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失われつつある風流

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2007年7月にアップした文章です。

 

私はそもそも風流を解する性質の人間ではないようです。いや、「ありません」と断言しちゃったほうがいいのだろう・・・(汗)。サバイバルにだけ追われてきて、どうも芸事やら伝統やら気配りやらその他の、「重要事項No.1」に挙げられるわけではないけれども、粋なエッセンスとして人生や生活を潤わせるもの、というのを、どこかに置き忘れてしまってきたようなところがあります。なので、若い世代の人々のことは、なんら非難することはできず、恐縮ぎみなのだ・・・。江戸っ子ではないのだけれども、とにかくガサツで大まかで、「四角い部屋を丸く履く」を絵に描いたような人間なのです。

風流:(1)おちついた優雅な趣のあること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。(2)詩歌・書画・茶など、俗を離れた趣のあるもの(3)美しく飾ること。意匠をこらすこと。また、その物。(4)芸能の一。→ふりゅう(風流) (5)「風流韻事」の略。(6)先人が残した美風・なごり。遺風。
優雅:上品でみやびやかなこと。やさしい美しさのあること。また、そのさま。

日本人なので、たとえば、お茶やお花、庭づくりや武道、さまざまな工芸品などなど、風流典雅なものが「悪くはなくいい感じ」という認識はあるし、はたと立ち止まったときに「風流を解するゆとりがあればいいなぁ」などと、思わないこともないのです。が、風流はお金がかかったし(今もそうだとは思うんだけれども・・・)、時間と心の落ち着きってもんが必要なので、私が先天的に持っている病的性質とは相違えていたわけです。

なぜ、けふはこんなことを思っているかというと、「最近、打ち水している人を見ないなぁ・・・」と気づいたことから始まったのでした。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E3%81%A1%E6%B0%B4 へぇ、ヒートアイランド効果のカウンターメジャーとして、打ち水を一斉にやろう!という運動があるんだなぁ。でも、見ないぞ(爆)。私が小学校の頃は、通学路の家々の人々は、「子どもたちの元気な登校姿から元気をもらえる」と考えていたかどうかは別にして、自分の家の前の道に打ち水をしていたのを、私はよーく憶えています。おそらく、私のようなやつが、埃を立てて迷惑だったのかもしれない(笑)。まぁ、なんで、あんなに当時は、「普通に歩かない工夫」などをしていたのか、今思うとわからず・・・←ズルズルと引きずったり、かかととつま先をくっつけて限りなく歩数を数えたり、カニ歩きをしたり、鬼ごっこでやり過ごしたりねぇ・・・。当時は、「手桶かバケツに柄杓(ひしゃく)」という風景は、かなり日常的で、我が家にもあったし、多くの家庭が持っていたのだろうと思うのだ。イマドキは、きっとお墓参りにしか使わないのだろう・・・。ピンポン鬼ごっこ(他人様の家のドアベルを鳴らしながら逃げるやつ)をしていると、その水をぶっかけられたものなのだ・・・。

どうも、私の風流は、こうした日常的な粋に由るところが多いようで、茶道であれ、華道であれ、きっと「おもてなし」「生きていくのに円滑な心の通い合い」という点では、この解釈は間違っていないのかもしれない、と思えてもいます。

しかも、今日は、母にせっつかれており、いっしょに大型量販店で、バスルームエリアに取り付ける棚を買いに出かけなければならない模様・・・。お友だちが赤ちゃんといっしょに土曜日に訪問してくれることが決まっており(私が出たり入ったりしているので、アポ取りが重要になっている)、ネコが来て以来、ネコリッター(トイレの箱)の置き場を変えたり、匂い防止をしたりと、彼女は1ヶ月半で10数回も移動や改良を加えており(やりたいんだからやってもらっているんだけれども、彼女には「完成」という概念はどうもないようだ・・・)、今度は洗濯機のポジションまでずらしたので、棚が必要だと言う・・・。「狭いからよせって言ったのに」などと漏らしたものなら、怒り顔あるいは泣き顔になるので、もうあんまり言えないでいるのである・・・。

コレもどうも彼女なりの風流で、「家に来てもらうんだから、今できる最良を目指したい」らしいのだ。そして彼女は、「お金にゆとりがなくたって、心にゆとりさえあれば、いくらでもできることなのよっ!」と主張して止まない・・・。

On the contrary, 私はまったく「飾る」「趣を加える」ということが苦手で、「そんなもん、おなかの足しにならんじゃないか」というのが基準になっているところがある・・・。母とは違い、余分なお金があったら、飾ることや家の中を整えるよりは、本を買いたいし、今はいい日焼け止めがほしい(爆)←横田基地の日焼けは、皮膚科通院一歩手前くらいだったせいだよね・・・。あるいは、貯金して学費にしたいってのもある。やっぱり心にゆとりがないのか?

たとえば、バイクに乗っていたときなどは、実用性を追い求め、見えないところなのに、いいオイルを使ったり、点検をくまなく、などはできるんだけれども、ライダーの私自身を着飾ることはせず、とにかく枝毛にならないように編みこみをして、すぐにバイト態勢に入れるようにギアに気をつけるだとか、化粧はせずに顔を洗えるようにしてバイト先で化粧をするだとか、で、見てくれなどはかなりどうでもいい。ステッカー等はつけていたのだけれども、レース場に行かない人たちにはわからないようなものが多かったようだし・・・。母はそんな私に、「せっかく女の子なんだから」と、幼稚園の頃闘った「女の子色」なギアをつけてほしかったらしいのだけれども、髪もヘルメットから出してほしかったらしいのだけれども、そんなこたぁしてられませんや・・・。

今は、おなかの足しになるので、主張しすぎないかっちりしたビジネススーツ(もどき、程度)を着て、化粧もするのですが、生徒さんたちがみんな納得してくださるのであれば、すっぴん・普段着で行きたいくらいです。英語も形から入る(教材を揃えたり、文具を好きなもので取り揃えたり、Listeningのための電化製品を新調するなど)という手はあるのですが、私はわずかなもので満足できるので、赤ペン1個で目下たいへん満足しており、次はファイル、次はヘッドフォンくらいなささやかなものでいいようです。しかも、自分を着飾るだとか、他人が見て風雅を感じるように、とは、頭をよぎらない感じ・・・。

昨日も美容院に行ったのですが、部分パーマで3000円という格安さでした。今度見つけた美容院はかなり親切で、安くあがるようにしてくれます。私は1万くらいかかると思ったので、おつりで来た7000円分を投資して2週間ぶりくらいにパチンコにまた寄ってしまったのですが、6万も買ってしまいました・・・。なので、母はさらに棚が欲しくなっているようです。イマドキの髪型に変えてみたら?とは誰も言わないので、このまま行こうと思います(爆)。

こう考えると、私は風流が失われることに貢献しまくっているようです。いかんなぁ・・・。その代わりでもないのだろうけれども、世間では、松田聖子やこうだくみ(漢字わからず・爆)などが浴衣のプロデュースをしていて、それに乗っている人々がけっこういるようなので、やはり風流肯定は健在なようで安心です。ダイエットも美容関連ものも相変わらず売れているし、私以外の人たちは、風流に積極的に参加しているのかもしれない(ちょっと次元が違うって!?そうだよね・・・)。

私は8月にTOEICを受けて、生涯学習指導者の資格講座を開始することにしました。他にも申込みをせねばならぬものはラインアップしており、風流よりも「メシの種」のほうがやっぱり優先なようだ・・・(汗)。