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千利休に学ぶ

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04/25/2007 にアップした文章です。

 

茶道をやっている方々には申し訳ないのですが、私はその粋も、侘びも寂びもわかっておらず、本質のところ・真髄・骨頂にどのくらい近づけるものか?と、『真田太平記』を読んで戸惑っているところです。これを理解したほうがいいのは、1.秀吉その人を知る 2.日本人の本質、ひいてはヒトの本質を知る 3.残ってきた価値がある茶道という文化の役割を知る という3つの側面が私にはあります。が、これらのことが、どうでもいい人もいるので、すでにここで、「どうして私はこんなことが知りたいのだろうか?」と苦笑いもしています。いやー、自分の好奇心の枠組みというのは、法則性があるので「好奇心のせいで死ぬ」というような事件に巻き込まれないことはわかっているのですが(たぶん・・・ほら、事故はあるからね・・・)、わからない方にはわからないままなのでしょう。

すべての物事は繋がっている-これは証明できることでしょうが、誰もそんなことはしておらず、分野内や哲学論として留まっています。けれども、これには普遍性があり、真実であることはあまり多くの人が否定しないでしょう。が、ゆえに、どんな瑣末な物事でも、理解に裏打ちされた情報は、私の命題である「なぜ生命体はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでゆくのか」というのを解くのに、なんらかの形で役立つことになり、やっぱり好奇心を向けていいことなのです。ただし・・・、誤情報や誤解釈はもってのほかです。ここには注意せねばなりません。

さて、基本情報(いつもWikiに頼るんだけれども・・・。バレてるよね?)をいくつか…。あとは、現在の茶道界も骨子だけは理解しておかねば…。よくサスペンスやミステリなんだかで、お家騒動のようなものが設定されているのだけれども、やっぱりそれくらいの伝統や意地やお金や名誉があることなんだろうねぇ←あくまで他人事なので、かなり冷めているし、私にはそれらはあまり意義がないようだ…。あ、でもね、私にもお金はかなり大事よ(爆)。ぱっぱと使ってしまうので、あまり信じてもらえないんだけれども・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91 千利休
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E9%81%93 茶道>歴史をよく見てみるといいかも
http://www.urasenke.or.jp/ ここが「茶道」検索で一番上に上がる流派。ここを詳しく読むと、千家流とはいえども、 本当に千利休を継承しているのか?と、素人の私などは思ってしまうのだ・・・。

茶の心というのを見てもらえればわかるのだけれども、これらが矛盾なく、千利休の概念と合致していることを見たあと、その後家督相続やら、師範になるのにいくら、生徒を何人集めたらどうこう、という制度が茶の心と合致しているのかどうか?というのが、私にはちと疑問なのかもしれない。それはまるで、十字軍などが(歴史的には宗教はパワーのひとつであり、いつ暴力や圧迫という形で人々に向けられるかは、枚挙に暇がないので)、神の名の下に人殺戮を続けたり、罰として処刑を行ったりしたことなどへの疑問と同じ。http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20242/wakei.html 
http://www.urasenke.or.jp/textb/spirit/spirit2.html 

当の千利休は、私は遭遇したことがなく、情報がどれくらい偏っているのか今となってはわからないのですが、私が全体的に捉えている千利休は、表裏一体の典型人であったと思うので、きれいごとをきれいごとで通した部分と、栄達のために汚いことをした部分との差がたいへんに激しく、それが後世に残ることを厭わなかった、あるいはもっと大胆に、意図的にしたのではないか?と思えるほどなのです。

