ブログ

同じ事象を違って捉える

カテゴリー:ブログ

03/27/2007 にアップした文章です。

 

歴史では、これは当然の事実で、社会科学を勉強していたり、歴史小説を読んだりする人たちや、市井の人々でも、深く理解して、その機微を生活に生かしていらっしゃる方々はたくさんいると思います。まるっきり同じものでも、角度を変えて見てみるとまったく違うものだと感じられたり、考えられたりすることで、それについての受け手側の反応も大いに変わっている例は、枚挙に暇がありません。どうしてなのか?ここを考えて、自分なりの(中途)結論が出せたならば、脳の大きく進化してきたヒトに生まれた醍醐味もあることになります。

もちろん答えはひとつではなく、いろいろな要因があることなので、正解などはありません。どこに重きを置くか、何がどのくらいの割合で決定的相違を醸しだす要因になっているのか、どのような決定的相違を醸しだす原因になっているのか、などを考えていくと、面倒ではありますが、解けたときには、自分の人生が格段に充実したものが送れる能力を持つことになるでしょう。

そんな意味でも、私は心理学を取ってよかったなぁと想うことが多いのです。雑音をすっかり取っ払った状態での実験や仮想空間などにより、答えをぐんぐんと引き出していく自然科学、数学や物理や工学などをやりすぎてそれを生活にも取り入れていると、面倒くさいことは、「一切省略」という傾向が生まれてきます。私がおつきあいしてきた人々の中にも、その傾向を強く持っている人たちはいましたから、褒め言葉としては「秀でた道に能力を持つ」と賞賛できるものの、どこかがかなり欠落している場合もままありました。ここが、私が考えるAll-rounded(すべてを眺め渡し、基本理解を網羅している)な人間、から遠くなる原因のひとつでしょう。が、私はそんな人々もかなり好きなので、どうもその欠落した部分に魅かれるという矛盾も持っています。いわゆる「器用貧乏」な人たちにも気の毒な気持ちがしたり、けなげなことを理解したいということにもなり、心は本当に複雑なのだ(爆)。

私がこの題材を選んだ理由は、田沼意次(たぬまおきつぐ)。すごいことを出してきている(爆)。義務教育範囲でしか、日本史を勉強したことのない人たちにとっては、田沼意次とその血族は、悪い評価が圧倒的であるはずです。では実際にそうだったのか?ここが問題なわけですよ・・・。

私は歴史小説や時代劇小説といった類のものは、かなり好きです。こんなステキなサイトに出てくる作家のものは、すべてではないにしろ、かなり網羅して読んでいます。http://lounge.cafe.coocan.jp/novels/ 図書館は便利で、速読傾向がある私には福祉として最大の価値があるものです。が、これまで読んできた中で、田沼意次は『悪者』だったのです。通念としてもおそらくそうだったのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%BC%E6%84%8F%E6%AC%A1 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E6%85%8E%E4%B8%89%E9%83%8E この学者の手により再評価されているようですが、他にもいろいろ再評価サイトはあるのです。http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/06edo.htm 
http://www.city.makinohara.shizuoka.jp/asp/mc0040.asp?eno=L759203090 出身地のサイト。
http://www.tetsureki.com/home/labo/shinso/tanuma.html 
http://www.uraken.net/rekishi/reki-edo03b.html
http://www.kcc.zaq.ne.jp/kids_clinic/Cafe/Ohedo/Ohedo_tanuma.html

ね、けっこうたくさんあるでしょ?私は、池波正太郎の『剣客商売』で見直し、強化のために山本周五郎の『栄花物語』を読み、前出のサイト群を読んだのですが、特に歴史や日本史が得意なわけではありません。ただ、愕然とするのは、気づかなければ誰かをこのままの評価で見過ごしていたこと。義務教育で、しかもしっかり教科書に書かれていたことで、誰もこれまで私に長年「違うかもよ」とは言ってくれなかったことが、どうも解せぬ。うーん、正確には「悔しい」なのか?

たまにありませんか、こういうことは?愛に充ちた大人や友人に言われたことを、どうも鵜呑みにしてしまっていること。さらに、国(政府やその閣僚や仕組みなど)やメディア(TV、新聞、雑誌その他)などの発言を、「信じていいもの」とみなしていること。私は、かなり注意深いはずなのですが、こんな手落ちがたまーにあるので、気づくと相当に悔しいようです(笑)。

同じ事象を捉える相違には、
1. 発信チャンネル(発信者)の違いは大きい。
みのもんたを崇拝する主婦たちがたくさんいるから人気は衰えないのでしょうし、細木数子に言われたことを信じる人も未だに多いからまだ番組は続いているのでしょう。医者や弁護士や学者などパワーを使う職業の人から言われると、どうも信じてしまう傾向が生まれます。しっかりした評価をしたのち、という作業を「権威」のせいで端折ってしまうのですね。これは反省です。

2. そこまでの通念・常識に左右されている。社会全体でも個人でも同様。通念・常識をひっくり返すことは、誰にとっても相当に難しい→Self-Esteem(自己尊敬心)のため。
私個人の情緒問題ですが、教科書に出ていた田沼意次の人相はよくなかった(爆)。そういう自分の直感をどうして守る必要があったのかは、やはり自己尊敬心が為せる技です。噂話レベルであろうとも、こんなことをしていないことを願うばかりです・・・(汗)。心理的作用については、他のエッセイでたくさん述べているので今回は割愛。

3. 発信する側の意図的プレゼンがある場合(たいていはあるんだけれども)、その論拠についての検証がなされない受信が多い。
論拠について検証する方法があまりわかっていない人たちと、解析能力が上がっていない人たちは要注意です。差別の偏見においては、これが最も大きいのです。感情レベルだけで考えない事柄がいかに多いか、自分について考えてみると、他人も同じことをやはりしているのだと再認識できて、本当に驚いてしまうのでやってみてね♪

4. とにかく受信側の精神状態や物理的繁忙に左右される
私の場合は、眠っていないとダメです。まったく考えられない(爆)。受信できているかどうかもあやしい・・・。睡眠が足りている場合は、かなりの受信ができ、解析もできるはずなのですが、落ち込んでいたりするとやはり能力は落ちます。仕事を3・4つこなしているときなどには、当然、田沼意次の優先順位は落ちてしまいますもの。別に田沼意次どころではなく、血肉を分けた叔母のことについてですら、どうもなおざりにしてしまったり、親友についても「げぇ、もうしばらくメール出してないや・・・」ということになります。いけません。健やかに過ごしておらねば、受信も甘くなるわけです。

ということで、今日は特に田沼意次再認識運動ではなく、「見ている物事が本当に本当なのか?正しい判断をしているのか?」を疑ってみることをオススメするのがテーマでした。TVばかり見ているとバカになる、というのは、やはりこんなことから出発しているわけです。私もTVが好きなので注意せねばならぬよ←最近、とんと時間もないのだけれども・・・(汗)。