動じない心

05/14/2008 にアップした文章です。

 

ここのところ、私がいかに少数派なのか?ということを自問自答しないで、何気なく流して生きているところだったのですが、すごい画像を見つけてしまいました。Mixiに載っていたので、けっこう見ている方々も多いのだろうと思うのですが、コレ>http://youtube.com/watch?v=AdF84FcHIJg 2分34秒の映像なのですが、本当にすごいなぁと思うのは、この近隣の方々はこのネコのテリトリーを理解しており、それを害さない。まったく気にしていない模様なわけです。これが彼らの日常風景なのでしょう・・・。しかし、電車が来ても、ヒトがわんさか通り過ぎても、機械の音にも動じずに寝続けるネコというのは、すごすぎます・・・。

 

我が家のネコたちは、掃除機の姿を見るだけで、心拍数を上げてしまうChicken(臆病者)です。音がし始めると、いっせいに走り出し、安全な場所を確保しようと努めます。16歳になった高齢のうどちゃんですら、必死の血相で「より安全な場所」へと走るのですから、かなり音には敏感なのかと・・・。私が思うに、彼らは高音にとても敏感で、連続的な高音がとても嫌いなのですね。と、自説が正しいのかどうかチェック。http://www.56nyan.com/joho/neko/neko_karada.htm#mimi うんうん、いいセン行ってる♪

 

ちなみにネコには赤が見えないことを知らず、赤いワンピースを自慢していたんですが(どうしてネコの前で・・・汗)、こんなふうに見えるのだよ、という画像があったのでぜひどうそ>赤は黄色く見えてしまうのか・・・。http://www.kao.co.jp/pet/cat/science/scat/scat01.html 

 

ネコの聴覚がどのくらいいいか?というと、我が家ではひとり1台車を持っていたのですが、ネコたちは西さんの車と私の車のエンジン音を聞き分けていました。私のときには、車が停止する前に出てくるのでたいへんに危なかったです。たいてい、外に出たついでに買い物を済ませてくるので、自分たちにもおみやげがあるものだと、なぜか強く信じていた傾向あり・・・。私が日ごろびっくりするのは、なぜか私が起きる時間がわかるらしい・・・。それはおそらく、私の呼吸音のせいだと思えるわけです。あるいは私の心拍数の変化がわかるのか?もちろん、カーテン越しであっても朝の太陽の光が入るので、それも関連しているとは思うのですが、深い眠りのときと、浅い眠りの呼吸音の違いがわかるらしいのですよね・・・。それに気づいたのは、母が昼寝をしているときに、母の部屋に入り込み、いろいろ探索をしていて、私が「ママに怒られるよっ!」と囁いても平然としていたり、彼女がTVを見ながら寝てしまうと平然と身体の上を踏んで通ることから(笑)。

 

余談ですが、我が家のネコは引き出しも開けてしまうので、けっこう賢いとは思います。が、こんなふうに「動じない心」は持っていないのだ・・・。常にビクビクしており、駅前の騒音や甲州街道の車の音は、慣れるまで相当つらかっただろうと思う・・・。

 

さて、動じない心ですが、その素になるのは何なのか?「変える必要がない」と信じる心だと思うわけです。これは自然の摂理である進化論に逆行した考え方なのですが、すべてのものが「変化しないわけはない」という大前提を無視した言い方なのですが、「すべてのものが変わりゆく中、これだけはこのままでいいのだ」と、強く強く信じている心が必要です。

 

あるいは、このネコの場合は、眠気なのか?(爆)

 

私が変えていく必要がないと思う事柄や考え方の中には、

ヒトは不完全なイキモノなので、生涯学ぶ姿勢が大切である;学ぶという行為そのものは変化をもたらすものですが、姿勢に関しては変える必要がないと思っているわけです。

他人がなんと言おうと、自分が信じたことは少数派であっても貫く;ただし、論理性が通っておらねばならず、答えがない社会科学的な論議に関しては、「余地」についても認めなければならぬよね。

大切なのはまず生命で、その次が健康;貧乏人の負け惜しみではなく、ある程度のお金があればいいし、生活必需品さえ持っていれば、健康さえあれば何でもできるという考えは、ちと譲れない。

他人に好かれずともけっこう。自分が自分を好きでいられることが最優先;他人のことを思いやれない自分については、自分がとてつもなく嫌うと思うので、媚びたり、自分を曲げたり、他人の意見にむやみに同調したりすることはどうしても避けたい。

 

書き始めるとキリがないのでこれくらいにしておきますが、これらのことには、どんな誘惑があっても折れない、動じない、強い心を持っていたいと思うのです。ただ、私がきっと折れるなぁ、動じるなぁと思うのは、飢餓は慣れているのですが、痛みにもけっこう強く、気絶するまで耐えられますが、眠れないということが続くこと。拷問で私を吐かせたかったら、眠らせない拷問がイチバン効きますね・・・。眠りたくてたまらず、すぐにゲロってしまうでしょう・・・。あとは、ネコを誘拐されたら、ちょっとどうしていいかわからないですねぇ・・・。

 

西さんと別居6年、オンーオフ別同居が2年、よく保ってるのねぇと、嫌味も含めて言われることがありますが、これにも動じませんね。西さんと私が、生涯親友であることは、もう変わることがありえない事実でしかないので、たとえ彼に恋愛が訪れたとしても、私が誰かを衝撃的な出会いで好きになったとしても、彼と永遠に別れることはありえないので、それでいいわけです。便宜上、税金やら会社設立やらいろいろで、戸籍は配偶者になっていますが、西さんも私もそれにすらあまりこだわっておらず、中金(大金だと、やっぱり税金対策などで、戸籍はいっしょのほうがいろいろ有利なんだろうと思う。DuPontとかそうだよね・・・)さえ掴めれば、別に離婚したっていいし、必要性が見つからないので今に至っているようなもので・・・。

 

子どもがいないことを指摘されるのにも慣れましたから、もう動じませんね。40歳過ぎてからはとてもラクになりました。30代の頃はとても心地悪かったのですが、この年齢になるとみな何も言わなくなってきます。子どもが持てなかったことで失った機会も多かったですが、持ったことで制約される自由や機会というのもあるので、それには恵まれたわけですし、特に大きな喪失感はありません。後悔もしていないですしね。子ども子どもしていない中学生や高校生に英語を教えていて強く感じるのは、西さんが常々言っていた通り、私には母親は向かないということ。子どもを子どもとして扱わないところが、どうしてもダメなんだろうなぁ・・・。

 

動じない心を持てるようになるまでには、いろいろな試行錯誤があったり、いろいろな場面に遭遇したり、いろいろな人々とやりとりをしたり、と、たくさんの時間も情熱も掛かると思うのです。このネコのように音にもヒトにも電車にも動じないのはすごいです。ちょっと見習いたいと思うくらいすごいです。このネコを「壊れたネコ」と一瞥することなく、ちょっと自分に取り入れて考えてみて、おまけに笑えたら、あなたにはゆとりがあるわけです。私は、自分にゆとりがあるなぁと思えて、ちょっとうれしかったです。

 

レッスンの時間はどんどん増えていき、おまけに知り合いがまた在宅の翻訳の仕事を紹介してくれることになりました。貧乏性なので、断るなんてことはなく、もちろん請け負います(笑)。校長センセは、「たまにはゆっくりなさいな」とおっしゃるかもしれませんが、私はこれにも動じない心を持った頑固モノのようです(汗)。

 

 

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