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喜劇の帝王学

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03/31/2007 にアップした文章です。

長年ずっと気にし続けていた植木等氏が亡くなりました。私の記憶はかなり早いところから始まっており、TVに緞帳のようなカバーがかかっていたことや、アンテナによりいくらでも映りが変わったことや、白黒だったことも憶えています。その中でも、アメリカに渡ってからも、ずっと心から去らなかったのが、この植木等氏で、チャップリンを知ったのち、コメディもおもしろいのだな、と感じたのち、Stand-up comedyをある程度理解したのちにも、彼には尊敬・過度な好意を持ってきました。たいへんに悲しい気持ちですが、人にはいつか時が巡ってくるのですね。

訃報を知らない方がブログを読んでいらっしゃる場合はあるのか?と疑いつつも、ニュースはコレ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070328-176108.html 
どんな人だったのかは、ここを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9C%A8%E7%AD%89 
http://www.hiramoto.com/sindan/ こんなものもあるくらいなんですねぇ。

喜劇:(1)諧謔(かいぎやく)・機知・風刺などに富む演劇。幸福な結末をとるものが多い。コメディー。⇔悲劇 (2)人が思わず笑い興じてしまう滑稽な出来事。
諧謔:おどけておかしみのある言葉。気のきいた冗談。ユーモア。
機知:その場その場に応じて活発に働く才知。頓智(とんち)。ウイット。
風刺:他のことにかこつけるなどして、社会や人物のあり方を批判的・嘲笑的に言い表すこと。
帝王学: 帝王たるにふさわしい教養・態度・考え方などを身につけるための修養。
帝王:(1)君主国の元首。皇帝。(2)ある分野・社会で絶対的な力や権威をもつもの。

私個人の性格は、おもしろみのない真面目がちなところが多く、羽目を外すこともなかなかできなかったがために、大勢の中に溶け込むことがなかなかできないで来ました。羽目を外すのは、自分にしか迷惑を掛けない事柄において、で、ひょっとすると他人に迷惑を掛けてしまうかもしれないのが、唯一飲酒でした。むしろ、世の中の不条理に沈思したり、公平や平等について考え込んだり、悲劇から目を背けてはどうしても過ごせず、現実から逃避しきれないで来た揚句、逃避したいとたまに思うことがあり実行に移すと、どうも罪悪感にさいなまれてしまい、怠惰な自分に嫌気がさす、といった繰り返しだったのです。

お笑いや喜劇を心底楽しめた満喫感が、いつもどうも実感できず、追いかけてくる現実味を帯びた悲劇たちに、ため息をつき、払拭しきれることがなく、心の底からおかしみ、笑える瞬間を持てたのは、この子どもの頃に屈託がない頃に観た頃の、植木等やフランキー堺や森茂久彌や藤田まことや大宮敏光(デンスケ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E6%95%8F%E5%85%85)だけだったことになり、大人になります。がゆえに、渡米してからも、私の心に残っていたのは彼らで、20代も後半を過ぎてから、悲喜こもごもをごっちゃにしていいのだ、というたいへんにベーシックな覚悟をすることになります。

実際に、喜劇人の実生活は悲しいものが多い。悲しい事柄から抜け出るために、風刺や諧謔や機知を身につけていくのだということがわかるようになるには、私には時間がかかりました。もちろん、悲しくもなく、ラクにこの世に出た喜劇人というのもいます。あくまで統計学で、ステレオタイプしてはいけないことです。生真面目だった私は、物事をきっちりかっきり分け、白黒をつけがちだったために、心もずいぶん不自由をしたようです。が、名残として、今も朝4時半の無人交差点で、赤信号が青に変わるのを相も変わらず待つのです(笑)。

喜劇の帝王と呼ばれるにふさわしい人々のほとんどは、不幸や不遇に心臓を鷲づかみにされるほどの経験をしていたことが多いのは、決して偶然ではないように思います。そして、その苦しみの中に一条の光を見出し、一時的にでもラクになれるように、と、笑いを人々にもたらすことを考え始めるのかもしれません。

たとえば・・・チャップリン:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3 
たとえば・・・タケシ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97 
たとえば・・・アンディ・コフマン(映画Man on the Moon)
http://en.wikipedia.org/wiki/Andy_Kaufman 

アメリカで、最初に驚いたことは、政治の話題を取り入れないスタンドアップコメディ(いわゆる漫才とは違い、ひとりでマイクの前で話す)は通用しないのだ、という絶対的事実。日本での、日々の生活の不平不満のあれこれや見たこと聞いたことをネタにしているのとは、根本的な観客が違うのかもしれない、と衝撃を受けました。観客は、そのコメディアンの世界観を通して、笑いも楽しもうとしている、それほど貪欲に鋭さを求めているということなのだな、と思ったものです。つらくて悲しいのが人生で、楽しいことはたまにしか起きないけれども、その根本である政治や政治家について、俺らも考えているんだぜ、ということが、しっかり伝わってくるわけです。

アメリカの深夜お笑い枠の代表であったJohnny Carsonは一晩90分のギャラが、60万ドル(7500万くらい?)だった人です。彼は日々、ホワイトハウスや大統領や海外の政治について、口にしていました。それを知っているからこそのエンターテイメントなんだよ、わかる!?と言われているようで、私も彼を見続け、そのあと、David Lettermanを好むようになったのです。

日本もお笑い何次ブームだかで、お笑い芸人の名前と顔を一致させるだけで、ずいぶんと長い時間がかかってしまいました(笑)。けれども、政治について鋭く斬るようなネタを持っている人たちはほぼおらず、彼らの世界観が伝わることはわずかです。私にとっては、やはりおもしろくはない・・・。ここも、アメリカ文化に冒されているのでしょうか?アメリカでは、コメディアンの頂点に近い人間は、圧倒的尊敬を手にします。日本でも、ビートたけしやタモリがそれに近いのでしょう。若い人たちもそれに追随してくれることを望みます。なぜならば、このお笑いブームの中、若い観客の政治への興味を誘い出せる有益な人材なのですから・・・。

書いていたら、なんだか泣き笑いがしたくなりました。もう7ヶ月近く、アメリカのSitcom, Stand-up comedyを観ておらず、たいへんに悲しい気分。横田基地での通訳をしていたときには、Jimからその一部を聞けていたのですが・・・。

最後に、植木等が延命措置を拒否しており、密葬を願っていたという行に注目。人を楽しませる人の世界観がここにも顕れています。私は人を楽しませることが徹底してできず、どうもまだ悲喜こもごもをごっちゃにしきれていないようです。人間、死ぬまで修行は続きますなぁ・・・。