弱肉強食の論理

03/27/2008 06:00:00

またもやすごい事件が・・・。日本でも無差別殺人がどんどん起きているようですが、私もぼーっと駅では読書しつつ歩いていたりするので、気をつけねばならぬとつくづく思いました。しかも、荒川沖という駅は、西さんが勤めていた会社の工場がある近く。うーん、本当に他人事などではないのだ。シリアルキリング(Serial Killing)の場合、殺人者はどうしてもその愉楽を長引かせて、もっと殺す瞬間を楽しみたいがために、弱者を狙い、なるべく捕まらないようにする傾向があるようです。そうでなければ、殺人行為そのものが成功しないということもありますが、相手が強者であれば、殺人という目的が叶わないからです。あなたは弱者ですか?強者ですか?

 

私は簡単に弱者であるとお手上げ万歳ポーズを取ってしまいますね。電車の中で、強気で「足を踏まないでください」とも言えないし(だって、雪崩現象だから、そもそもの元がどこにあるのか、あんなもの判別がつけられないので、真横やまん前にいる人を責めてもどうしようもない・・・)、実際によく本を手にして、しかも読んで歩いていますし、職業柄、かばんの中はテキストやらいろいろが詰まっておりけっこうな重量があり、腰痛持ちですから、それほどダッシュできるとも思えず・・・。無差別殺人であれば、私は格好の弱者で、刺せるし、撃てるし、殴れるだろうなぁと、冷静に考えますねぇ・・・。

 

私は電車で眠ることはほぼなく、母のように電車で眠るのがシュミでもないので、いつも新宿往復は特急か準特急(どちらも停車駅は同じで、新宿から出て明大前に停まり、次が調布)に乗ります。読書をしたり、添削をしているあいだで、15・6分はすぐにさくっと過ぎます。各駅だと、母の話によるととても気持ちのよい35分が過ごせるのだそうです(笑)。が、あれも、バッグを抱えて眠っていないと危ないのではないか?などと思うのは、私がアメリカに住んでいたせいなのでしょうか?スリの妙技というのを私は目撃したことはないのですが、池波正太郎の『鬼平犯科帳』にもたくさん出てきたし、パリやイタリアと同じくらい、東京には妙技を持つスリがいるような気がしています。眠っている人の横に座って、なんて技は子どもだましなんじゃないかと・・・。うーん、でも、数千円くらいしか持っていない人のほうが多いのかなぁ・・・。

 

さらに、弱者狙いと言えば、夜のガソリンスタンドというのは、アメリカでは「殺されるかもしれない危険が高い」職業になっています。夜シフトは引き受けない人が多いです。コンビニもそうです。タクシーの運転手さんや売春をする人々は、最初からそのリスクをそれなりには理解していると思うのですが、アメリカの常識から行けば、それらも危ない職業のうちに入ります。弱者だと自分をみなした人はおそらく就かない職業です。昼間でも、ガラス越しにしか話ができないような作りになっているガソリンスタンドはたくさんあって、手すら入れられない。今となっては、キャッシュよりもカード取引のほうが多いですが、小銭でわずかずつしかガソリンを入れない人も未だにいるので、小銭(チリも積もれば山となる方式)を扱う職業で、人員が少ない場所は危ないです。弱者だと思える方はそういう職業は、日本でもやめておきましょう。

 

が、もうちょっと考えてみるに、人を襲うような、危害を加えるようなことをする犯罪者というのは、強者なのかどうか?ということ。もう一度、よく考えてみたほうがいいのかもしれません・・・。

 

弱者:弱い者。力のない者。社会的に弱い立場にある者。⇔強者

強者:力や権力の強い者。⇔弱者

弱肉強食:〔韓愈「送浮屠文暢師序」〕弱者が強者のえじきとなること。強者が弱者を思うままに滅して栄えること。優勝劣敗。

 

Wikiではこんなふうに出ています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%BC%B1%E8%80%85 >社会的弱者

所得格差による差別 – 低所得者を貶して見下し、酷く扱う社会的風潮。

ジェンダー(性差)による差別 – 男性差別、女性差別など。ジェンダーによる勤務時間や給与差、世間体からの評価・扱いなど。

アクセシビリティ – 身体的能力、学歴、社会的スキルなどによる差別。交通弱者など。極端だがしばしばみられる例として疫学的理由のない隔離など。

法律的・文化的な差別 – 国籍、人種、エスニシティー(民族性)による差別。

マイノリティ:社会的に数の少ない集団、あるいは発言力の弱い集団。

私は、やはり生物学的な弱肉強食の意味を基本にしたほうがいいとは思うのです。ですから、実際には、『弱肉強食論理』などというものはありえない、というのが私の結論です。社会的に照らし合わせて、どうも好き勝手な解釈をしている人が多いのですが、その基が、「社会ダーウィニズム」を唱えた、Herbert Spencerです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96

 

社会的意義がなかったとは言えませんが、混同は混同ですね。正しい正しくない・強い弱いという自然界の摂理だけではなく、社会はもっと違うたくさんの複雑な要因で物事の方向性が決まります。自然界の摂理のすべてが通用しないのは(大きく影響していますが)、この複雑多岐に渡る要因のすべてを網羅したもので、法則性を見出せないことにあります。だから、心理学や社会学などは、エセ科学などと呼ばれてしまうわけです(汗)。

 

ひょっとしたら、犯罪者の側、強者の仮面を一時的に被る人々も、どこかでやはり社会的弱者なのかもしれません。

 

もうひとつのアングルとして、この一連の報道で思うのは、何をやっても言っても、親はいろいろなことを言われるのであろうということ。すでに、父親がまともに「定職につけ」と言ったことだけで、「父との確執」と書いている見出しもあるし、会話が少なかったことなどにも言及されており、人の親というのは、本当にたいへんなものなのだと思わされます。24歳にもなった息子が何をやろうと、個人として責任を取れ、取らせろと、私などは思うんですが、どうなんでしょう?私のほうが厳しいのでしょうか?

 

なんだか、広げるだけ広げておいて、解明したり、自分の意見をしっかり言っていない気がしますが、ちと忙しいので、次へのお題として残しておきますね。これ、夕方の空いている時間に書いているのですが、ニュースで新たな情報が次々と出ているようです。まだ、何も確固たることは言えそうにないですし・・・。私が自分に出す宿題になってしまいました・・・(汗)。

 

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