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恋の失敗の代償

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07/11/2007  にアップした文章です。

 

ここのところ、羽賀研二容疑者の事件が、ワイドショーで頻繁に見られるのだけれども、とうとう、梅宮家の人々も出てきてしまい、私の感想は;「恋の失敗の代償がうんと高くついた例」と、自分のことのようにぞっとしています。私は、青山で一度だけ、あのカップルを見たことがあるのですが、そのときも、アンナさんが「これ、研ちゃんに似合うと思って」と、サマーセーターを買ってあげているところでした。研ちゃんは売り場に居なかったのですが、合流し、袋から出して見せていたところだったのです。なぜ私はあのとき、青山に居たんだろうか?と、思い出そうとしても思い出せない・・・←記憶力だけが頼りの私だっていうのに・・・(汗)。

 

恋のレッスンは重ねたほうがいいにしろ、こんな詐欺まがいの男に恋してしまうと、本当にたいへんだなぁ、と思うのですが、男のほうにまったく悪気がないのだから、始末に負えない・・・。悪いことをしているとまったく思っていないのだから、反省の促しようもないし、つきあっているあいだに変化することを望めるわけもないわけです。こうした「学習のための素地」がない男に対して、どうやったら自分からきっぱり切れるのか?というのは、みんなの課題でしょう。もちろん、男女が逆になるケースもあり、好き放題な女性というのもいます。

 

大昔、私が里帰りしたときに驚いたのは、『メッシー・アッシー・ミツグくん』とかいう男の分け方で、ご飯用の男だとか、車で送り迎えしてくれる男だとか、ひたすら貢いでくれる男だとか、そんなラベル貼りをしていた勘違い女がたくさんいたということ。バブル崩壊頃の話らしいのですが、私はすでに渡米しており、自分のボキャブラリーにそんなもんがなくてよかったよ・・・(汗)。

 

個々に、異性や同性の恋愛対象に対してのどうしても譲れない条件のようなものがあるのは、大まかに分けてふたつに分けられると、冷静な私は考えてしまいます(苦笑)。ひとつは、本能に大きく支配されているもので、容姿や匂いや声の質などで、先天的に個人に属しているもの。もちろん、成長過程で多少の変化はありますが、大きな躍進はあまりないと考えられます。多くの人々は、好みのタイプを選り分ける作業をしています。きつい言い方ですが、「どっちでもいい」という妥協点ならあるのですが、「譲れない点」が複数あるのも事実です。それについては、好きか嫌いかの2種だけになります。たとえば、太っている人が痩せることはできますが、いつも太る危険性を持ちながら生きていくことには変わりがなく、太ってしまったときには、それを理由に、配偶者や恋人から棄てられるという覚悟は、必要だと思います。腋臭などは、イマドキは手術で治るので、誰かに言われて気づいたならば、お金と相談してやってみるのも手です。たとえば、正直で素直な、「セックスの相性がいい相手じゃなくちゃイヤ!」というのは、聞いている側にはかなり露骨なのですが、私個人は、冷静にいい選択だと思います。

 

もうひとつは、情緒的な部分で、受け手の気分や成長度合いも大いに関連してくるので、流動性がかなりあるものです。生理的に嫌悪感がないものばかりな相手を見たときには、この情緒的な部分を大きく捉えるのが、脳の大きなヒトの宿命です。これには、何が正しいなどというものが何ひとつないので、たいていの人が恋愛を経験しているのだろうと思うわけです。本能に支えられている好悪の絶対的領域の外に居る対象者であっても、こちらの点数が高ければ、パートナーとして選ぶのには関係ないわけで・・・。

 

いつ出会うのか?というタイミングがかなりCrucial(致命的)だと思うのです。早生な人間が、同年代の人間に対して、大いなる価値観や世界観や死生観や理想像などを披露しても、かみ合うわけもなく、10代くらいでは、レッスンがまだまだ薄いので、相手を見る目もなければ、相手を探す場所や、相手を判断する基準なども持っていないわけで・・・。データとしての資料がそれほど山積みされているわけでもなく、10代や20代の恋愛は、まだまだレッスン状況なのでしょう。自分がある程度成長しなければ、成長した相手はなかなか振り向いてくれるもんじゃないわけです。

