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快楽

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08/17/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、快楽というジャンルから遠のいており、欲する気持ちもなく、枯れた気分(爆)。特に、英語学校で、若い世代の留学希望の10代・20代の生徒さんたちと話していると、「うひー、私はどうしてこうも快楽を求めないんだろう・・・」と、謎なくらいな気持ちになってきた(爆)。何をどうすれば、欲が減ってくるのか?と尋ねられて、うまく返答することができるだろうか?と、今日はチャレンジ・・・。

達観:(1)細かい事にこだわらず、物事の本質を見通すこと。また、物事に超然として、悟りの心境に達すること。(2)広い視野で物事を見ること。全体を見渡すこと。

どうも、欲の劇的軽減の元は、この「達観」を無意識なのか、意識的なのか、目指していることにあるような気がしているのです。英語ができるようになり、社会科学をやるようになってから、この「大きな絵柄」「世界の中にある物事や事象や人々のポジショニング」を、相当に叩き込まれたせいなのか、やはり追求し続けてきたせいで、ちゃんと快楽を求める気持ちが減ってきたというのが、最もぴったりした説明のような気がしています。

人間のニーズをうまく図式化したMaslow(すでに何度も引用していますが)の、ピラミッドの中のいくばくかのニーズはしっかり充たしているから、健全な心持で生きていけるのですが、どうも私の場合、それぞれの段階にある要素のQuantity(量)最低限の量で大丈夫らしい・・・。求める質については、厳選しているはずなのですが、それは極上のものか?と問われると自信はなく、ただただ、自分には合致している、としか言いようがないようです。
http://park16.wakwak.com/~html-css/accessup/maslow.html  http://www.dango.ne.jp/sri/maslow.htm

生き延びるためのスキル=サバイバルスキルについて、ここのところいろいろ書いてきましたが、複雑な物事でも、出発点はシンプルで、積み重なって深みや細部へと発展していき、面倒くさがりでズボラな私は、セオリーとしての複雑さは求めていても、自分の生活に取り入れるのは、きっと真っ平ゴメンなのだな(爆)。

衣食住についても、私は着るものにほぼ興味はないのだ。ウィンドウショッピングなど、おそらくしたことがない・・・です。誰かのプレゼントをPre-internet時代に選ぶために、デパートや専門店を、汗をかきつつハシゴしたのは、本当に苦痛以外の何物でもなかった・・・。着るものに関しての私の規準は、「つけていて違和感や圧迫感が最低限なこと」で、その次が「自分も目立たなく、汚れが目立たないこと」だったりして、非常に実用的すぎるんだった・・・。色彩感覚がゼロなわけではないので、イブニングドレスなどには目立つカラーも持っていますが、そんなのは年に数回モノなので、あまり重きを置いておらず、シュミが悪くない程度で、特にファッショナブルである必要などないと思っています。

食についても、コレがイチバンの楽しみだったはずなのに、日本に戻ってきてからはや10ヶ月近く経つので、もうさすがに「満喫時期」は終わった・・・。暑いせいもあるのでしょうが、やはり口が貧しいので、筍やらさんまやみょうがや納豆や鮭で充分なのだ。そしてたまにゆとりがあるときに、お肉が食べられれば、もうそれで充分。至福まではいかずとも、西さんの言う「おいしいものは身体に悪い」をかなり信じているので、粗食がいいと、論理付けしているところがあるからでしょう。しかも、シンプルなものがちゃんとおいしいのだ。健康なんだろね・・・。

住も狭くなければいいのです。もちろん、アメリカスタンダードを考えると、日本は相当にゴージャスにしないと狭いんですが、「この世は仮住まい」と考えているようなところもあり、息苦しいほどでなければ、「慣れていこう」と思っており、19年前まではコレで充分暮らしていたのだし、ネコたちが倖せならば私も倖せなので、やはり狭さには慣れつつあります。地理的にも、高い家賃を払っているので、駅から徒歩3分なので、文句は言えず・・・。車を使う必要性が数ヶ月に1回ほどしか出ないので、特に不自由は感じずに済んでいます。

