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恥について考えてみる その1

03/02/2007 にアップした文章です。

 

これは、校長センセがおっしゃっていたことですし、私は小さい頃からよく聞いていることです。西さんの最近の口癖にもなっています。「日本人の美徳の大きなひとつには、恥があった。が、今は・・・」というもの。そこで、「直感」で私が感じるところでは、エジプト遺跡の中にも、「イマドキの若いもんは・・・」とあったのと同様、実際には、過ぎ行く感傷に対して、歳を経たあとに言える言葉なのではないか?と、まず反抗心が芽生え、その横っちょで、「おや、私もいつしか40歳を過ぎたんだったわ・・・。ぎゃはは・・・」と笑ったりするわけです(自爆)。ここで2つ考えられるのは、私の直感が少なからず当たっている可能性と、もうひとつは、私が順調に歳を経てきていないということ(爆)。あるいは、程度こそあれ、そのミックスかもしれないということ。考えてみます。

恥:(1)面目を失うこと。はじること。(2)はずかしいと感じられる行為や事柄。
恥じる:(1)良心がとがめたり、欠点・誤りに気づいて、他人に顔向けできないと思う。はずかしいと思う。(2)劣る。ひけをとる。(名誉・地位などに)釣り合わない。(3)遠慮する。はばかる。

うむ。深い言葉である。ちなみに著名人をはじめ、いろいろな人が、恥と日本文化について語っています。最も著名なものが、『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)という伝統的古典となりつつあるものです。有名であっても、本当手にとって読んだことのある人は少ないかと思います。Ruth Benedict の詳細情報はこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88 が著したもので、1946年、日本の敗戦後に出版されたものです。彼女は、ドイツからアメリカに移民した、Franz Boas(フランツ・ボアズ)という、人類学の父とも呼べるような大家を師とし、Margaret Meadという文化人類学に無くてはならない人を育てました。Boasは他にもRobert Rowieを西海岸にあった私の行っていた大学に運び、それまで「座椅子の学問」と論われていた人類学を、「実際の学問・外にどんどん出て行く学問」とした人なのである・・・。そんな彼から、Ruth Benedictが学び、著したものは、たくさんの批判がされているものの、やはり名著であることは確か。

コロンビア大学には、東洋文化に強い人が、伝統的にたくさんいるのだ。Donald Keene (ドナルド・キーン)は間違いなく、私よりも古文と漢文に詳しく、語彙についての造詣が深い。ついでだから書いておくけど、司馬遼太郎との対談などを読むと、日本人だと名乗ることがたいへんにおこがましい(笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3 

去年公開されたClint Eastwoodの Flags of Our Fathers(父親たちの星条旗)と Letters from Iwojima(硫黄島からの手紙)は、60年後にあの事実を振り返った名作ではありますが、いかんせん、資料がたくさんある。もちろん失われたものもたくさんありますが、Ruth Benedictが資料を集めていた時代とは、困難が違います。いや、だけど、アカデミー賞獲るといいけどね♪

私は、どうもここのところ、時代劇や歴史小説が過ぎたので、いきなり毛色を変えて、中上健次の全集を1から読んでいます。しょっぱなから、村上龍が寄せ書きをしており、なんだかぞっとしたのですが、ちょっとペースを変えるにはいいと思っています。が、恥とは対極のところにあるかもしれないし、恥の文化を継承した人がもがいたものとも言えるかもしれない。彼がどんな経歴か知らない人はどうぞ♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%8A%E5%81%A5%E6%AC%A1 

あ、何が言いたかったかというと、私は有史以降の日本文化について「無知」ではないということ。しかも、私はそれらの文化のほとんどを受け容れており、嫌いなどではないこと。私個人が採用していない事柄や質についても、決して侮蔑するものではなく、尊重はまったくのところできるということ。また、日本文化を外側から見ることができたというのは、たいへんに有意義だったこと。著作や学問としてだけではなく、生きたナマミの人間、親日がほとんどだったけれども(理由は歴然。反日の人は、私が日本人だとわかると逃げるから・・・)、彼らの日本とその文化に対する、瑣末である歴然とまとまっていない感性などにも触れることができたこと。などだろうか・・・。

その「菊と刀」を読んだことがあり、しかも英語だったので、かなり合理的に読めたところもあったのですが、「表現しきれていないだろう」と思うところもままありました。こんなすばらしいサイトがあります。もちろん、解説している方の意見、なので、ひとつの見方とも言えますが、全編を通して読んでいない方には、たいへんに参考になります。異文化を持つ人間が、どのように異文化を捉えていくのか、方法論としての間違いはどこにあるのか、感性の違いや習慣の積み重ねの違いが何を生むのか、など、考えるには、たいへんにおもしろい注釈になっています。少し難しい参考や論議がありますが、そのへんは飛ばしてもいいかもしれないです(笑)。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckapj600/chukai0/index.htm 

この人は、ちゃんと著書として著しており、アマゾンでも売っています。http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E8%8F%8A%E3%81%A8%E5%88%80%E3%80%8F%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E6%A3%AE-%E8%B2%9E%E5%BD%A6/dp/4434020277 

ここには奇しくも、統計学がそれほどアテにならないことが書かれており、なんだかさらにオトクな気分がしているのは私だけですね・・・(笑)。

あ、本題にまったく触れずに、こんなに解説と下準備に費やしてしまいました。とにかく、西さんは、愛国心が強いと自分で錯覚していることもあり(私は彼の愛国心は、彼自身が思っているよりは強くないと考えている)、恥の文化についても「身に染みている部分」と「論理として語れる部分」の差は、かなりあると感じています。

明日がたいへんだけれども、ここまで下準備を書いてしまったんだから書くしかないよな・・・(苦笑)。予告として言っておかねばならぬのは、私は文化的純日本人では、もうすでにないということです。「もうアメリカ人だね」などというバカげた非現実もないのと同様、生まれ育った日本の文化だけに影響されている実体ではないということ。遺伝子学的には、このような混合種はかなり役に立つはずなのですが、どうなんだろうね?国民としては・・・。地球人としたらどこに出しても恥ずかしくはないのだろうけれども、「非国民っ!」と野次られても、「はいはい」と認めてしまいそうで、ちょっと怖いです(笑)。

 

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