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八犬伝と滝沢馬琴

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なつかしくなって、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を読もうと思ったのだけれども、それでは芸がないので、山田風太郎のものを手に取りました。実は、山田風太郎をこれまでなぜ避けていたのか、自分でもはっきりした理由がわからず、他に、彼の著作には何があったのかな、と調べ始める始末。わかった!大昔は、PCがなかったから、検索やリサーチがとても面倒くさいことであったのだ・・・。見てみて、傾向等が一覧風になっていることが少なく、それを自分で作成してまでもという情熱がなかったのだなぁ・・・。私にはまだ読んでいないクラシックの流れを汲む「無難な本のたぐい」がたくさんあったので、どうも老獪な部分が私を冒険させなかったと見える・・・。ふむ・・・。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%A2%A8%E5%A4%AA%E9%83%8E お約束の山田風太郎の解説。そうか、「戦中派天才老人」なのか・・・。あー、ここで気づくんだ、私は蛍光灯だなぁ・・・。忍法帖をたくさん書いていたから、彼を著作を図書館で手に取ることにしたんだ・・・。池波正太郎の『真田太平記』を読み終わり、最後は涙なみだでどうしようもなく、大成は読み進めてはいるものの、もう他には忍者が出てくるものはないかもしれないと、少し未練があったのかもしれない。

 

こちらが八犬伝の情報。私の年齢はバレバレなので、NHKで辻村ジュサブローの人形劇を、見たクチなのです。今びっくりしているのは、あの歌がまだ歌えること(爆)。しかも、あの歌が坂本九だったことは、いまさら思い出した・・・。ついでに『ひょっこりひょうたん島』なんかも歌っている場合だし(爆)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D 信じがたいのは、NHKがマスターテープを処理してしまっていること・・・。アゼンだよ・・・。何を考えているんだか・・・・(汗)。

 

さて、この物語は、水滸伝を基にした、南総里見八犬伝の滝沢馬琴に通暁していた山田風太郎が、滝沢馬琴の生涯についても書いているものです。私は、実は滝沢馬琴のことは、毛ほども知らなかった・・・。葛飾北斎や山東京伝や渡辺崋山といった人々との交わりや、その他、何ひとつ知らなかったのです。出自が、武家であったことも、次男だったせいで、食べるための道を模索したことも・・・。彼がいわゆる、精神病のなかの、潔癖症か人格障害に分類されるほどの「厳格・完全主義・吝嗇」だったことも知りませんでした。そして、江戸時代の人にしては長命で、74歳まで生きたことも・・・。

 

葛飾北斎については、取り上げるドキュメンタリーや歴史モノや出版物も多く、相当なことを知っていたはずですが、それに滝沢馬琴の挿絵を書いた程度以外のことは記憶にありません。彼も長命で(90歳まで生きたといわれている)、おそろしくエネルギッシュな人間でしたが、山田風太郎が描きたかった滝沢馬琴と黒白をつけるために登場したペーソスは、ひどく利いています。引越しマニアだったことや富嶽三十六景を描いたときには、もう60歳を超えていたことなど、一般的なことしか知りませんでしたが・・・。ついでなのでリンクを。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E 

 

この葛飾北斎のページにもあるように、滝沢馬琴ではなく、曲亭馬琴の名を使っている・・・。Wikiはそれだけしかなく、私は確かに日本史の教科書では、「滝沢馬琴」で習ったのだがなぁ・・・。本名と号ってことなのかしらね…。まだわかっていない私だし(爆)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E4%BA%AD%E9%A6%AC%E7%90%B4

 

