ヒトの本能は、二元論で成り立っているものばかりです。物事の分類の基本で、これは自然の摂理とも言えます。
二元論:世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。 例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。 二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。
これを踏まえ、子どもが夢中になっていることが、「いいことがたくさん生まれることなのか vs. 悪いことがたくさん生まれることなのか」に分けて、本質をしっかり見極めてみることが大切です。夢中になっていることがただ単に「好きなこと」というだけだったら?この将来的にいいことがたくさん生まれるかどうか?をしっかり見極めてみることで、中長期的時間軸を持つことが、子育てにはとっても役立ちますし、自分自身の人生を長く考える力になります。ひとつの行動やコミットメントが、将来、どのくらいの広がりをもたらすのか?これを継続していけば、先に何が待っていて、どのくらいの大輪の花になり、実や種をもたらすのか?などと、しっかりとその中身について検討してみていただきたいです。
たとえば、読み書きに関することは、ベストです。昨今出ている学術論文でも、読書は「やりすぎる」というデメリットは、環境を整えないと視力が悪くなる、程度のことしかありません。経済的にも図書館やブックオフやオンラインにあるものなどがたくさんですから、さほどの負荷はないです。
本質:そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。
他がおろそかになってもいいのか?という点についても、少し考えてみなければなりません。おろそかになっているものが、本質的なものなのかどうか?です。
ヒトとして生きていくのに、日々使う、使う頻度が高い、その技量・知識が問われやすい、夢や目標の中に必須なものである、などなど、少し考えてみなくてはならないです。
たとえば、ゲームをしたいために片付けができない、というのは、応援してはいけませんね(笑)。片付けは、脳内の整理にも重要に関連していますし、モノを増やして平気でいたり、お金を粗く使ってしまう機会を増やしてしまいます。ゲームのよいところと悪いところも、ゲームの種類を選んだほうが時間を費やした分の「成果」が上がらず、悪いところもたくさん生まれてしまうので、この場合はNGですね。
学校の勉学がおろそかになっても、友人を大切にする、というのも簡単に表現しすぎなので、ちょっと判断しかねますし、塾をがんばって、学校を手を抜く、というのも、さまざまな個体を取り巻く条件やカリキュラムの内容を観てみないとわからないです。
一芸に秀でれば、その気になったら何歳になっても他のことが「けっこうできる」という状態を作ってあげるのが、親の子育ての重点であっていただきたいです。勉強をして勉強ができるのは当たり前。それよりも物事を理解するためのさまざまな底力になる基礎的・本質的な力をしっかりつけてあげてください。<(_ _)>
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