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幸福度を測ってみる その4

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02/27/2007 にアップした文章です。

 

今日が最後です。自分がどんな暮らしをしていて、だから・・・どれくらい幸福なのかを考えるために、こんなに長いことになってしまいました・・・。幸福度は、その場の感情や本能に根ざしたものだけで成り立たない。私たちは、生命体として、生かされており、支えられており、がゆえに、参加者として伴う義務や責任も果たさなければならないことは、わかってきてもらえたかと思うのです。論客と言われる人々がいます。政治家であったり、TVで専門家としてコメントしたり、マルチタレントとして影響力のある意見を述べたり、対象人口が狭まっても、やはり人に影響を与える人々というのは、差異が存在する限り実在します。業界のドンとして君臨したり、子どもにとっては校長先生や教師などもその対象ですし、スポーツ選手やアイドルたちもそうなのです。

私にもたくさんの「影響を与えてくれた人々」がいました。大学に30歳過ぎて戻ったときに、私はいかに瑣末なことに心囚われてきたのだろう、と、世界が開けました。じわじわと感じたことだったのですが、ひとつ大きかったのは、物理人類学の授業で、エチオピアで発見された数万年前の人類の最初と部類される猿人類の学者のエピソードでした。二本足で立ち、足にサンダルを履けるようになった彼女に、学者グループは、Lucyという名前をつけます。http://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_%28Australopithecus%29 それは、Beatles世代のユーモアで、発見当時に掛けていた曲の登場人物でした。”Lucy in the sky with diamonds” http://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Johanson その後、私は彼が創立した「ヒトの起源研究所-the Institute of Human Origins」に実際に訪れることができるようになりました。私の通う大学にあったのです。

ヒトというのは、こんなに長い時間を掛けて進化したものだということ。私など、ゴビ砂漠の砂の一粒にも値しないかもしれないこと。それでも、確実に存在し、こうして考え、消費し、他人や物事に影響され、また時には影響し生きているということ。そして、この世には、ビートルズの曲を掛けながら、家族と離れ海外に暮らし、そのために基金を得る努力をし、小さい斧のようなもので丹念に発掘作業をし、人類のために英知を残そうとしている人間もいるのだということ。そして、その人は、移民で2世であり、私もアメリカに移動して1世になることは可能かもしれないということ。本当に、いろいろなことに辻褄が合ってきて、自分の幸福を求める動機が、いかに狭かったかに思い至るのでした。

私は手に職をつけ、パイロットになり、父がなじられて見下されたように、他人様に「運転手のくせに」に言わせない暮らしをしたかった。子どもにひもじい思いをさせず、できたら裕福な側に立つことを夢見ていた。義憤があったからこそ日本を出たはずであるのに、自分の才能が届かないのは、努力が足りないせいだとは認めなかった。

そんなわけで、いっぺんに子どものころ、「仕方なくやっていた」「大嫌いだった勉強」が180度見方が変わり、好き嫌いではなく、ほぼ使命感のようになり、もっと世間について知りたくなり、できることなら今だけではなく、過去も学び、未来に役立てることに加担したいと思えるようになったのでした。でなければ、自分やその周囲の人たちだけが倖せでも、私の心は焦りや恥を感じるに違いないと思えるようになったからです。宗教や哲学が教える「モラル」「あるべき姿」ではなく、本当に続いている生命を知ること、証拠つきのもの、これは大きな収穫でした。それを紡いでいる人々がいて、昔から、職人が好きであったのは変わりませんでしたが、それだけではないのだということがわかりました。それを曲解しないよう、論理的な考え方ができるようになるため、私は英語のエッセイを書くのに、教師と言い合いもしましたし(英語で!)、宗教学のエッセイは同じ題材を9回書き直しました。が、どれも楽しかった・・・。労働史も移民史も、生物も化学も、みんなみんな楽しかったのです。それからは、動機や視点が変わってからは、勉強は大人になってしてみるもんだなぁと思ったわけです。

家を購入したのは、わずかな頭金で、家賃をどぶに捨てるようなことを重ねなくて済むようになるからでしたし、学校をずっと続けてきたのは、今、目先のお金にあくせくして働くよりは、実力を積み重ねていく覚悟が決まったからとも言えます。そして、それが証明されたかのように、現在、もし自営がうまくいかずとも、いい歳をこいていても、食べていける道は確保されていることがわかりました。

