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宗教団体

10/23/2006にアップした文章です。

 

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父方の実家が神主で、現在17代目に当たる、私の従兄弟が稼業を継いでいます。宗教団体として登録してありますから、おいしい目にも遭えるところを、真っ正直な私の父方の祖先からの教えを守り、りんご園もさらにやり、春には筍も掘り出し、地道に暮らしています。日本沈没などがない限り、あと数百年もあそこに留まり、汲み汲みと歴史を重ねていくのだろうことは予測できます。

私はオウム真理教が一連の事件を起こしたときに、日本に住んでいなかったのですが、ハワイの会計士の親友が当時中野に住んでおり、遊びに来たときに不思議な宣伝カーなどは見ました。ネットのチャットで「ハルマゲ丼」という不思議な食べ物の写真も見せてもらったし、ニュースでも住民反対などは読みました。そして、森村誠一ストーリーの中でも、2冊ほど、オウム真理教とMoony(統一教会)を批判しているものに出会い、その詳細について、特にやり口やシステムについて、遅まきながら知ったというところです。

まず感じるのは、憤り。「倖せになりたい」という人々の願いを利用して、そこに付け入るのに宗教ほど、法で守られ、網の目を潜る方法論が無数に広がっており、論理性をたとえ屁理屈であってもカバーでき、集団心理を利用できるものはないです。しかも、やくざとまったく変わらないシステムなのは、合弁会社やフロント企業などを作っておいて、しっかり金儲けの亡者であること。仮面の違いに気づけない人々が悪いのか、巧妙な手口がどんどん進化するのに追いついていけないのは当然なのか・・・・。

父方の実家が神主で、小学校の中学年の頃にはカトリックの日曜学校にも通い、渡米してからは宗教に密着したいろいろな地方の文化などを理解してきて思うのです。「ヤバイ宗教団体は、他の宗教をも足蹴にしている。不名誉に引きずりこんでいる」と。でもなぁ、その違いをいちいち市井の人々がわかろうとする姿勢を持たないのもわかるのです。だって、生活することが第一義ですもんね。潤いや生きている意味などの命題は、そのあとに来る。「宗教はヤバイ」と十把ひとからげにすることに、罪科などはないのかもしれません。ただ、人として大雑把であるだけで・・・。

今、さとみちゃんに墓石法についての知識があるかどうか試してみたのですが、ありませんでした(笑)。いきなり新しい難問に面して、かなり困っているところです(笑)。

ある宗教に属すということは、祖先を含め、両親も捨てるということになり、宗教の自由があるにしろ、やはり人間はどこかで縛られていることになります。墓石法があるということは、それに従わねば「死体遺棄」という刑事犯罪になってしまうわけで・・・。なので、宗教をいっしょくたにしてそれほど深く考えないにしろ、最低限考えねばならぬことはかなりあるわけです。

ましてや、ある宗教に入ることにしたとして、両親や兄弟を捨てることになったり、郎党をすべて引き連れて勧誘せねばならなかったり、などというのは、大げさすぎるパワーゲームです。そんなものに属したいのか?と問い詰めてみたいところですが、心理学的には「洗脳(Brain washing)」に罹っている状態なので、論理ではなかなか落とすことはできません。

そもそも宗教の性質というのが偏狭です。あるひとつの神がもたらすひとつの信念を信じるということは、あとのすべてを否定する、あるいは捨てる、あるいはマイルドであっても無視するということです。あの宗教のここは尤もだけれども、私が信じている宗教のほうがしっかりしている、などという緩めの認めもあるかもしれません。どちらにしてもパワーゲームで、政治の派閥や会社の学閥、偏差値社会での能力階級閥などなど、と似たようなもんです。

私は、このような選択肢を狭めて狭めて、自分の身をがんじがらめにすることが到底できないので、宗教は選べないわけです。思想を固定の1個に決めてしまうと、その先の人生や考えに広がりがなくなる。結婚なども同様ですが、そのもっとスケールが大きい版だと考えられます。ひとりのパートナーを選びコミットすれば、他の人に心のうちでどんな感情が湧きあがろうとも、行動には移せなくなります(移せるチャンスもあるかもしれないが。行きずりや一晩限りなどはいいのかもしれないが・・・)。が、考え方というのはすべての今後の行動の規範・基礎となるものなので、危険要素がでかいです。

たとえば、バカみたいな話なのですが、麻原祥晃が神の代理人だとか、生き神だというのを信じたら、それにまつわるすべてのこじつけも信じるようになります。彼の汗に値段がつき、彼が沐浴した水にも値段がつき、などと、バカげたスケールはどんどん大きくなります。事実、彼には子どもがたくさんおり、母親が別でした。神というのは一夫多妻制なのだ、ということをどうして信じてしまうのか・・・。が、信者たちは性行為について、厳しい制約が設けられている矛盾をどうしてわからないのか。そうだよね、Brain Washingだもんね・・・。統一教会などに至っては、数万・数十万の信者の中から最も適したカップルを選ぶという無茶さ・・・。ありえない(爆)。しかも、性行為の儀式まで決められているというのが恐ろしく、何をどうすればあそこまでを信じるようになるのか、その巧妙さには悪意しか感じられないのです。

が、私もPTSDにかかった時間が長かったので、常識では考えられない罠に嵌まる危険や、そこから抜け出せない放心状態についてはわかります。ですから、信者になった方々を責めるものではないです。「わかっていて人を騙し、組織化して正当化し、さらにパワーを欲する」という貪欲さに、別の世界のもののような恐ろしさを感じています。

私の知り合いで、PLをやっている女性がこう言っていました。「ある人にはキリストで、ある人にはモハメットで、ある人には釈迦で、ある人には高名な尊氏の姿で現れるだけで、神様はもともとひとつでしょ。ただ、解釈をしている人間は弱いものだから、違う名前になっちゃうんだよね、Higher Powerって」と。まさしくその通りなのでしょう。が、信念をキープし、弱い心を強くするために、どこかの宗教団体に属すことにしている人たちがいる。知っていて属しているのと、知らないで属しているのは大違いだなぁ、と思うのでした。心理学の学派なども同じで、あるひとつを正しいと言い張り属してしまうことは、あとを軽視することになります。軽視までいかずとも、少なくともランク付けをしていることになる。ここが、文化的全体主義のトリックなのかもしれません。

そもそもどこかの団体に属すことは、極力少なく小さくしたいと思い続けてきた私にとって、しかも、集団行動はどうしても得意ではないし、私の美的感覚に激しく許されないので、宗教団体も質の違いがあっても、同じことになってしまうのです。ましてや、その団体の目的が、「純粋な魂の浄化」を謳っていつつも、実際はお金集めだったり、パワー集めだったりすると、もううんざりどころか、怒りになってしまいます。

最後に下品ですが・・・。どうして麻原祥晃のあの顔とその表情や立ち居振る舞いや言葉遣いに、神を見られるのか?カケラもないっしょ・・・。アメリカではもうちとマシなカリスマが宗教団体の長に収まっているぜい、と思ったんだわ・・・。James Townで集団自殺し、議員とそのクルーを殺した集団の長は、かなりいい男だった・・・。「騙される女性も無理ないよなぁ」というのが感想だったのです。そして、人を見る目を養おうと自戒し、森村誠一を読んで細かい仕組みを知り、さらにまだ宗教団体があちこちに点在して野望を消していないことに、恐怖を感じているところです。立川の真如苑すごいらしい・・・(すまいる情報)。「聖なるもの」を感じるアンテナは、きっと磨いておいたほうがいいです。

 

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