階層の下から2番目は、安全性ですが、夜11時以降に出歩いたことがまだ10ヶ月ありません。車がないので、10代の頃無意味にドライブをして、過疎なところに出かけたようなことも再現しておらず、知らない人とも口を利いているわけでもないので、行動は規制しているようです。情報は少しずつ取り入れているようで、アメリカの頃の法則性とは違うものを、しっかり学ぼうとしているようです。ただし、地震が多いので、非常袋の点検は、回数が増えたようだ・・・。不安がっているわけではなく、もしものことがあるかもしれないと警戒しているだけなのでしょう。

第3欲求の「帰属意識」はそもそもたいへんに希薄なので、本当にミニマムなものしか求めておらず、いっしょに暮らしている母と西さんとネコたちが心地いいならば、私の心地よさはそれで充足されます。出身校に対して「うちの学校」と思えるほどの愛着もなく(いくばくかあるとしたならば、心理学部の大学がそうかもしれない。本当にいろいろなことを学んだという感謝から出ているのだろうと思う)、何かのクラブに属しているということもゼロで、好きなときにひとりでふらふらというのが基本なので、孤独はまったく平気。孤立だけしないように、そもそもどこかに属することを避けているんじゃないかと思われる。「孤立しやすい性格なことをよく把握しててエライじゃん」と、むしろこの欲求が希薄なことを歓んでいたりもします(爆)。

第4欲求は、自我の欲求なのですが、西さんや数少ない親友や尊敬する人々以外の誰かに認められたいとは思っておらず、サークルをこじんまりさせていることで、これも最低限になっているのでしょう。むしろ、私から見て「外部」な人々に褒められたりすると、たいへんに居心地が悪い・・・。不愉快なくらいになってしまうのは、「あなたは私の何を知っているっていうの?小賢しいことを言わないでよ」くらいな勢いです。へそ曲がりなのか、たいへんにプライベートな人間なのか・・・。楽観性はあるにせよ、ひょっとすると内向的なのかもしれません。必要がなければ、内向的でいたいんでしょう(爆)。

最後の欲求は、自己実現なのですが、コレに関しても、そもそも求めるものが多くなかったので、私の生まれ育ちにしては、過分すぎるほど実現してきたな、感がすでにあります。今後、怠けて求めていかない、という態度ではなく、地道に勉強や労働をしていく中で実現できればいいので、今の自分の一回りか二回り上を設定していさえすれば、今の自分からは逸脱していけるので、強く欲求する必要性などないな・・・と醒めています(爆)。

抜かしてきたと思われるでしょうが(笑)、私はレイプ経験者なので、性欲はもう復活を期待していません(苦笑)。性欲にごく近いもので、シャワーを浴びたあとの脂の皮が一枚取れたような爽快感や、お風呂に浸かったときに全身のホルモンや血流がウキウキ踊っているような満足感や、90分単位で睡眠サイクルがしっかり起きて、夢まで記憶してすっきりなExtraordinaryな寝起き等で代償できるので、さして不自由もなく、欲求は何か積極的に取り組まなければ生まれ出でてこない気がします。

子どもの頃は、貧乏で、欲しいものがたくさんあって、手に入れたいことがたくさんあったのですが、走り続けていつの間にかワインやチーズまで食せるようになり、ヘリも操縦できるようになり、英語が使えるようになり、日々倖せなので、特に欲しいものはないです。欲求というのは「手に入りづらいからさらに欲しくなる」構図があるので、おそらく私は世間を舐めており、「手に入りづらいものは、実際はそれほどたくさんあるわけでなく、実現に向けて邁進努力していく覚悟があるかないか」だと考えているので、ズボラな私は、身になること以上のものを欲しないようになったんじゃないかと思えるわけです。日本の生活にまた戻れるのだろうか?というダウトは、まぁ、順調に行っていますし、これから日本語で学び取得できる資格もけっこうあるので、充実した気分です。それが達観であればうれしいのですが・・・。いや、エゲツないだろうか?(笑)

Typical japanese breakfast image