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性に引きずられる

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02/13/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、私は『樅ノ木は残った』を読み直しています。そこでいくつかハタと思ったことがあったのですが、まずはコレ。Seesaaだけではなく、いろいろなBlogで機能がわんさかついています。その中で、ワード検索やら、どのサイトから飛んできたのか、などがわかるデータがあるのですが、その検索ワードで気になるのが、愛も変わらずポルノ系のもの。性・ポルノ・人妻・浮気・セックス・SMなどなど、私のサイトにそのような検索でたどり着いた人々がけっこういるのだ、ということにびっくりしています。読んでみて残念だったかもしれず・・・。私の文章は長くて堅い(爆)。が、性は生きていくうえで切り離せないものなので、真面目にまた『樅ノ木は残った』から考えてみます。

性:(1)生まれつきもっている性質。生まれつき。さが。(2)男と女、または、めすとおすの区別。→セックス →ジェンダー (3)男女両性間、あるいは同性間において生じる肉体的結合への欲求や衝動。また、それに基づく諸活動。(4)〔gender〕インド-ヨーロッパ語において、名詞・代名詞・形容詞などにみられる、男性・中性・女性などの文法上の区別。(5)名詞の下に付いて、その性質・傾向をもっていることを表す。

今日は、特に(3)について。ちなみに『樅ノ木は残った』は、伊達騒動についてを長きに渡り(10数年スパンくらいで)描いたもので、悪人と評されてきた原田宗輔甲斐が主人公です。文庫で3巻。それほど長いものではありません。いや、充分長いと感じる方もいるか・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%AE%97%E8%BC%94 NHK大河ドラマでの配役も、私が山本周五郎を、TBSの日曜劇場で見ていた頃のもの。これが資料です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%85%E3%83%8E%E6%9C%A8%E3%81%AF%E6%AE%8B%E3%81%A3%E3%81%9F_%28NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29 
亡くなってしまった方々の配役が多いので、イメージが湧きづらいかもしれません。が、私としてはかなり納得できるイメージつくりだなぁ、と思えます。特に、宇乃役の吉永小百合と、伊東七十郎役の伊吹吾郎は、なるほどなぁ、などと思っていました。強烈な記憶がないのですが、読み直してみて、いろいろ思い当たることあり。

このストーリーの中で、佐藤友美がやっている、おみや(滝尾)という、酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の奥女中として仕える、浪人者の兄を持つ女性を見ていて、思うのです。性というのは、人の生き方・行き方を変えると。同じくらいに、原田甲斐の妻もそうです。その対称なところに、宇乃がおり、原田甲斐に生涯、プラトニックで愛されていくわけです。

他人のセックスライフについて、私はとやかく言いたくありませんし、言うべきでもないと思いますし、昔から、過渡期のときの興味を超えたあと、私は性についての興味がそれほど旺盛なほうではありません。20年以上の昔、筆舌に尽くしがたい恩を施してくれた紳士たちは、「いずれきくみちゃんも30過ぎたらわかるよ」などと言われましたが、そして、その「すごい性への倒錯」を心待ちにしていたところもあったのですが(笑)、私の30歳過ぎてからの性への倒錯や、性に引きずられるサガというのは、基準を考えると淡白なものだったようです。寝たきりのまぐろ、とまではいきませんが、それに限りなく近い、おもしろみのない女ではあるのでしょう(自嘲)。私も、自分の考えや感覚が及ぶ範囲で、性を楽しみたいと願うことはありましたが、どうも人間が大雑把にできているらしく、相手が必要であることについて、七面倒くさくなってしまったという感があります。あー、だらしなーい(笑)。私にとっては、Impulse(衝動)でもなく、Necessity(必須)でもなく、「あー、手を伸ばせばある程度なのね。悦楽や愉楽の最大源とは思えないわ」程度だったのです。それがよかったのか?特に、開発していこうという明るい前向きな意志もないまま、性がらみの被害者になったことで、疎ましさや恐ろしさのほうが先に立って現在に至ります。さらに、私には、性よりも楽しいと思えることがたくさんありすぎる。

以前書きましたが、男性の場合には、その衝動や必須に性が充る率が高い。これはどうしようもないホルモンのせいで、さらに男という性のほうに生まれついた悲劇です。ま、偶然のいたずらだと観念していただきたい。ある学者の取った統計によると、男性は7・8分(もしかするともっと短かったかも)に一度は、性的なことを考えたり感じたりしていて、それが身体の反応(脳への自覚、ホルモンや体温の上昇など)で認知できるのです。もちろん、個体本人が認知できるかどうかには個人差がありますし、意識の閾に持って来てばかりいたら、とてもじゃないが、日常生活はまともに送ることができないでしょう(笑)。性犯罪者に男性が多いのもこの理由です。