 

なぜならば、人は「同類」を求める傾向にあります。Similarityというのがキーワードで、気分転換に「反対のもの」「めずらしいもの」を求めることはあっても、安定や平常では、「似ていること」「近いこと」が人と人を結ぶ第一要因となります。

 

なので、10代や20代のレッスン中に、Identityの主張をしているさなか、容姿やファッションを磨いているだけで、「かっこいい」「かわいい」を選択肢の第一に形容しているようでは、やっぱり相手も「似たような基準」でしか選んでおらず、そういった意味では、「いっしょに成長していこうね」と魂の純度を認め合えて、高校時代や若い頃に知り合ったSweetheartと結ばれた人々は、私などは見ていてとても「自分にはできないこと」と思えるわけです。私には、そんなバクチをする勇気はなかったのですね・・・。

 

生きていくためのサバイバルスキルを身につけてきて初めて、人々は男女どちらも、サバイバルチャンスを増やすためのパートナーを選ぶはずなので、いやらしい言い方をすれば「損得勘定」というのが、わずかながらでも実在します。ボランティアみたいなもんです。ボランティアは確かに他人のためにする行為ですが、究極的には自分が気持ちいいからするわけです。人を愛するというのも同様で、愛するというのは愛を与えているかのようですが、その愛を与えている行為がやたらと自分で気持ちがいいからしているわけなのですね。損得で考えると、やっぱり自分にとってオトクだからしているわけです。

 

これを恋の失敗の大きな代償と、私はひとりで決めつけているわけではないです。もちろん、若い頃に知り合った人々で、30年も50年も連れ添っているカップルを、私自身数多く見てきました。ただ、その何十倍か何百倍くらい、初恋や10代や20代最初の恋を貫徹できない人がいたというのが、哀しいけれども、シンプルな事実です。

 

実際、First Loveという歌を熱く歌った宇多田ヒカルも離婚しました。19歳で結婚って、純粋なようだけれども、相手が34歳(当時)では、やはり成長のスピードや会得する解脱対象物などに問題があったのでしょう。15年でひとりの人間ができることって、やっぱり人によるけれども、でっかいです。

 

そうした恋の失敗の代償として、結婚まで進んでしまえば離婚が待っており、恋人同士でも思い出の品をひとりで棄てる儀式やら、恋の痛手を癒す期間やらがあるわけです。経済的な損失まで絡んできてしまうと、ちょっと悲しすぎますね。でも、生活の一部を共にしてきたわけなので、恋人同士でもそれはやはり不可避でしょう。

 

私もいくつかのレッスンののち、西さんに出会い、それでもまだレッスンは続けてきたのですが、「もういいや・・・」というのが、今の正直な気持ちです。40代で離婚した芸能人などが、「いつでも恋はしていたいわ」だとか、一度も結婚したことのない人が「恋はしています」と言っているのをよく見ますが、私は自分を熟知しており、恋は災いばかりを運ぶので、もういいです(爆)。恋よりもしたいことが山ほどあって、エネルギーをアレに使うくらいであれば、白地図に色をつけるとか、生徒さんの数を増やすとか、もっとやりたいことがたくさんあるのよぉ・・・。何も、女性ホルモンを分泌することだけが若さの秘訣でもなく、脳内ケミカルだっていいじゃないか!とも思うし(笑)。

 

というわけで、私にはコレ以上、恋の失敗の代償はなさそうですが、恋の失敗の代償を支払っている人々は、きっと道を歩いているだけでも、たくさんたくさんいることでしょう。特に、婚外恋愛をしている方たちは、ぜひぜひ気をつけてください。知らないあいだに、写真を撮られていたり、証拠にメールをデジカメで撮られていたりするかもしれません←って、脅してどうするんだ?

 

私は、うどちゃんたちにブラッシングをしながら、「こういうのが倖せっていうんだよね・・・」と、昔の失敗など思い出すこともなく、のんびりしているのですが、ワイドショーでも「恋の失敗の代償」は大流行のようです。