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我ながら、と褒める瞬間

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08/28/2007 にアップした文章です。

 

 

本日、西さんの日本滞在最終日。昨日は日曜日だったにも拘らず仕事だったので、完全休日は、本日を逃すと6日後になるのですが、今日も家で仕事をやらねば・・・。セミナー講師のための案件を、資料にして提出せねばならぬ期日なのです。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」なので、「海外赴任-その基本的な心構え」「海外赴任における危機管理」「心理学カウンセリングを伴った海外赴任における家族コミュニケーションと幸せな家族プランニング」と3つを作りました。けっこう充実しました。これを提出するんですが、どのくらいの反応があるのかは、再来週かその次くらいまでは待たなければならないことでしょう。その後、訂正加筆をし、企業へと営業マンが飛ぶことになります。

気づくと、校長センセに近い仕事をしつつあるのかもしれない、とは思っており、基本的イロハよりも、海外在住色を伴ったもの、ということで、今後、協賛させていただけるプロジェクトのためにがんばろうかと思っています。今日は、長年の夢だったドリル学習方法を取り入れたものを、今日は私が作り、西さんがきれいに仕上げてくれるという方式をひとつ採り入れました。

西さんが私に協力的なのは、滞在が短くて、時間のメリハリをつけないと山積になった仕事がこなせないこともあるのですが、世界陸上を見て、かなり元気になっているらしく、目下、この時期に日本に居ることが楽しいらしいです(笑)。昨日は、男子100mのTyron Gayの恐ろしく速い走りを見て感動していました。私も思わず声が出てしまい、こんなに真剣に100m走を見たのは、Ben Johnson以来だったと気づいてしまったのです。しかも、TBSがご苦労様なのか、世界陸上運営委員会なのか、それぞれの有力選手にものすごいニックネームがついており、それを見るたびに笑えたというのも、元気というか笑いの源になったことは付け加えておきます。すごいですぜ(笑)。たとえば;ブロンドのぶっ飛び娘、東洋の真珠、黄金の昇り龍、など、本当にコピーライターになった気分で作ったんでしょうけれども、かなりコミカルである・・・。

西さんと陸上をいっしょに見ている時間は、「我ながらと褒める瞬間」で、周囲の人々が「こいつらは3年保つまい」と思っていたのに、よくもまぁ、18年半だか19年だかいっしょに居るよなぁ、とつくづく感心してしまいます(笑)。これはほとんどが西さんのほうの功績なのでしょうが・・・。

Douglasにも言われたのですが、私の経験はユニークである、ということ。私も自分の経歴は、平凡だとは思っておらず、けっこう珍しいだろうな、と思っています。FAA(Federal Aviation Association)のライセンスを持つ日本人はたまにいるだろうけれども、それがCommercialやInstructorまであって、しかもRotorcraft(ヘリ)というのは少なくなるだろうし、女性であるという括りも入れたら、またもや相当数減ってくると思うのです。が、いまさら、コレでごはんを食べたいとは思えず、ちょっと探してみたら、かなり平凡なお給料なので、断念(笑)。しかも、日本では年齢制限が厳しいです。女性なことが仇にもなりそうですし、そもそもあまり日本の社会に期待していないところがあるのかもしれません。28歳のとき、父のガン発病に伴い、帰国したときにスカウトされた値段は、年収で1500万でした。会社専用のヘリのパイロットで、重役クラスの人々を乗せたりするものでした。が、それを蹴ってなぜかまたアメリカに行ったんですよね・・・(笑)。

ここも「我ながら褒める瞬間」だったことは事実で、損得勘定ではなく、もっと身につけたいことがあったというのがミソだったと思えるのです。西さんがアメリカにいたこともありますし、父がいなくなった日本では、丸1年アル中をしていたこともあり、操縦の仕事を引き受けるようなコンディションでもなく、まさしくその当時の私は、『再生』を必要としていたと思えるわけです。3年のアメリカ暮らしのあと、まだ日本には住みたくなかったというのは、私がまだまだ謙虚で居られたことも示しているし、自分のコンディションを把握できるほどには、骨の髄までアル中ではなかったのかもしれません。どこか醒めたところがあり、そこで再生を誓っていたのだろうと。