そういうわけで、女性はラクなのよ。が、山本周五郎にも『おさん』という名作があり、その中には、感じやすく、忘我にまで至る悦楽を、毎回、相手の限定なしに得られてしまう女性が主人公になっています。『樅ノ木は残った』でも再び感じたのですが、こういった先天性を持って生まれ、さらにその種・能力が開発されてしまった女性というのは、男のサガと同様に哀れだったり、つらかったり、誤解されやすかったり、日常のほかのことを楽しめないようになってしまうのだろう、と、考えたのでした。

私はこの点、非常にラッキー?なのですが、男性の誇張自慢だったのか、それとも真実だったのか、処女喪失からわずか2回目でOrgasm(オーガズム:絶頂感)を得た女性を知っている、と聞いたことはあります。さらに、実際の挿入ではなく、触感だけでオーガズムを得られるようになるまでの、経験や時間が短くて済んでしまう女性もやはり実在します。私はまったくダメでした(笑)。オーガズムそのものすら、10年以上かかりましたし、毎回なものでもなく、相手にも左右され、体調や心の持ちようや、時間や、本当にいろいろなものに影響されまくり、それがゆえに、「ええええい!こんなに面倒ならもういいぞ」とお手上げ万歳したクチです(爆)。

男も愚かが過ぎるところが多々ある生き物なので、感じてくれる女性を歓ぶ。が、しかし、自分が開発していく、マメマメしいことが好きなところがあり、誰でもいいのであれば、たいへんに落胆する。逆に、あまり感じてくれない女をまぐろ・不感症・人形などと感じておもしろくもなく、困ったものだと思うのです。もちろん、自分に合ったパートナーが見つかれば、それはたいへんにラッキーなことです。が、個人的に、私は、男の人で行き過ぎた性への興味を日常で垣間見せる人間には、どうもげんなりしてしまう。持って生まれた本能をさらに自分の愉楽のために開花させるのでは、けっこう誰にだってできるのではないか?ならば、あまり人がやらぬことや、やっても他人のためにもなることに勤しむほうが建設的では?などという、個人的偏見を持っています。ええ、ええ、これが偏見であることは認めます。他人が自分の情熱や時間をどんなふうに使ったっていいのよ(笑)。ただ、私は好まない、と。

『樅ノ木は残った』のおみや(滝尾)は、兄の放蕩生活を支えるために、富裕な男の妾になり、すっかり味をしめてしまい、その仕事から解かれると、さらに和尚さん相手に通いで売春をします。が、身体が求めて止まないので、若い男(16歳だよぅ)が仔細あって隠遁していることを巧みに利用し、家に匿い、貢ぐ形で性に耽ります。その16歳の侍は、仕込まれたせいで、自分は性から逃れられないだらしない人間になってしまった、と、文中語ることになります。そして、ここが不思議なところで、ある潔癖な侍と出会い、性に引きずられる暮らしはよそうと決心するのです。が、また、この伊達騒動に巻き込まれ、その潔癖で高邁な侍にある秘密の書を手に入れてくれれば助かると言われてしまい、また自堕落な性生活へと戻っていくのです。女性は、境界線にいる人であれば、常に刺激されていなければ、止められます。その境界線は、人によって違うし、性だけの要素ではなく、学習能力や生活の中心などにもよるのでしょう。

原田甲斐の妻は、原田に抱かれたくて仕方なく、江戸詰めがあると狂人と化してしまいます。4人の男子を産み、育てたのち、40代でも江戸に届出なしで押しかけてしまうほどに、性の交わりを必要としています。が、離縁されてしまう。原田甲斐は、女の肌身を必要としない性質(たち)だったからです。

こうして読んでいると、私には他人事なのですが、きっとそうではない人たちもたくさんいるのだろうな、と、その人たちの暮らしに想いを馳せてしまいます。自分にはあまり関係のないことまで考えて、一体何が建設的なのかわからないのではありますが、ま、一考の価値ありだと思います。しかも、私はコレを、昨日、生まれて初めて乗った、湘南新宿ラインという宇都宮まで向かっている電車の中で考えていたのよ(笑)。いやー、楽しい遠足だった♪

 

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