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強さと優しさ

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12/13/2006 にアップした文章です。

 

言い古されている言葉なのですが、「どんな男の人がいい?」という質問に、「強い人」「優しい人」という、とてつもない漠然とした言葉で返す女の人がいます。コレ、一体どういう意味なのか?と、私は10代の頃から考え続けているのですが、このスケール(ものさし)なしの形容詞ほど曖昧なものはないじゃないですか・・・。強くて優しい人だっているに違いないのに、なぜある一点を美点とするのか、しかもこのふたつはやたらとポピュラーなのか・・・。不思議でなりません。私は、このふたつとも、かなりどうでもいいと考えているからなのです(爆)。

強い:(1)(物が)かたくて処理しにくい。弾力がない。(2)気が強くて、こちらの思い通りにならない。強情だ。(3)疲れる。骨が折れる。(4)つよくはげしい。たけだけしい。(5)征服するのが困難だ。手に余る。(6)生硬だ。こなれていない。無骨だ。

優しい:[一] (1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。(3)上品で美しい。優美だ。[二] (1)身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。(2)心づかいをして控えめである。つつましやかである。(3)(節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。

私個人は、強い人だと他人から言われることが多くあります。優しい人だというのも、知り合って長い人からはしみじみ言われます。が、第一印象では、圧倒的に強い人なのでしょう。この辞書の強いという意味を、噛み締めて考えると、強い人ってすごいわね(笑)。けれども、強いと言われても、頑強で少しのことくらいにはめげないというのが、強いという意味なので、あながちハズレているわけではないのでしょう。

私が最初に真剣におつきあいをした相手が、電気通信大学に通っていた、同じバイト先の6歳年上の人だったのですが、彼がいみじくも言っていたのです。彼のタイプの女性は;気が強くて自分の手に負えない人。ぎゃはは、私がそうだったのか・・・。つい最近、彼のフルネームを検索したところ、そのバイト先だったところにどうやら数年前くらいまでは働いていた形跡があります。27年も前のことなのになぁ。その彼は、強い人だったのかどうか・・・。大学を中退し、そのバイト先に就職し、稼業が傾いたため帰郷し、持ち直したのかすっかりダメだということがわかったからなのか、その後、また同じバイト先に再就職し、今に至っているのでしょうから、強い人だったのでしょう。優しい人だったのか。ひどく優しい人でした。どんな人に聞いてみても、「アイツは優しい」というような人だったのです。が、私はソレを見ていたわけじゃーないんだよなぁ。なんてもったいない・・・。皮肉っぽい厭世観が、ピカイチだったのよ・・・。同じ匂いがしたっていうのか・・・。それでいて、すべての世間から離れるなどという離れ業ができる器を持っていないことを熟知しており、なるべく自分を自分のままにキープしつつ、やりたいことをやりつつ、世間を広げていこうとしていたように見えたのです。

私はその彼とは、帰郷する直前の時点でプロポーズされて別れたんですけどね・・・。強さや優しさに注目していたら、結婚していたでしょうか?強さや優しさの奥行きも知らない10代の小娘に何がわかったことでしょうか・・・。40過ぎたって、強さや優しさについて、こうして思案しているんですから・・・。

けっこうな数の人は、強いと優しいを、相容れない反対の性質のように捉えているところがあり、たまーにびっくりします。強くても優しくあれるんだよ、と説明したい気分になってきますが、やはりそれも自分で学ぶ領域なので、放置です←冷たいんだよね、私は・・・。

ほれ、お料理でもそうではないですか。あんこの甘さをしっかり出すために、ほんのちょっとのお塩を効かす。そうすると、甘さに幅が出る。あれと人間もそう変わりはなく、強さを引き立てるための優しさや、優しさを引き立てるための強さなどもあり、別にこの2個だけでもなく、いろいろな要素は共存しあえるのである・・・。むしろ、幅がいろいろあり、引き出しにたくさんのものが詰まっていたほうが、人間おもしろいのではないか?と思うので、好きなタイプの男の人を尋ねられたときに、「強い人」「優しい人」と、即答するのがちょっと愚かに見えてしまうような・・・。さらにもっと言わせてもらえれば、レストランや飲み屋さんの隣の席で、若い女性たちが、共通の知り合いである男性陣を「強い・優しい」などのタイプ分けをしているところを見ると、「若いっていいわね。ふぅ」と思ってしまいます(爆)。

たぶん、たぶん・・・なんだけれども、コレが嵩じると、おばさんになってからも、物事をかなり二元論でだけ捉える癖がついていくのではないかと思うのよ・・・。

「気前がいい(金遣いが荒い)-お金に渋い(ケチ)」だとか、「安い-高い」だとか、モノを見ても「高級-庶民的」だとか、「難しい-簡単」だとか、まぁ、いろいろなことを、あんまり深く考えずに安易に2種類に分けてしまうんじゃないかと思うわけなのよ・・・。ま、母を見ていてそう思う、私という娘もたいへんに失礼なのだよね・・・(爆)。佐藤ゆかり vs 野田聖子の支部長問題だとか、児童虐待だとか、いろいろなニュースを見ていても、母の感想は、かなり二元的なのですよ・・・。でもね、自分にはその二元論は当てはめたくないわけなのです(爆)(爆)。自分は、優しいところもあれば、強いところもあるわけなの・・・。バカなところもあれば、賢いところもあるわけなのです。うっかりなところもあれば、神経細かく注意深いところもあり・・・。「だったらTVに出てる人たちだって、隣のおばさんだってみんなそうでしょうよ」と私が言うと、「そうだよねぇ」と答えるんだけれども、翌日また同じ調子で好き勝手なことをTVに向かって言っている(爆)。

昔からそうだったのだから、「もう放っておきなさいな」と西さんなどは言うのですが、私は放っておかない依怙地なところがあるので、母は「もういい。お姉ちゃんはうるさい」と・・・(爆)。でもねぇ、この強さと優しさは、二元論の象徴的なポジションにあるようで、どうも日々の暮らしのコレに、私の中では繋がってしまうわけなのです・・・。

人は精一杯自分の人生と愛する人の人生を抱えて暮らしているとはいえ、もうちょい、他人の心にもゆとりがあるといいのにな、と、正義ぶってゆとりを見せている私なのです。本当はゆとりがあるかどうか不明なのですが・・・。私のこんなところを「優しい」と言ってくださる方がいるのですが、コレは優しいのではなく、自分のためにしていることなので、まったく優しいわけではないですね。つい2日前、ゼッタイに潰れない会社経営の方針・方向性を見つけてしまったので、かなり気分よく暮らしていることは確かです。どこからが自分のためで、どこからが他人のため、などと考えないのがいいのかもしれません。日本に戻ってきて3ヶ月半、やっと日本の仕組みがわかってきたように思います。

強いとか優しいなどというのは、やはり私にとってはかなりどうでもいいことで、誰の中にでもあるその部分たちを、どこから見て、どのように測っているのだろうか?と、やはり謎は大きいのです。横溝正史や江戸川乱歩やその他の巨匠たちが描く、犯罪者たちだって、優しいところはありますもん。「あー、わかるわかるぅ」という共通項にあまりに縛られていると、脳みそが凡化しすぎてしまい、キラキラオリジナルな人生が送れなくなるかもしれません。ご注意を♪