そして、およそ1年前に帰国したときにも同じことが言えて、商売がうまく行っておらず、どうしても日本でフルタイムで商売に対峙せねばならぬときが来たときに、馴染んだアメリカ暮らしを、一時的になるか永久になるのか、棄てなければならなかったときにも、やはり私は自分を褒めてあげたい気持ちになりました。西さんと別れるオプションなどは、カケラも出てきませんでしたが、実際は、オプションとしてであれば、別れてアメリカ人の大金持ちと結婚する道などもあったのですよ。冗談ではなく、本気交じりに、「息子の嫁に」「友だちのガールフレンドに」はしょっちゅうありますので(笑)。

アメリカに20年前に発つときに、父に言われたことがあります。「たとえ南極に行っても、マダガスカルに行っても、アマゾンに行っても、生き延びられる自分でいてほしい」と(彼がピンポイントした地名は正確にはどこだったのか、南極以外は忘れました。何度も心の中で反芻しているうちに地名がどんどん変わったので・笑)。その言葉はいつも生きており、「日本にもう一度戻って住むことくらいなんだ!しかも日本語が話せるじゃーないか!」と、乗り気でなかった気持ちを、どんどんとやる気に持ち上げていったことは確かです。が、まだアメリカに帰りたい気持ちは、まったくのところ払拭できておらず、日本が嫌いなわけでもないのですが、慣れの問題で慣れられずにいるようです。自由というのはかけがえのないもので、誰にも見られていない時間が多ければ多いほど、私は心地いい気分になるようです。ただ自力でシャンプーやお豆腐は作れないので、やはりヒトがたくさんいるどこかの社会で生きていかねばならず・・・。1年弱、日本で生き延びられて、しかも会社をかろうじて維持させつつ、食べていくにも困らない状況になったことには、本当に我ながら褒めたい気持ちになります。猛暑の中、死にそうになりながらも仕事に出かけていましたしね←まだ続くのかも(笑)。

しかも、西さんと会えると、私はそれをまた感謝できるんだよなぁ。今、LEDライトの関連プロジェクトも模索していて、歯ブラシ除菌器も違うアプローチを探しており、コンサルティングビジネスのほか、私の教える側の運営プロジェクトがあったり、不動産関連についても考えているところ。西さんの脳は宝庫なのだ。私が言った事を咀嚼して、理解してくれようとする熱意は、やはりやぶさかではないレベルにあり、とてもうれしい。母とは、さっきも「何よ!あんたって呼ばないでよ」などと口ゲンカする状況なのですが、もちろんそれで楽しいことも救われていることもあるので、やはりメリハリなんでしょうが・・・。

近頃売れっ子になってきたので、指名が多く、「まるでホステスだなぁ・・・」と苦笑しつつも、Noと言えないでいます。TOEICのほか、TOEFLやGMATやGREなどもあるのだ。日常会話だけじゃないので、ニーズも変わってきており、そんなところは歓べるのですが、点数だけのコツの世界というのは、わびしい気分にもなることは確か。そんな中、それなりのプロジェクトが動き、いいアイディアが生まれると、我ながらと自分を褒めてあげたい気持ちになって、よい雰囲気が循環しそうな気がしてうれしいわけです。

忙しくなってしまったので、料理をしたり、掃除をしたり、で、そんな瞬間がないのが申し訳ないところなのですが、ネコのブラッシングをしてイオン効果で毛がすべすべになると、やっぱりそんな気持ちになることもあり。「いやー、やればやっただけきれいになるねぇ。気持ちいいねぇ。いつも幸せな気持ちにしてもらってるから、これはお礼だよ」などと話しかけつつ、ほんわかした気持ちになるわけです。そして、またエナジーをもらって、自分で自分のことが褒められるような瞬間を作り出していく、武者修行に出て行くような感じ。

エクササイズも始めました。いつまで続くことやら・・・。終わってシャワーを浴びると、「がんばったなぁ」と自分を褒めてやっているので、イヤイヤながらも自分に厳しくしている最中なのでしょうね(笑)。コレがなくなり、自動的にロボットのように時間が来たら開始するようになればいいのですが、そんな日は来るのかどうか・・・。疑問です(笑)。

明日からは地獄のスケジュールで、朝昼夜詰まっているので、エッセイが遅れることがあったらご了承ください(ぺこり)。