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情熱を賭けて

07/03/2008にアップした文章です。

賭け事のススメをたまにしているような気になるんですが、そうではありません。表現として、ギリギリの勝負どころだよ、ということを言いたいだけで、実際に物理的にお金が移動するような賭け事をせずとも、毎日の生活の中で、ギャンブルはできます←同じことなのか?(笑)昨日、10回のレッスンを申し込んだ女性の最終日でした。彼女は必ずTOEIC950点が取れる人であるのに、どうしてなのか英語を放置しておいた、という状態について、性格や暮らし方など、最終日にまたもやかなり話したのでした。情熱を賭ける対象物についての、自分の心の動きなどをしっかり把握できたら、英語だけではなく、人生も、かなりの割合でラクになるのになぁと・・・。笑顔で別れたのでよかったのですが、もう一度、レッスンではない場でお会いしたいものです。

 

英語がまったくできない、という人に問題はあるのか?いや、ないです。まったく問題はないですね。ただ、この日本の英語熱というのは、いつから始まってこれだけのものになってしまったのか?ということを考えてみると、世界の構造や成り立ちや移り変わりがわかってくるかと思います。それをわかった上で、英語ができたほうができないよりまったくいい、という結論には達するはずです。

 

この論理性を身につけてきた人々が、英語をやらないわけはないので、私の生徒さんは、親御さんから押し付けられた方以外には、この「英語ができないよりはできたほうがいい」には賛同してくれます。ただし、その論拠については、ばらつきがあります。その論拠は、国際化してきた日本社会の世界での位置や機能なども含み、大きな枠から考えていき、最後に自分中心のことまで持ってこられて初めて、本当に英語をやる気になると思うのです。あるいは、自分の身の回りのことから始めてももちろんいいんですが、それでは大志になりにくいこともあります。大志とならねば、続けていくことはできず、優先順位が下がるわけです。

 

大志:大きなこころざし。大望。

志:(1)心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。(2)人に対する厚意。人を思う気持ち。(3)好意・謝意などの気持ちを表す贈り物。また、故人を悼んで供える物やお布施などの上書きの語。(4)追善供養。

 

実際は、例では、この大志の対象物が英語なだけであり、どんな情熱でもいいんですが・・・。

 

この大志・情熱を賭ける対象物がないヒトや、その順位や優先度などがしっかり把握できていないヒトがあまりに多いことに、私はかなりびっくりしています。私が面倒くさいヤツなだけなのでしょうか?

 

小さい頃には、お気に入りの遊びがあり、それができない天候やら条件(メンツや時間や場所やその他)のときには、順位が下がったもので遊んでいくわけです。なんで、あんなにしつこいくらいに、同じ遊びを繰り返し繰り返し、飽きもせずにできたのか?私は、今、思うんですよ。まさしく、そのあとの人生で来る、大志を全うするために、擬似訓練をしていたのだということを。

 

失敗にクチビルを噛んだことや、顔を真っ赤にして泣きそうになるのを我慢したことや、言い訳がましいテレをみんなに見せたことや、できたときに自慢しすぎないことや、その他、本当にすべてが、この大志や情熱に向けた予行演習だったのだということは、今になればよくわかるのですが、そんなことを意識しているヒトは、基本的にとても少ないです。

 

小さい頃、何を繰り返しやっていたかも忘れてしまっていたり、どうしてあんなに好きだったのかも忘れていたり、好きなものそのものを持っていなかったことすらあり・・・。外で仲間と身体を使って遊ばなかったり、ひとりでも遊べる器具がたくさんあったり(器具じゃなくてゲームだよね。電子製品だ・・・)、遊びではなくて、勉強に向けさせられたり、なんだかそこからして、ボタンの掛け違いなんだろうと思うのです。

 

が、いいニュースは、これからでも決してこれらを意識して、繰り返しやっていくということは遅くないということ。能力を伸ばしたり、学習を実際にしたり、のTrial &Errorというのは、いくつになっても可能なことがステキです。

 

特に性悪説に肩を持つわけではないんですが、生き延びるためのエネルギー保存のために、生命体は「ラクな方」に流れる傾向があります。自分がスキルアップしてラクになるまである作業をやり達成感を得るのではなく、ラクな方法に変更してしまうのですね。問題がそれほどシビアでなければ、切り換えた方法すら放棄します。

 

私が縄跳びや水泳やマラソンやドッヂボールやその他、あれほど一生懸命やったのは、その当時は知らなかったものの、Highが得られたからです。ノルアドレナリンやセロトニンがしっかり脳の中で、ウニョウニョと動いて、私を気持ちよくさせてくれていたんですね。茂木先生などは、これを勉強で得ていたようですが、私は遊びと読書でしか得ていませんでした(笑)。今言えることは、繰り返しの情熱の対象物は、どんなものでもいいのだ、ということです。勉強だったら、親がこの法則を躾や教育に使えてしまうので、強制が掛かり、自主性が損なわれてしまうと、少し悲しいです。リスクです。私は講師ですが、使いませんよ・・・(汗)。

 

実は、昨日もEvitaを死ぬほど繰り返し見ていたし、おまけに夜中の2時にDon’t Cry for Me ArgentinaやI’d be surprisingly good for you, You Must Love Meなど、歌っていたのよ(笑)。ネコが寄ってくるからどうしたんだろう?と思って足元を見ると、私が声を出しているからじゃん・・・(爆)。しかも、繰り返し、何度も何度もしつこく歌ってるんだよねぇ・・・。途中で止められなくなり、アナログ時計で残り時間を逆算して、やっとの決意で止めたんですが・・・。

 

それでも今日は眠かった・・・。

 

私はこの「気持ちいい瞬間」というのが、相当頻繁に得られているようで、だからこの仕事も好きなようです。自分だけではなく、他人の脳みその中は見ることができないのだけれども、人体実験を自分の意志でしているヒトたちを外から観察しているような気持ち←わかるだろうか?

 

こうした対象物が、小さい頃の背の高さの目線と、私は今もなんら変わらないので、このあいだも、「絵心がない」とひとりで言い切ってしまったので、各種の花を描いてみたのであった。我が家には今、ホワイトボードがあるので、消したり描いたりできてよろしい♪気づいたら1時間も経っており、モデルになる実際の写真をネットで探しては、がんばってみたのだけれども、やっぱりダメなんだよなぁ・・・。

 

生徒さんのひとりが、プロはだしの絵を描くのです。ネコなんか紙から飛び出てくるかと思ったくらい・・・。私はルーブルにも4日間通ったし、オルセーにも3日通ったくらい、見るのは好きなのよね・・・。なので、実際どうして描けないのか、試してみたら、まぁ、夢中になったなった・・・(汗)←成果が得られなかったのは、やっぱりノウハウがわかっていないので、教室に通ったほうがいいとは思った(爆)。ただし、私にとっての絵画が描けるようになる、というのは、今のところ優先順位がかなり低いので、たぶん、教室に行くことはしばらくないのではないかとは思うのだ。ただし、こうしてチェックしてしまうあたり、小学生の頃と目線はまったく変わらず・・・。

 

他の人はこうしたことをしていないのだろうか?と不思議に思ったので、今日のエッセイになりました。遅くなってごめんなさい(ぺこり)。

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