学位は貴重なのか?

01/19/2008 にアップした文章です。

ここのところ、またもや大学院に行きたいという気持ちがむくむくともたげてきていますが、やはり「うーん、日本の大学院に行くべきなのか?」と、まだ二の足を踏んでいます。普段だったら歯止めがあまり効かないはずの、私の向学心ではありますが、ここのところ、受験生や子どもたちを教えており、彼らの「なぜ勉強するのか?」を自分のことのように考えているわけです。私は、なぜ修士が欲しいのか?あるいは博士が欲しいのか?ここってなかなか要かなぁと思うのです。そして、子どもたちに言っていることを裏切らないようにせねばなぁと、律儀な私は強く思うのでした。

学位:大学を卒業した者、及び大学院の課程を修了した者に対して授与する称号。学士・修士・博士の三種がある。旧学位令では博士のみで、文部大臣の認可を経て大学が授与していた。
貴重: (形動)[文]ナリ非常に価値のあるさま。きわめて大切なさま。
(名)スル大切にすること。重んずること。
価値:(1)物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。〔幕末までは「価直(かちよく)」が用いられた〕(2)〔哲〕 善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう。(3)〔経〕 商品の価格の背後にあって、それを規定しているもの。その本質・源泉のとらえ方によって客観価値説(労働価値説)と主観価値説(効用価値説)とが対立する。

昨日も、アメリカに留学したい女子大生のPersonal Statement(自分について書いた「なぜ(その)大学に進み、何を学びたいのか」で、申請校が合否の参考にするもの)をチェックしたのですが、彼女のバックグラウンドや夢や希望などを聞いていて、やはり私は日本の大学には行きたくないのかもしれない。お金にゆとりができるまでは、学業1本でやれるまでは、やはり大学院は行かなくてもいいのではないのか?のほうに、かなり心が偏りました。

まずは、語学力。そして専攻選び。そののちに学校選び。学校周辺の事情やら現状と、日本の暮らしとのギャップ。性格的な分析。適応度合いのチェック。将来性のインデックスは、個人と学校の両方で考えます。他に経済的な自立までの年月やら手段やらを考えていく。2本立てが大切で、希望や夢を1本だけにしてしまうと、コケたときに重大な失敗で後戻りが効かなくなってしまい、敗者復活戦に臨めません。大好きなことを1つしたら、大嫌いなことを1つするという謙虚さは、やはり人間には必要ではないかと思うのです。私はこれを、小さい頃の労働で学びました。家事は未だに嫌いですが、やりますし、やれますよ(笑)。

特にこれらは、海外留学だけに当てはまるものではなく、日本で何か習い事をしたり、資格を取ったり、進学したりするのにも使えます。

去年だったと思うのですが、教員や大学教授などの年収は減る傾向にある、というのを、東洋経済の電車内のつり革広告で見ました。手にとって読んだわけではないのですが、おそらくそうなのだろうなぁと納得した記憶があります。

ご苦労なことで、もちろん必要なことなのでしょうが、平均年収を算出しているサイトは見つかりました。企業のものです。http://shushokurankingu.seesaa.net/article/40893585.html このサイトは実にさまざまなランキングがあるので、お時間が許す限り、見てみてくださいね。なんだか実感がじわじわ湧いてくるかもしれません。このようなサイトをじっくり見る方々というのは、おそらく、終身雇用を目指して、安定や高収入を目指してらっしゃるんでしょうね。

そうか、そんなに就職については真剣な人々はたくさんいるのか・・・。私はもう10代で、OLになることも放棄したし、企業そのものに勤めることなど鼻で笑っていたような、「社会人脱落組」だったので、こんなにもすごい様相なのが、何年も続いてきたことを知りませんでした。なんとなく感じてはいたのですが、肌で目の当たりにするようなことがなかったのだろうと・・・。貧乏に暮らしてきて、「必要最低限な物事から片付けていく」というのを身につけた今、贅沢品はたまに欲しいと思っても、清水の舞台から飛び降りるような覚悟がなければ、購入までは至らず・・・。お金があっても不幸な人々は山ほど見てきたし、高学歴でもお金に結びつかない人々も山ほど見てきたし、学位がそれほどに貴重なものとは思えないでいます。

しかも、日本では、アメリカに比べて、自分の専攻を生かさない就職があまりに多い。英語学校で教えていても思うのですが、コンサルティングやカウンセリングの中で、よく感じます。自分の専攻について、教養課程の2年は置いておいても、専門課程の2年で学んだことは、それほど濃厚ではないのです。私ごときでも理解できてしまう内容だったり(私の専門は、心理学と航空学)すると、「どうして2年もの月日を費やしたのか?お金まで掛けたのか?」と、クビをかしげてしまうのですね。そのへんの本屋さんやインターネットのサイトに行けば、それくらいのことであれば、すぐにわかるよ・・・というようなことが多い。とても悲しい現状なのです。

いわゆる、「日本の大学は入りにくいが、出易い」というのは妥当な言い方なのかもしれません。私は、おそらく、英語でであれば、物理も化学も教えられます。生物はたぶん、日本語でも教えられるかもしれない。日本史はやっぱり日本語のほうがいいだろうけれども、現代史に少し自信がないにしろ、おそらく日本史も少し予習すればラクに教えられると思います。大学院生の卒論準備もできたのですから、それなりの時間をかければ、たいてい教えられると思うのです。しかも地理学だった(笑)。今、教えている英語の生徒さんは、栄養学の博士号を取っている最中ですが、英語でも日本語でもそう困ることはありません。アメリカで教育を受けなおしてよかったと思っています。

ただ、漢文と古文は、独学でやり直したほうがいいのかなぁ・・・と少し反省しており、明治時代の国文が読める程度ではダメなのではないかと、最近思っています。それもこれも、Michael Keeneのせいかもしれない(笑)←久々に彼の偉大さを思い出したから・・・。

というわけで、日本の大学院に行くか行かないかは、まだまだPendingです。いつアメリカに帰れるのか、そこのへんをもう少し煮詰めて考えたほうがいいし、日本で遣り残したことを決して後悔しないほうがいいですから。

ここのところ日々の感動を得ているのは、英語の長文読解の教材で、なかなかいいことをたくさん書いてあるのを、毎日8個くらい読んでいます。赤ずきんちゃんがなぜ赤ずきんちゃんと呼ばれるようになったのか、詳しく書いてあったり、日本の年金制度が英語で書かれていたり、日本人の英語輸入について書かれていたり、なかなかおもしろいものが多いです。

ということで、学位はそれほど貴重ではないと、私の場合には当てはめられるのですが、多くの日本人にはまだまだ貴重なのかもしれない。人の真価が年収や学歴や人気や容姿で簡単に解釈されないような世の中が、実現すればいいのだけれどもなぁ・・・。

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