武野紹鴎に支持し、茶の湯と邂逅してからの千利休は、商家の出であったにも関わらず、今でいう教養人・芸術家として身を立てる野心を燃やし、それが時代にマッチして、織田信長に引き立てられることになり、「手段を選ばず」としたのでしょう。信長と秀吉について、千利休は器の大きさの違いを見ていたので、途中で我慢しきれなくなったのではないか?と見る人は多いだろうと考えます。私もそれには一票なのです。信長のオリジナリティの上に胡坐を掻いたような秀吉に、千利休が我慢ならなかったのは、そもそも千利休が目指していたものが、質素で侘び寂びを追求するものだったのに、秀吉は信長の上をいく派手さをどんどんと開拓し、天井知らずの様相を見せました。そのへんの信長と秀吉の違いが、現代の私たちにはそれほどの実感がないのでしょうが、パトロンとなってもらっていた側にはあったのかもしれない・・・。「選べるはずもないだろう」と、私は一笑に付すつもりはないし、そうあってはいけないと思っているのです。パトロンの心意気と、それを受ける側の心意気は、恋愛の相思相愛と同様、相互の了解がなければ続かないものです。それが、織田信長と千利休のあいだにはあったのか?永遠にわかりません。信長は途中で斃れてしまいました。しかし、千利休は我慢ができず、信長にパトロンをしていてもらったときよりずっと放埓になりました。

芸術家・教養人でありながら、切腹をしたのですが、そこまでに至るまでの事件というのは、大徳寺山門である金毛閣の階上に勝手に雪駄を履いた利休像を設置したこと、また、茶器の鑑定に不正を働いたことなどが、その理由ではないかと云われています。ほかにも、娘を秀吉の側室に望まれて、無下に断ったことも挙げられますし、根本的に茶の湯への理解度の分かれ目で千利休が譲らなかったことや、もっと政治的に、豊臣秀長が反対した朝鮮出兵などのことについても絡まるのかもしれません。このへんの複雑な政治体制については、ここで語ると読む楽しみを奪ってしまうのでやめておきます>ダイジェストが知りたい方は、検索するとすぐ出ると思う・・・。←けっこう無責任(笑)。

でも、どんな事件が重なって積まれていったとしても、ふたりのお互いに対する人としての好き嫌いの変遷、その裏打ちされる理由というものから、逃げ出せなかったことは、動かせない事実のようだよね・・・。天下人は人々にその偉大さを示すために、自害を命じねばならなかったというのが、どうも切ない・・・。そして、それを知りつつ、切腹をしたというのも切ない。でもそれは、お互いの美徳や利点を使いあっての終末なので、切なくてもしょうがないのだ。

なので、私はこんな切羽詰った関係を、夫婦別れのときにも持ち出したりする(笑)。姿勢はいっしょじゃないとなぁ、と。逃げ出せたらば離婚なんだけれども、恋人同士でもお別れなんだけれども、生命が掛かっていないだけに、あんまり美しくはないと私がここで言うのも、ちょっと片方をえこひいきしすぎ?「破綻」は避けられないのかもしれないのですが、生命を賭けてまでも守り抜きたいと思ったもののために、誰かを裏切るというのは、まぁ、いいではないですか。別の人のために捨てるとかじゃ、あんまりお粗末かもしれないな、と。その守り抜きたいものが、ちゃんと現代まで茶道に残っているのかどうか?これは、みなさんひとりひとりの胸に聞いておきます。私は、茶道をしたことがないので、ドラマで適当に設定しているものを信じるわけにもいかず、ドキュメンタリー情報をどこかで入手するほどの情熱も、これに関してはないかも・・・。

というわけで、千利休に学ぶことは、栄達のために誰かを利用するならば、人として心底好きな人にしよう!でないと、長続きしないし・・・。どうせ人間も変わってゆくのだから、出発点から嫌いな人のお世話になるのはいかんだろうな・・・。でも、逆のケースで嫌いな人を好きになることを学ぶというのも、ままあるような気もするの。が、私はその性格ではないことは知っているのだ。致命的に嫌悪感を覚えたら、もうその川は越えることはできなくなってしまうのだった。

あとは、生命を賭けてまで守り抜きたいものをやっぱり探し続けていかねば・・・。持ってますか?