勇気が必要なとき

04/21/2008 にアップした文章です。

小さい頃から、勇気が必要なときに、自分の全体を試されている気持ちになるのではないかと思います。現在、新人研修の英語講師をしていて思うのは、ひとりが勇気を出して、ホワイトボードの前に進んで出れば、自然とみんなが連なるという、いい連鎖。こうした伝染病であれば、いくら感染ってもいいのになぁ(笑)。彼らとしてみれば、新しい人々に一気に何人も出遭って(新人だけで53人だったか、58人だったか。さらに、上司やら先輩などを入れればものすごい数になるはず)、私のような変なやつには遭うし、マナー教室の講師などまで来たということだから、すごいことになっているんだろうなぁ・・・。誰に何を言ったのか、果たして憶えているものやら・・・。

 

勇気:物事を恐れない強い心。いさましい意気。

恐れる:(1)危害が及ぶことを心配してびくびくする。危害を及ぼすような人や物と接することを避けたがる。こわがる。《恐・怖・懼》(2)良くないことが起きることを予想し、そうならなければよいが、と思う。危惧(きぐ)する。《恐・懼》(3)神仏などを、人為の及ばないものとして敬い、身をつつしむ。《恐・畏》(4)閉口する。恐れ入る。《恐》

 

わからないことをわからないとはっきり言える勇気があることを、22歳から24歳の彼らを見ていて、たいへんに頼もしく思います。もちろん、私もその雰囲気を作ることに、大いに貢献したと思いたいのですが、微力だったことでしょう。やはり彼らは、新しい環境に飛び込む前に、すでに大いに腹を括っており、それがただ体現されただけのことなのでしょうね。

 

今日はランチを社員食堂でいっしょに食べたのですが、私は彼らと同じメニューの普通盛りを残してしまうような体力だったのに、彼らは大盛りをペロリと私の半分くらいの時間で平らげた揚句、元気に、わからないモヤモヤの多い英語にトライしていたわけです。勇気があるなぁと思ったのは、今日ランチ開けにやってみた伝言ゲーム。英語のセンテンスを、最初は3語のみから始めたのですが(Time flies fast)、その後、イケる♪と思った私は、6題目には、21 Wordsにも延長したんですね。でも、誰も「できない」「イヤだ」とは言わなかった。楽しそうに、最後までチーム対抗戦でやり続けて、「よっしゃ!」「がんばるぞぉ!」と言いながら、眠いであろうおなかいっぱいの血液循環が悪くなった頭に鞭を打っていたわけです。彼らの吸収力には、目を瞠るものがあり、その柔軟性には脱帽でした。赤ちゃんのような英語の吸収力って何歳でもありえるんだろうな、と。

 

彼らはすでに最初のお給料をもらったのですが、たくさんの勇気が試されてきているのに、そこでもまた勇気が試され、「最初のお給料で何をいくらくらいかけて買うか?」という大難問にも、この週末遭遇していたわけです。私は、そんな記念になるお給料をもらったことはないのですが、きっと彼らのほとんどの人々は、その買い物を生涯忘れないのであろうと思います。ひとりは、3万2000円もするジャケットを買ったらしい。清水の舞台はものすごく高かったことでしょう。

 

私個人には、ここのところ、勇気が必要なときというのは、なかなかなく・・・。犯罪の芽に遭遇することもなく、倫理的違反もここのところ目にしておらず、せいぜい、優先席だけが空いているときに座っていいかどうか、迷うときでしょうか?←誰か優先される方が乗ってきたら立てばいいや、という軽い気持ちで座れるという、軽度の勇気だしなぁ・・・。

 

好きなことは言えている環境ばかりを整備しており、勇気が必要なときは本当に少ない。他人様に迷惑を掛けないように、と、あまり言い過ぎないようには心がけてはいますが、まだ、それほど嫌味なわけでもないらしい・・・。産業カウンセラーの実技講座のほうも、みんなといっしょにお昼を食べることもできているし、タバコ友だちもできているし、特に疎まれているような気分でもないです。

 

西さんからの今日のメールには、「ストレスというのは、体力的なものは、いくらでも回復できるけれども、人間関係のストレスはいつまでも打破できず、しこりのように蝕んでいくから」というような内容の、なんだか意味深なことが書いてありました。私には、人間関係でのストレスがあったときに、このエッセイに論理的に道筋を考えて書けていたし、自分の決断に対して今もどれを取っても後悔はないですし、人間関係は、無理が生じるであろうものには手を出さない勇気というのも持っており、誘惑が多くても大きくても、ダメだと予見できる人間関係には誘われないことになっています。

 

これも学習の賜物なのだろうなぁ・・・。

 

言論の自由も使わせていただいているし、人間関係が最も摩擦がないようなところにしか出入りせず、自分を追い込むのは、時間的な物理的なスケジュールだけで、有言実行もそれほど過酷なものでもなく・・・。誰かの前で、発表をする立場(=学生)に戻ったのですが、カウンセラーの講座なので、みんなもそれなりによく話すので、私ひとりが尖がることもなく、なんだか勇気があるのかないのか、わからない状態になっているわけです。

 

ところが、10人という大勢の中で、果敢にアタックする生徒さんである新入社員の面々を見ていると、なんだか清々しくてならぬのです。うーん、歳を食ったせいなのだろうか?私も、24歳のときには、ひとりで英語も話せないのに渡米して、よくも生き延びたものだと今は思うのですが、あのときは、本当にいろいろ毎日24時間、勇気が必要で、試されていたなぁとなつかしく思うのです。

 

うーん、タイトルを間違えたかなぁ・・・。まだまだやらねばならぬことがたくさん残っている人生体験と、今、やらねばならぬことは終わって、あとはやったほうがいいことを選び取りながら生きている人生体験をさらに積み重ねる日々とは、やはり勇気の質が違ってくるのは当たり前なのだろうけれども・・・。うーん、でも、どうも、なんだかうらやましい(爆)。私も、あの当時に、毎日英単語を3~50個新たに憶えていたように、毎日それまでの常識になかったことをいくつも学んでいたように、またそんなところに行きたいかもしれない、と、放浪癖の血が騒いでしまっているような・・・。歳食ったことに対しての悔しさなどはまったくないし、私は今の自分の歳がとても楽しいのですが、老いていくことに対してもまったく恐れなどはないのですが、あのワクワク感や勇気をえいっと発揮する場面というのは、まだこれからもたくさんあってもいいんじゃないかと・・・。

 

こういう気質だから、ずっと学校に行っていたいんでしょうけどねぇ・・・。だから、教える側だとしても学びの環境に居られて、なんだかとても毎日楽しいのでしょうけれどもねぇ・・・。

 

勇気が必要なときが、もっとたくさんあればいいのになぁと思いつつ、日本でデモ行進などがあれば、駆けつけたいと思いつつ、そんな調べ物すらしているゆとりがないことに気づくのではあった・・・。さて、寝る時間を確保しよ・・・(汗)。

 

 

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