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家族愛って当たり前なのかしら?

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04/18/2007 にアップした文章です。

 

私が小学校の頃に反吐が出ていたのが、「友情」について、文集やら作文につらつらと書く小学生。シニカルな子だったとはいえ、実際のところは、今でもそれほど変わりはありません。愛や情について、お手軽に書くというのが、小学校のときは「訓練」「学習」の一部だとはいえ、なんだか空々しく感じていたものです。私は何を書いていたかって?残っても大人になってから自分が恥ずかしくないこと、ですよ(笑)。なんだか、とっても先の見通しに期待を膨らませており、小学校の自分を「通過点」だと大いに認識していた、冷たい子どもでした。なので、愛を語る人に関して、どうも疑いの眼(まなこ)でずっと斜(はす)に構えていたのは事実。

でも、私の気質は、熱い。喜怒哀楽の差も激しいのだけれども、そのせいで愛情も相当に深く、憎しみと愛のハザマにいるときには、自分で自分がコントロールできなくなってしまっていました。今になると、憎しみという感情を持つことそのものが、たいへんに労力を削ることだということが理解できてきたので、エネルギーを保存するくらい狡猾なやつになっているのですが(笑)。

ただ、本当に悲しい・あはれ・切ないと思うのは、小学校の自分が、「友情なんて長く続かないもんだ」などと開き直っていたところ。「少なくとも自分には長い友情なんてほぼ訪れないことだろう」と見切りをつけねばならなかったことです。実際にそれは当たり、この近所で、会えばお茶も飲むし、話もするのですが、わざわざ待ち合わせて飲んだり食ったりしたり、アメリカに手紙を定期的にくれるような友だちは、小学校・中学校を通じてひとりもいませんでした。高校のときの友人でひとりいましたが、彼女ともいつしか音信不通。私が、引越し魔だからいけないのだけれども・・・(汗)。

それでも、たまに、誰かが日常の中で気にしてくれて、連絡をくれることはある・・・。ありがたいことです。で、とっても合理的で冷たい私としては、みんながこのブログやら会社のHPやらを認識してくれて、そこを窓口にしてくれると、統括できてやりやすいし、連絡が途絶えることもまぁないだろう、などと、思わず考えてしまうこと(笑)。ほんと、これだからバチあたりなんだよね・・・(汗)。

なぜ「友情は続かない」と堅く信じていたのか?それは、小学生のうちから、1.自分は調布の深大寺には留まりおかない 2.人はかなりいい加減で気分次第なもの 3.人生は長いからみんな変わるもの と、この3つが理由でした。いじめには遭遇しなかったものの、気まずくなった人や嫉妬に駆られた同級生には口を利いてもらえないこともありました。そんなとき、「こんなちっぽけなことで崩れる情なんて、続くわけないじゃん」と、その人たちが書いた文集や作文の文言を、せせら笑っていた、非情な小学生だったのです(笑)。

たとえば、母への愛情はどうなのか?核(Core)のところからして、私はそれほどの熱望がないのかもしれません。「人はひとりで生まれてひとりで死んでゆく」というのを、かなり小さい頃から認識しており、「人はいつか自分の周りからいなくなる」というのを、ひしと感じつつ生きてきたようなところがあります。弟はかなり長いあいだ、母にぴったりとひっつき虫をしていましたが、私はスキンシップなど記憶の中で求めたことすらない。その反動が、10代での恋愛の失敗なのでしょうか?(笑)←でも、自分ではあまり失敗したとは思ってなく、いいレッスンだったと思っているのだ・・・。

そもそも最初から、「母なのだから愛する対象」とがんじがらめにされていたことはなく、祖母・祖母の内縁の夫・叔父・叔母・父・母・弟などに囲まれて、動物や植物がたくさんあって、誰かに対する固執がなく、愛着というものに関しても、ジワジワと湧いてきたところが大きかったのだろうと、今ならば思えるわけです。

