかよ、と思えてしまいます。でも、子会社その他を使って巧みに展開することは可能なのでしょう・・・。

 

http://www.nier.go.jp/homepage/kyoutsuu/tyousakekka/tyousakekka_point.pdf しかも理解しがたいのは、実施だけしておいて、どういう改善をどのようにやっていくのか?という主旨がこのページからもまったく見えません。どうして実施前に検討するという、ごくごく初歩的なことを明言できないのか、疑問すぎます。

 

競争主義を邁進するならやってみろよ、と言いたいところで。天才児&秀才児の優遇と同時に、平均を上げて行きたいというのが、目標らしい。それを国でやるのが難しいのであれば、地方分権でいいではないかと思うし、国家優遇体制をまず設けてみればよろし。実験的に、各国の飛び級をした子どもたちの追跡調査というのは、国家単位で取り組んでいますか?と問いたいところです。がこの程度です。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/goudou/dai4/siryou3.pdf 頭脳流出の最大防御となる教育システムは、まだまだ理想からは遠く離れているのですが、そんなにものすごい危機感が伝わらないのはなぜなのか?競争する場もドラマチックに与えられておらず、競争後の保障もしっかりしていないがゆえに、秀才や天才は外に出てしまうわけで、戻ってくるとは限らず、です。利根川博士だって生活の場は日本じゃない。アメリカです。競争やパワーゲームは、範囲を狭めればいくらでも有頂天になれますが、実質的な実力や評価が必ずしも比例してついてくるものではないですから、実力があればあるほど、日本だけに留まり、国力のために邁進してくれる人は少ないでしょう。

 

何にせよ、自由を束縛してどうすんだよっ!というのが私の意見で、どうして選択制を取り入れないのかも不思議なところです。柔軟性の欠如という点には、いくら学習を重ねても気づけない模様・・・。私立の高校などでは不参加のところは多いわけです。その脇で、世界史は必修で日本史が必修でないという不可思議さも残しているわけですよ。右寄りなのか左寄りなのか、さっぱりわからん・・・。だから、長年日本に居なかった私には、リソースが少なすぎてよくわからないことになってしまうのだわ・・・(汗)。

 

旺文社の全国模擬試験などがありますし、なぜ、国がらみで実施しなければいけないのか、理由がいまひとつよくわかりません。これでは、塾に行かねばならぬ子を増やすだけだし、不安感や将来への展望を暗くするだけのように思えるんだがなぁ・・・。親御さんたちとしては、自分の子どもがどの位置にいるのかを知りたいとは思うけれども、勇気を以って「国に左右されることではありません」とは言い切れない率のほうが高いでしょう。

 

英語にしても、いろいろなテストや資格がありますが、私は「ついてきた実力ののち、テストや資格を受けてみるほうが健全な姿ではあるが、目標として掲げる目安にはなるね」という程度にしています。もちろん、留学するのであれば、TOEFL,GMAT等は必要なので、逆になってしまうこともままあるんですが・・・。それを見ていて、やはりみんなそれなりの指標が欲しいのはよく理解できます。私も1990年にTOEFLを受けて以来、点数制のものを受けていなかったのですが、4月にTOEIC, 6月に英検を受けてみようと思っています。いやー、英語学校で無料で受けさせてくれるって言うから(爆)。ただそれだけのことなんですが・・・。満点は無理にしろ、適度な点数があったほうが英語学校としても利用価値があるからなのですね。私は、英検1級に受かれば、通訳士ガイドという試験も受けられる発展性があるので、「まぁ、いいか。受けてみるか」という感じです。

 

というわけで、存在意義については、私個人は、指標・参考資料という結論しか出ませんでした。どのようにこの資料を有効活用していくのか、見せてもらったらまた考え直してもいいですが、何年後くらいなんでしょうね・・・(汗)。アテにはしていないですが、できたら前に進んではもらいたい気持ちです。

 

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