この物語は、『虚の世界』と『実の世界』を交互にし、章編成をしているプロットです。上下2冊ですが、私は半日足らずで読み終えました。滝沢馬琴が、自分の構想を実際に綴る前に、イマジネーションを呼び起こすために、話を聞いてもらってから、まずは葛飾北斎にさらさらと2・3枚の絵を描いてもらう。足掛け28年もかかった大作なので、その聞かせる相手も変わり、最後には、滝沢馬琴が完全に両目を失明したものの、仕上げるというところまでを描いています。戦中派天才老人・エンターテイナーの山田風太郎も、なぜかこの『虚の世界』と『実の世界』では、男のロマンである仕事や夢を達成する「虚」と、家族や実利を大切にする「実」を取り上げています。あくまで中心は、滝沢馬琴であるものの、対照を織り成すための登場人物は少なく、その違いはたいへんにわかりやすくなっているので、エンターテイナーという冠がついているのでしょう。そういれば、私は未見なのですが、『魔界転生』なども相当に売れたんだろうなぁ・・・。ささやかではあるが重要な違いではなく、明らかに違うわけで、これならば誰にでもわかる、という筋なのです。

 

まぁ、八犬伝もそんな要素があるからこそ、あれだけ子ども受けして、NHKでも15分番組だったのに、視聴率は20%を超えていたのでしょうし・・・。怪奇物語はいつの世にあっても、その創造性において、人を惹きつけるものです。山田風太郎は、後半、八犬伝そのものを滝沢馬琴に語らせることが、どうも面倒になってきたように見える節があり、ざくざくとした要約に変わります。それは、滝沢馬琴の生涯にスポットを当てるために焦ったような感もあり、山田風太郎自身が、滝沢馬琴的な要素に悶絶していたのではないかと、想像できるようになります。そして、Wikiにあるように、山田風太郎と馬琴の相似性に繋がり、読書をしたあとの自分の洞察には、ちょっとうれしくもあるのです(爆)。

 

心理学的に分析すると、人は自分と似ている人やモノに対してたいへんに寛大です。でなければ、Self-Esteem(自己尊敬心)が低くなり、存在意義や存続しサバイバルする動機が低くなります。それは、この私とて同じことで、自分に似ている部分を持った人を理解するのは、さほどのエネルギーを使うこともなく、推測部分が少なくて済み、互いの価値を認め合うことも簡単ですから。ただし、それが価値基準を査定したときに正しい範囲なのかどうかは謎です。

 

逆に、180度違う人間に対しては、わかりやすいがために、害もそれほど及ばないために、彼岸ではなくまったくよその火事であるがゆえに、かなりの無責任さやいい加減さを伴います。それが現実とは違う『虚の世界』に対する寛大さなのですが、流行やエンターテイメントはこの部類でしょう。自分に似ているところを大いに持った人間が、わずかな差異を見せると、これほど寛大ではいられなくなるわけです。これが、「ささやかだけれども重要な違い」となっていくのです。

 

山田風太郎がここで言いたかったことは、滝沢馬琴と同様、彼は『完全懲悪』という形で世の中の『実の世界』を支えていきたいということだったのでしょう。他の著作をこれからぼちぼち読んでいこうと思っていますが、きっとそうなのだ・・・。この予測は当たるのか?(笑)どんなにがんばっても、何の罪咎(つみとが)もない人間が不幸になるという事態が起きることに、『虚の世界』でせめて、気持ちよく完結させることができることに、存在意義を見出していたのではないかと思うのです。

 

とにかく、滝沢馬琴の生涯というのは、華々しいものではなく、地味で質素で苦労ばかりで、不幸が多かった。それについて、あまりに自分に似ていたがために、山田風太郎はプロットを考えて、滝沢馬琴と八犬伝を後世にも残せたらと願ったに違いないのです。

 

ええ、ええ。エンターテインされた私は、ちゃんと最後に泣きそぼりましたね・・・。最後に滝沢馬琴を救ったのが、病弱な息子に嫁入りしてくれた無学な女性だったことにも(これは歴史的事実)、大きな感動を覚えました。そして、私が英語を教えるに当たっても、「コレは使えるじゃん・・・」という挿話にさせていただくことにしました。かな文字しか書けなかった30歳過ぎた女性が、滝沢馬琴風の日本語を駆使することができるようになって、物語は後世に残されたわけです。よかった・・・。

 

読書っていいわね♪