同窓会があったら出席したいですか?それはいつの時代の会ですか?

実は同窓会というものの問い合わせ自体が来ない可能性が大いにあります。誰も私の連絡先を知らないのではないか?という疑惑(笑)。在米19年ちょいで、たぶん諦められてしまったのではないかと。実家も引っ越してしまいましたし、そもそも小中高校のクラスメイトたちとの仲もさほどよくなかったので、招待状が来ないと思うのだった(笑)。

 

しかも、同窓会があっても特に出席したくないですねぇ (・・;) 小学校であっても、中学校であっても、今は近所に住んでいて、折があれば訪ねることもできますし、そこにその頃の人々がいなくても、充分 Back to the nostalgyはできるわけで。たぶんそれは私の子どもの頃の過ごし方から来ることで、いつも30歳以降を見据えて生きていたようなところがあって、今このモーメントを丁寧に遊ぶこと以外、30歳以降に生かすことを拾うだけで、人々と懇意にしようとはしていなかったようなところがあります。

 

高校はもっとひどくて、たったひとり、卒業してからも音信があった友人とももう10年以上前に切れてしまいましたし、人に対する愛着をハナから諦めているようなところがあるわけです。なので、私個人も誰かに愛着されることを非常に厭わしく思うようなこともあって、この稼業はとってもいいのです>英語がそこそこできるようになり、独学を続ける自信がつけば離れていってください、形式。一般的に一度集客をしたら英語は何年も通ってもらうことを目標としていると思うところなのでしょうが、弊校は1年から2年以内を卒業メドにしてもらっております。

 

私は調布市深大寺というところで育ち、地元を離れていない稼業がある同級生もまだ少し残っており、その気になれば、風景として会いに行くことは可能なのだろうと思います。が、そのような気持ちが湧き上がることもないくらいの忙しい日々にしており(計画的に、ですよ・笑)、昔を振り返るのであれば、もうちょっと長い時間軸にしたいと願うばかりなのです。

 

特に、脳についてもっと深く知ることが可能であれば、人類学・考古学・社会学・心理学の文献をもうちょっと読み込みたいとか、子どものようにワクワクしたいのであれば、自然科学の映像を観たりとか、虫の観察とかね。

 

よく世間で言われるような、同窓会でとっても心が温まるとかという反面、卒業してからの時間の過ごし方がもたらす結果発表会みたいなことを、私自身のこの眼で見るのはイヤだなぁという気持ちも強くあります。「そんなことをする人はいないでしょー」と軽く笑えるから行く!とは言い切れないところが切ないところですね。心理学部で学んでしまい、ヒトがどれくらい強欲でわがままなのかわかってきてしまったので、一概に性善説のみを信じることはできなくなってしまっているわけです。

 

初恋の人に会えるならば、などという想いもあったりするのかもしれませんし、子どもの頃お世話になった人にお礼がもう一度きちんと言いたい、という動機もあるかもしれませんが、私はやはり罰当たりなので(笑)、頓着・愛着がとても薄いんだろうと思うのです。前だけを観て、非常に前のめりで生きてきた実感があります。遠視なんですね。広く俯瞰して鳥のように大きく物事を観たいと思う気持ちが強すぎて、同窓会には興味ナシ、というのが、このエッセイのお題をもらえてよかったな、という結論になりました(笑)。

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