けれども、私は躁うつ病に生まれたがゆえに、熱いところは熱い。が、やかんのように冷め易いのも事実。淡々としたいやーな子どもだったのでしょうね・・・。何にしろ、「あって当たり前などというものはなく、獲得するものだ」というサバイバルゲーム的な幼少時代だったのが幸いしたのか、私は人に対する執着は、たいへんに薄いのです。

なので、家族愛については、アメリカに行ったときにたいへんに驚いた・・・。いい影響にしたのは、自分の腕だったと自負している大バカモノなのですが(笑)、それに刺激されて私は毎週、手紙を両親に書き続けました。2年間です。毎週土曜か日曜日に書いて、月曜日に投函する。変わったことがなくても書き続ける。とにかく、生んでくれて育ててくれたことに対して、誠意をめいっぱい書く、という、薄ら寒いようなまともなことを、2年続けました。それも、「家族愛があって当たり前」だという、アメリカの環境に馴らされたわけではなく、学習の遅い、冷めた人間だった私が、「気づくとしっかり基本はもらっていたこと」に対する感謝を、離れてから知ったというわけです。

家族全員が、相当にゆるゆるな「愛してくれるならラッキー、儲けモノ」という態度で育ててくれたことで、なんだか私は、今になると、たいへんなオトクをいただいた気がしています。例外として、父が酔っ払うと「俺が食わしてやってる!」だの、「尊敬しろ」だのと、封建的なことを叫んでいた時期があったものの・・・(汗)。

悲しい人だね、切ない人だね、と言われるのは承知なのですが、愛の窒息死状態にされると、私はもうダメなのよ・・・。自分が誰かに対して愛情を表現するときには、「押さえのポイント」「量ではなくて質」で行くことにしているので、相手にもどうもべったりではなく、さらりを求めてしまうのです。これが、友情にしても、家族愛にしても、恋愛にしても、共通した願い。なので、犬よりもネコに似ていると言われるのかもしれません。お金持ちになっても、メイドさんなんて要らないもん・・・。四六時中誰かに管理されたり、見られていたら、死ぬと思う(笑)。

あまりに家族愛を尊ぶがゆえに、人々は罠に陥っている気がしているけふこの頃です。家族同士の殺人なども、そのせいで起きるのではないか?と。癒着してしまった情というのは、剥がれない。愛着ではなく、執着にまで育ってしまった歪みもなかなか直せない。たくさんの「こうあるべき」の中に、「家族愛にあふれていて当たり前」というのがあって、それにそぐわない自分について、みんなでいつも批判しあって、監視しあっているようなところはないのだろうか?と思えるわけです。

そんな西さんと私と母は、飛行機に乗ったり移動したりするときに、自分勝手に好きなことをしています(笑)。食事のときだけ、交換しあったり、話したりする程度。TVも見たくないものは見なくていいし、散歩もいっしょに行くときもあれば、別々に行くこともあり。でも、家族愛はいくばくかはあるし、何があっても死守しなければならないことは持っています。ただし、それがスタンダードやら理想から、かけ離れているだろうことはわかっているし、スタンダードも理想も自分で本来は作るもの、だということもわかっていて行動しています。

「変わってゆく愛情を持つ、変わってゆく相手」を認め続けて生きて行くことは、相当たいへんです。夫婦でも同じことだし、親子でも、友人でも同じこと。コレがさらりとできるようになるために、私はいい基礎をもらいました。根底にある西さんに対する愛情の深さは、わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。それでいいのだ。西さんがわかっているから、もう17年くらいいっしょにいるんだろうし・・・。

今日、西さんが台湾から3週間ぶりくらいに戻ってくるので、ふと家族愛について考えてみたのだった。西さんの台湾についてのブログは、かなり堅く真面目だし、テーマが狭いので、それほどの反響がないらしい。興味がある方はぜひ覗いてみてね♪ http://taiwan-kodou.seesaa.net/