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必殺シリーズ再開

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02/20/2007 にアップした文章です。

 

ミーハーなところも、わずかながら残っているところで、自分でも驚いてしまいました(笑)。中村主水シリーズの必殺仕事人が再開されるのだというニュースを、エンターテイメントコーナーのような、ワイドショーで見ました。そこで、私はまたGoogleってしまい、昔のいろいろな必殺シリーズをなつかしく読み返していたのでした。どのくらい頭の中で映像化して戻ってくるかな?と楽しみだったのですが、やはり子どもの頃の記憶って残っているものなのねぇ。びっくりだわ・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%85%E6%AE%BA%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA 
ここに貼ってあるリンクへイチイチ飛んでいくと、果てしない時間がかかってしまいます。お時間がない方はやらないように(爆)。夜中や昼間、孤独を持て余している方はぜひどうぞ♪私など、終えてしまわねばならない仕事があったにも拘わらず、飛び尽くしてしまい、後から時間が押してしまいましたわ(笑)。

中学1年のときに転校生としてやってきた子と2年生で同じクラスになり、その子の叔母様が女優の白木万理さんだったということがあり、なぜか必殺シリーズは、10代後半になっても見ていました。もともと、小さい頃、緒方拳や山崎努で味をしめていたのもあり、その後、ヌーボーとしている中村主水シリーズも、差の文化について考えるには、たいへんにいい材料でした。すっぱりきっぱりの勧善懲悪な時代劇に、ヒネリを加えたものは、大人になっていく脳の過程にいい刺激になったようです。

さらに、勝新太郎の尽力により、「暗いシリーズ」「悪の主人公」が世間に受け容れられるようになっており、『座頭市』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A7%E9%A0%AD%E5%B8%82 だけではなく、『木枯らし紋次郎』などの、変則的ヒーローというのも存在していたせいもあります。私も上条恒彦が歌った主題歌を、ブランコに乗りながら歌った記憶あり(笑)。♪どこかでぇ、誰かがきっと待っていてくれるぅ♪と(爆)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9E%AF%E3%81%97%E7%B4%8B%E6%AC%A1%E9%83%8E 

そうでなくとも、子どもはウルトラマンやキカイダー、マジンガーZや仮面ライダーその他、デビルマンとルパン三世以外には「影」を前面に出したヒーローをあまり慕いません。わかりやすくないわけです。あしたのジョーにしろ、タイガーマスクにしろ、暗い面を払拭したあとなら共感できるのでしょうが、それほどわかりやすくもなく、現在の強さや、悪を倒す場面にばかり心が持っていかれてしまうわけです。デビルマンにしろ、ルパン三世にしろ、かなり高度な題材を使う、心理的ドラマの多いエピソードがてんこ盛りでした。

私という子は特に善悪について、きっぱりすっぱり分けることが嫌いで、それはいつも自分の裡側に悪があり、規律を守れない何かがあり、それを全否定することで自分がなくなって(消滅して)しまうかも、という恐れ、畏怖のようなものを感じていたせいかと、今となればわかります。そのせいなのか、勧善懲悪ではないマンガや時代劇は、かなり魅かれました。

うーん、またここで、陽さんに私という人間解析のヒントを与えているのか?(爆)

えらいこっちゃ!と思うのは、当時、必殺シリーズは、「子どもの時間」を過ぎた時間の放映だったのです。夜10時よ(爆)。私の記憶が正しければ、金曜日の夜といったところが多かったはずなので、週休2日制度ではなかった当時、どうして、私の親たちが起きていることを許していたのか?と、あの親たちの大らかさには、舌を巻くしかありません(笑)。たぶん、両親もあの番組が好きだったので、「気持ちはわかる」「明日学校に行ってつらいのはあんたなのよ」テキな緩みがあったのだと思われます。私は、睡眠時間が足りないと、翌日使い物にならないのです。それは子どもの頃からまったく同じで、当時は9時間も寝ていた気がする(笑)。今ですら、7時間は確保しないと使い物になりません。足りないと昼寝を、90分単位で計って寝るくらいですから。だから、「きっときくみのほうがすぐに降参してしまい、寝付くだろう」くらいに多寡を括っていたと見るのが、最も妥当な線でしょう(笑)。実際に、抜かしてしまったエピソードもたくさんあります。

必殺シリーズの好きなところは、「法の抜け目を潜り抜けている強者をやっつける」という設定(爆)。基本的には、金銭で請け負うのですが、たまに「お金抜きでやる仕事」というのもあったではないですか。それに、実際に殺す相手たちの「難易度」がどうであれ、なぜか請負料の配分は同じ。これも、子ども心に「いいなぁ」と注目していたことのひとつなのです。

お金のやり取りがあるということをどう見るか?というのは、その後の個人の態度や基本理念を培います。特に、江戸時代の時代設定で、法に不備がたくさんあり、平等ではない士農工商の封建制のなか、弱者が泣きを見る割合というのは、本当に多かった。山本周五郎の作品の中にも、貧乏人のお金とプライドに関するくだりがあります。特に「」裏の木戸はあいている』の中に、ある小役人が、小銭を木箱にいれ、好きなときに好きなだけ借りていい、という制度を設けるのです。利子はなし。誰がいくら借りたかというのも書く必要もなし。申請もしなければ、誰にも顔を合わせる必要もなし。返済期限の決まりもなし。ただ、返すことができるようになったら必ず返す、というだけ。最初のうちは減るばかりだった木箱の中の中身も、徐々に返済金が入るようになります。共感してくれた商家や役人が足し前してくれることもあります。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E3%81%AE%E6%9C%A8%E6%88%B8%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%91%A8%E4%BA%94%E9%83%8E/dp/4108202376 
貧乏人は、何の謂れもないお金は受け取ることができず、返すということを支えに借りに来る人ばかりなのだ、というのを信じて、この木箱をずっと設置していくのです。

私も、必殺シリーズで、たとえ弱者であり、吉原に身体を売って都合をつけるお金にしろ、恨みを晴らすためにお金を取るというのは、「プライドを傷つけない思いやり」なのだな、と、見るようになりました。それくらい大事(おおごと)を頼むのです。人の生命です。死ななければまた誰かに対して同じ悲劇を生む人間に、法ではなんともならない相手の殺しを頼む。

私はそのせいで、「どうして貧乏人からお金を取るの?」とは思わないようになりました。私もお金にはごくごくきれいに生きてきましたし、誰かに借りを作るのは大嫌いです。たとえあからさまではなくとも、謂れのないおまけをしてくれることが重なると、本当にみじめな気持ちにもなったものです。なので、私も「払ったんだからやらせてもらう」の態度を諸所で使うことにしています。毎日お弁当2食分を持参して、入院患者のところに届ける役目も、洗濯物を引き受けることも、お金をわずかながら取りました。恩を着せるよりずっといいことで、終わったら恩の引き算足し算などはないことにできると思ったからです。翻訳にしても通訳にしても同じです。本来ならば、1時間4000円は取るところを、1000円でももらえれば、相手に対して卑屈な思いをさせることはありません。外食ばかりが重なり、若くてお給料がない人たちにご馳走してばかりいるのが重なると嫌味です。ワインの1本さえ持ってきてくれれば飲み食いは際限なくできるよう、ホームパーティーをするようにもしていました。

あ、本題から離れたか?(爆)

ジャニーズ事務所の「これでもか!」という作為は感じられるものの、中村主水役の藤田まことは出るようです。どんなもんなのか、たぶん見てしまうと思われます(笑)。しかし、必殺シリーズ1本だけでも、エッセイのお題になるんだな、と、改めて感心してしまった次第です・・・。きゃは♪