悪役はどうしても必要なのか?

01/25/2008 にアップした文章です。

人についての思い込み〈1〉悪役の人は悪人?..¥
私は、ヤクザやマフィアの存在が邪魔だとか、壊滅したほうがいい、などと思ったことはありません。が、必要悪という言い方も嫌いです。大相撲の初場所が始まって以来、どうも朝青龍が負けると歓ぶような風潮があり、調子が悪くて優勝できないことを望んでいる日本人はかなり多いらしい。ふーん、そうなのか・・・。でも、チケットは完売だし、グッズも相当売れているんだよねぇ・・・。どうして悪役が必要なのかなぁ。悪役に魅了されて、こだわってしまうんだろうか?と、どうも不思議でならないのであります。

悪役:(1)芝居で悪人を演ずる役。また、その役者。敵役(かたきやく)。(2)転じて、人から憎まれる悪い役回り。
憎む:(1)嫌だと思う。不快に思う。また、よくないこと、あってはならないこととして、許しがたく思う。(2)ねたむ。そねむ。うらやましく思う。(3)非難する。反対する。

今日見た記事で、黒人俳優で2番目にアカデミー賞を獲ったDenzel Washingtonが、”Don’t Be a Hater!”と子どもたちに向けて言っていたという記事がありました。1960年代に黒人自由解放運動をしたMartin Luther King Jr.の記念日(1月15日)に絡めて、テレビ出演したときの逸話です。彼は自身がMalcom X
も演じているし、意識の高い俳優だなぁと、いつも惚れ惚れ見ています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2>マーティン・ルーサー・キング・ジュニア日本語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Luther_King,_Jr.>英語版。おそろしく長いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%A0X>マルコムX日本語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Malcolm_X>マルコムX英語版>やっぱり長い(爆)。

http://www.people.com/people/article/0,,20172900,00.html >これがDenzel Washingtonの記事。

憎悪によって自分が壊されるな、と言っています。その元というのは、「自分と同じではないから憎む」という簡単な図式で、心理学でも学ぶのですが、ヒトというのは、社会性を持ったのちでも本能がちに生きているところがあり、防衛のために似たものを安心・安全として選ぶ。近所にいてしょっちゅう逢える、自分とは考えが違ったり、共通点が少ない人よりも、多少遠くに住んでいようが、たまにしか逢えなかろうが、やはり共通点が多い同種のほうが安心できるわけです。せっかく脳が発達しても、やはり保身やサバイバルに振り回されていることを知らぬまま、同種とのおつきあいでは、「感情」「本能」に振り回されて、共存ではなく、戦いや回避を選ぶわけです。

なんとももったいない・・・←貧乏症な私は、これがどうも引っ掛るキーになっているようだ(笑)。

朝青龍が強いことは、最初は好きだったらしい。寛大なところを示して、あるいは相撲協会が人材不足で外国人を次々と入れたのだからしょうがないと観念して、横綱までになった彼を尊ぶのですが、どうも腰が落ち着かない。憎まれ口を叩いたら、すぐさま記事にしたりニュースで取り上げることにして、憎むための温床を流布しておくわけです。そのあと、彼が失敗をしたら、みんなで叩く。ちなみに私は朝青龍叩きに参加したつもりはなかったのですが、援護をすることで叩きに参加してしまった結果になり、たいへんに恐縮・反省しました。

人を簡単に気軽に叩ける人というのは、自分にはたいへんに甘い、という傾向は否めないと思われます。無責任な部分でのゴシップ調で、TVによく出るコメンテーターも、本当に大したことを言っていない・・・(汗)。いや、コメンテーターだからこそ、大したことが言えないのかもしれない・・・とすら、最近は思うようになってきています。私個人は、教えるという職業病も入り、失敗に対してたいへんに寛大で、間違いや失敗がいくつも積み上げられなければ、物事をマスターすることなどできないとすら考えており、「大きな挫折」がない人間のほうを、むしろ信用しません。が、私は自分に甘いことはしないように、極力努めており、現在も1月2日から、完全休日がない状態で、このまま2月に入るのではないかと思われます。母に不平や不満を言ってしまっても反省しまくっており、ビールを買いに走ったり(とはいえ、わずか1分半なんですが・・・爆)、ネコたちとの時間が取れるように、しっかり調整を怠っていません。

公的な人間には失敗は許されない、というある程度のハードルの高さは認めますが、その設定は誰がどのようにして築くものなのか、どうも無責任感が大きく混じっているような気がしてならず・・・。

もちろん、放置しておいてはいけないような、重大な失敗や間違いはあるんですが、改善の方向に向ったら、とりあえずは自分の領域ではない範囲であれば、見守るしかないわけで・・・。

たとえば、私は動物を屠って食べ物にする商売は、どうしてもできません。人殺しもできません。物事を強引に運ぶこともできません。が、そういういやな仕事を、社会的に歴史的に、社会での階級が低い人間に押し付けてきた国や文化は山ほどあります。そして、その人たちが冷遇に耐えかねて、評価をしっかり受けないことにグレて、社会の中で悪と呼ばれることに手を染めたときなど、その人たちや仕事そのものを抹殺するように憎む。でもねぇ、彼らがいなければ、社会は廻っていかない部分もあるのです。たとえば屠殺は、今でもずっと行われており、世界のどこかで、動物だけではなく、ヒトも死刑と称して殺されている。

私は伊丹十三監督が、ヤクザを廃止しよう!と作った映画の動機がいまひとつわかりませんでした。戦後の復興の中、ヤクザがいなければ、闇屋もあれほど活気が出ず、乱暴や強盗やその他に喘ぐ市民を守ってくれる侠気たっぷりの行動もなかったかもしれません。

必要悪という言い方は嫌いなので、自分の価値観だけに合わせた善悪が正しいともちゃんちゃら思っていないので、やはり私は多様性がある社会に住みたいと思うのです。そこで、好き嫌いを簡単に言わない大人が増えていけば、子どもも憎しみや偏見を学ぶこともないでしょうし、どんな大人になりたいのかをしっかり見ていけるのではないか?と思うわけです。自分なりの世界観が出来上がってしまえば、誰がどんな善悪をしようが、防衛はできるはずで、防衛のために他人を憎んだり、嫌ったりする必要すらないでしょう。遠く離れる術は身につきますから、彼らが彼らの領域で何をしようと、まったく気にならなくなります。

そりゃ、朝青龍はファンに支えられているわけで、そのせいで、ヤイノヤイノ言われるのは仕方ないことなのかもしれません。が、私は言わないです(笑)。ファンでもないですし、相撲Hater(憎む人)でもないですし、自分の領域にそれらがあるとは思っておらず、私があの世界を左右していいとも思っていません。

悪役が必要だというメンタリティは、いじめを誘います。大人でも、会社の中で、仕事ができないという理由だったり、態度が悪いという理由で、いじめは起きているらしい。だから、産業カウンセラーも仕事があるわけですね・・・。鬱病は増えていき、昨日・一昨日書いた「経済的自立」から職業人の年齢域にいる人々は離れていくわけです。なんだか悪循環です。

私は悪役はわざわざ作る必要ないと思うんだけどなぁ・・・。

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