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対人関係がうまく行かない 

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06/30/2007 にアップされた文章です。

 

私も若い頃は、うまく行かないなぁと感じていたのですが、その根源にあったものは、「世間の常識」vs「私の常識」という構図になっていたことに、いまさらながら気づくわけです。そして、長い歳月の中、いろいろ見聞を広め、学校にも戻って教育をしっかり受け直し真剣に勉強し、特に自分だけが悩む問題でもなかったのだし、実際にあれほどあっけらかんとしていた自分を、褒めてやってもいいんじゃないか?と思うように至ったのですが、世の中には「あっけらかん」とできない人たちはかなりの数いるらしい。私は、10代・20代当時でも、おそらく2割ほどしか真剣には思いつめてはいなかったのよ←無反省で若気の至りな典型ね・・・(汗)。

 

元ニュースはコレ>ニートの人々は、就労経験が8割もあるが、うまく行かないから辞めているということ。http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070629k0000m040043000c.html 

 

やはり、離職・転職を繰り返していると、たとえアルバイトや契約社員といえども、自信はどんどん目減りしていきます。しかも、その理由が、他人からの理不尽な押し付けだったりしたことが多いように感じているかもしれず、蓄積してきた人生の経験が、かなり彼らの負担になっていることは事実でしょう。

 

あ、また明言しておきますが、私はニートを責めたいと思っていないし、支持するつもりもなく、あくまで事実を知りたいというスタンスです。考える中で、どれがどのくらいの事実に当たるか、考えるのは無駄じゃない・・・。

 

しかも、私も16歳から24歳半の渡米まで、正社員になったことは一度もなく、40代になった今でも、会社を自営するようになったから正社員としての社会保険等をもらえる身分になったものの、実際は、流れ者だったり、落ち着かないギャンブラーだったりすることは、まったく否定できません。しかも、私はそれを「自分にとても適っている」と考えています。

 

問題の対人関係ですが、私はウェイトレスから出発して、ほぼすべての作業が、対人関係に左右されるようなものばかり選んできたので、今回の翻訳以外は人との交渉がなく、内職的作業に徹するというのはあまりないのです。内職的作業は、小さい頃、母の内職を手伝ってお小遣いを稼いでいたことや、学校に戻って勉強をがんばった頃に培ったので、たいへんに好きなので苦ではありません。が、対人関係がゼロの仕事というのが、そもそも考えにくい。まずは導入での面接や、その後も最低限の人との接触は考えられても、給料をもらったり査定されたりと、人はどこかに必ずついてくるものです。だから、対人関係がうまく行かないという人には、仕事に就き、さらに続けていくというのは、ハードルが高く感じられるのでしょう。

 

なぜ対人関係がうまく行かないのか?「それはあなたがユニークだからです」とみんなに言ってあげたいなと思うのですが、すべての人に言えるかどうかはわからないというのも事実です。対人関係がうまく行かないと思っている人にチェックしたい項目はいくつかあります。

 

まず聞きたいのは、「サバイバルスキル」が身についているかどうか?ということ。あまりに漠然としている語彙ですが、生き延びていくために必要な技術が身についているかどうか?ということなので、けっこう具体的なことが言えます。自閉症や精神発達の未熟な子どもたちへの教育で、この言葉がよく使われるので、イメージとしてはよくないのですが、実際は、どんな種のどんな子どもでも通る道なわけです。子どもに立ち返り、そこで培って学習するはずだったスキルの見直しをしてみること。コレが大事なのですね。

 

ニートの記事では、「過去いじめにあった」「ひきこもり」「職場で友だちを作るのが苦手」などという項目があり、これは、サバイバルスキルに関係していないのかどうかを考えてみるのも一考です。

 

生き延びていくためには、衣食住をまず確保すること。マスローのニーズの構図と酷似しています。自分に至らない部分があれば、その衣食住を補ってくれる人や道を探すこと。それが探せないのであれば、やはりサバイバルスキルに欠けているわけですよ・・・。まぁ、ニートという人口が、仕事が続かないというわけだし、技術向上や能力向上のために学校にも行っていない状態を指すわけなので、サバイバルスキルが万全だとは言えないわけなのですが・・・。