子どもの頃は、「どうしてうちばかりが・・・」「どうして私はここの家の子に生まれたのだろう」「どうして私は東京に育ったのだろう」「どうして私は日本人なんだろう」「どうして私は女なんだろう」と、不平ばかりに目を向けていましたが、名もないまま死に行った人々を、丁寧に記念碑を設けたり、語り継いでいる「記録好きアメリカ人の姿勢」を見ることで、元気づけられていきました。日本人は、「アメリカなどたかだか200年くらいの歴史ではないか」などと言いますが、別に多国の歴史などを論(あげつら)ってもいいことなど見えてきません。むしろ、公平であるために、無名の人々の功績を忘れないために、せっせと記録に残す人々はステキではないかと、私は思うのです。そんな俗話とも民話とも取れるようなものを、どうしても証明したいがために、一生懸命に時間を費やすのも、また人生のひとつの暮らし方です。みんなが柳田国男なわけでもなく、みんなが歴史小説家になれるわけもなく・・・。

私は、それについて気づいてから、この世というものがいかに大きく、いかに大きな図柄があり、そこに偶然のように私が組み込まれて生まれてきたのか、に思い至るようになってから、ずっと倖せに暮らしてきました。もちろん「なぜ生まれてきたのか?」という大きな命題は、偶然である要素を除いては、解けるものではありません。が、与えられたものに感謝し、精一杯やっていく覚悟はできました。時折、事故があり、事件の被害者にも2度なりましたし、持病もあり、平穏無事な日々ばかりではありませんでしたが、だからこそ、この差異のおかげで、ヨロコビは大きくなり、悲しみは軽減していくことを、身をもって体験する日々が続いています。

母を誹るわけではありませんが、彼女は一生懸命に、西さんや私や孫や弟一家や叔母やボーイフレンドなど、自分の周りの人々の倖せを第一に考えています。が、それだけでは足りないことを知ることができて、私は本当に幸せだと感じているのです。母には無理を強いることもありますが、大義のために私を信じてくれるよう、毎日ケンカのように説得するのも「いとおかし」なのです。いや、道のりは険しいですよ。なんたって母は、私が英語が話せるとはあまり信じていないようだし、パイロットのライセンスについてもまだまだ疑っていますから(笑)。

この大きな図柄がわからないうちは、きっとシュミや娯楽、自分が長けている技能や能力、関わりあう偶然や行動範囲に左右されて生きていくことになります。これがわかってきたら、自分の「選択肢」がいかに多いのか、大きいのか、きっとわかるようになります。「仕方ない」「どうしようもない」「できない」ではなく、「どうにかなる」「どうにかする」「できる」に方向性が変わります。特に、人間関係では、「言えない」「できない」が多いものですが、そんなことを避けて暮らしていくことを選ぶことができるようになります。もしもそんな出来事にぶつかっても、自分を曲げず、大きな図柄を変形させず、他人に強制をせず、という、犠牲や無理が最小値である道を選ぶことができるようになります。いや、私もまだまだ勉強中で、母とは毎日のように言い合いをしているのですが、大筋は間違っていないと確信を持てています。

ここでもなぜか二元論になっています。この大きな図柄を見て取れて組み立てができるかできないか、のふたつ。これは、幸福度を測るためだけではなく、自分がどんなヒト・生命体・男女・大人・子ども・孫などなど、どんな立場であっても、出発する「与えられたフィールドとその仕組み」についての理解です。

こんなことを書きながら、一度に3つくらいのことをしている私は、TVがおろそかになっており、ちょっと反省しました。エネルギーの無駄についてやはり考えています。が、私の生産性をアップさせるためには、ひとつのことを集中してやるのは、記憶を要する勉強だけなのでした・・・。だから、今も、『アタック25』に出たいなぁと思っています。クイズに答えながら、将棋のようにいくつもの可能性のパターンの先読みをし、見られている緊張と戦うなんて、おもしろい組み合わせの3つです。できそげです。

あなたはどのくらい幸せですか?あなたの周りの人は?意見に手落ちがある人々は、まだこの大きな図柄がわかっていないか、見えていても見ない部分を意図的に増やしている人です。人の器が量れるかもしれません。

長文のシリーズ4の通読、お疲れ様でした♪