 

けれども、実際には生き延びてこられてきているわけで、それはなぜなのか?誰かがやっぱり助けてくれているわけです。この事実に気づくだけでもすごいでしょ?誰かに生かされているんだよね。それについての感謝があれば、きっとがんばれると思うのだけれども、その気づきや感謝というのは、誰も強制できないし、裡側からフツフツと湧いてくるもので、私が考えるにそれこそが、「生命力の鍵」だと思うのです。脳や身体全体が健全な範囲であれば、必ずここから出発できます。人は知性というのを過大評価しているようですが、実際は、積み重ねなので、ゼロから始めていいわけです。理想を押し付けられた側にとっては、非常な重みを持つので、「あるべき姿」はここでは触れないでほしく、本人が「どうありたいか」という一回りだったり二回りだったりする目標を掲げてほしいものです。

 

知性:(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。(2)感覚によって得られた素材を整理・統一して、新しい認識を形成する精神のはたらき。

 

子どもの頃に、ぬり絵や積み木やままごとなどをしたのはまったく必要なスキルを身につけるためで、素材を整理・統一して、新しい認識を形成してきたわけです。じゃ、みんなそれをやればいい。大人になってもやめなければいいだけの話なのですよね・・・。砂場でシャベルが欲しければ、「貸して」と言えるようになればよし。もしも所有者が使っている状態だったらば、「待つこと」を学べばいい。その待っているあいだに他の作業をすることができるようになればいい。借りることができたら「ありがとう」と言えて、笑顔をにっ!と見せることができればお互いが気持ちいいということを、体験できるとなおよい。

 

私は、こうした積み重ねをどこかで大きく欠落してきた成果が、ニート現象なんだと思っているわけです。対人関係がうまく行かないというのも同じ。失敗の経験ばかりを思い起こし、成功した体験を回りも褒めてあげなかったのだろうし、叱咤ばかりが強烈で、がんばる気持ちになれなかった、というのもあるのでしょう。けれども、大人になってしまったあと、他人のせいにばかりしてはいられない。実際に、ここまで生き延びてこられたのだから、誰かに感謝する気持ちはあってほしいと思うのです。

 

私も、母がいなければ、日々の時間は倍必要です。しかも、こんなに家の中はきれいじゃないはず(笑)。ごはんにもバラエティはないはずだし、笑いも少ないはずです。ネコたちがいなければ、私はもっとイライラするはずだし、西さんがいなければ私は知的構造を放り投げたくなるほど意気消沈してしまうでしょう。社会動物なので、他の人々に支えられていることは意識したほうがいいし、そのほうが何倍も人生は楽しめるのですが、その醍醐味がわからない状態の人たちに、誰かが楽しさを披露してあげることは大切です。

 

しかも、すべての人たちと関係がいいわけもないのよ・・・。それがたまたま自分の親だったり兄弟だったりすることもあるでしょうよ・・・。それで自責して、さらに殻に閉じこもることなどないように、誰かが声を大にして言ってあげてほしいなと思うのですが、あまり有効には働いておらず、ニートの数は減っているわけではないので、どうしたらいいもんか、と、私も考えています。パチンコやさんにはパチプロを目指している人たちがたくさんいて、まだニートよりいいのかな?などと思うのですが、本人が楽しくて向いていればいいわよねぇ・・・(ここで謎なのが、スーツを着て会社には行かず1日パチンコやさんに居る人々なんですけどね・・・)。

 

私は大切にしたい対人関係はたいへんうまく行っていますし、今後も「大丈夫・OK」な対人関係は維持していけると思います。ダメだったら、お互いが無駄すぎる労力を使わないようにしたいですし、「この世には64億人も人がいるんだから」と至って明るいわけです。私の生命力は恐るべしなのよ(自嘲)。