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文明の利器

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K‘s Web Site Notesというところでどうやら私が帰国日に日本で言ったことが取り沙汰されている…。うりゃぁ、こういう解釈じゃぁないんだよぉ、とIMで説明するのも何だし、共通点もあるので、エッセイにすることにします。

文明:1.文教が進んで人知の明らかなこと。2.都市化。ア.生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められている社会、すなわち近代社会の状態。イ.宗教・
道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産。

利器:1.よく切れる刃物。するどい兵器。2.便利な器具。すぐれた性能の機械。3.役に立つ才能。

原理:1.ものの拠って立つ根本法則。認識または行為の根本原則。2.他のものがそれに依存する本源的なもの。世界の根源、ある領域の事物の根本要素。

根本:物事が成り立つそもそもの大本。

法則:1.必ず守らなければならない規範。おきて。2.いうでも、まだどこででも、一定の条件のもとに成立するところの普遍的・必然的関係。またそれを言い表したもの。

ええっと、コトの始まりはふたりして陸の孤島であるK氏の現在の地元で飲みまくったことにあったのですが、翌日二日酔いもなくぴんぴんしてブランチをきれいなホテルの和食やさんで食べていたときのことです。そのとき何を読んでいたのか忘れましたが、東京が都市化するスピードや方向性をたいへん危惧していたんじゃないかと思われます、私。で、「文明の利器の原理を知らないで、それを使う権利はないと思う」と何だかやたら大味なことを言ったんじゃなかったか?>そうだよね?

確かに前日の夜、しゃぶしゃぶ食べて飲み屋さんに向かう途中、彼の愛車のガソリンゲージがまるっきりE(Empty)を指していたのであります。でも、Eを指してから何キロ走っているのか、まったく段取りがないところに不安を覚えた、というのが前置きとしてあります。ぎゃはははは、なぜか追伸に「許せ」と書いてある…。(^○^)

じゃ、いきなり大きな技から行ってみましょう♪

映画、The Sixth Sense(邦題:シックスセンス)では、主人公の男の子が死者と交信できるというのがあまりに非日常的なので、不自由すぎて怖くて日常を暮らせない、というストーリーが展開します。いわゆる超異常現象を体験しているわけです。「そんなもんあるわけないじゃん。へっ!」で済ましてしまっては話が進みません。これは万人にある能力ではないので、使いようによっては「利器」となります>3.役に立つ才能。でも、使い方がわからなかったら?どうしてそれが起こるのかわからなくても、どのように使えるのかわからなかったら?ストーリーの最後に、男の子はきちんとその能力を利器として使える光が見えてきます。

もっと簡単に言えば、刃物だって掃除機だって冷蔵庫だってテレビだって電車だってPCだってみーんな文明の利器なわけです。>宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産。

でもそれを発明した人は私たち個人こじんではなく、誰かであり、その原理がわかっていない人が多いと思います。原理というのは、平たく言えば「どうしてそれがそこにあるか」という理由です。なぜ車は動くのか?それは動力があるからだ。という簡単なことが原理です。そのエンジンはどういう動力で動いているのか?ガソリンを燃やしてエネルギーに替え、それによってタイヤを動かし(他の電気系統は無視)前にも後ろにも進むようになっている(ガソリンの種類や電気自動車については省いていい、それはまたひとつ階層が進んだところの原理だからね)。ハンドルはなぜついているのか?車の方向性を定めるため。アクセルの働きは何か?エンジンにガソリンを送り込みエネルギーを量産して車を動かすため。ブレーキはなぜついているのか?車を止めるため。こんなことは小学生だって習えばわかることでしょ?何もすべてを理解しろということが原理ではないです。原理というのは「何に拠ってそれがそこにあるのか、成り立っているのか」ということです。

こういうことを一度も考えたことなく免許を持って運転をしている人はいないと思うのです。だって教習所にいけば必ず習うことです(まぁ、試験場一発でもペーパーテストがあるからたぶん独学でそれなりに勉強しているとみなします)。

しかし、「知る」という状態は意識して憶えていないとずっと続くわけではないです。一度習ったからこれでOK♪だったらニンゲンは繰り返し学習をしなくて済みます。うーん、だったらいいなぁ。←夢のような話である☆何で同じセオリーを何度も何度も復習しないといけないんだろ、と思うこともあるのですが、これは後から役に立つ、と思って我慢してますです、はい。が、ゆえに、「文明の利器の原理を知らないで、それを使う権利はないと思う」になるわけです。

刃物であろうが、車であろうが、「役に立つ」「便利さ」を理解していなければ、その危険性も同時に推し量ることができません。たとえおぼろげながらであろうとも、どの程度の理解が得られていようとも、それが意識にあるかないかがたいへんな分かれ目になると私は考えています。昨日までのFabに書いたお金のパワーやクレジットカードについても言えることですが、この文明の利器(これも制度という物質的な発展によって遂げられたすぐれた性能の器具のひとつです。磁気カードという技術的所産と呼べます)を考えなしに無謀に使うことは、やはりその文明の利器の原理をわかっていない、とみなされても致し方ないところでしょう。

何も総人口がみんなして専門的な原理をすべて掌握しなければならない、という意味で発言したわけではありません。医療に関しても、いつか自分に起こるかもしれない自衛のため、「原理」と呼べるほどの知識や制度の成り立ち、原因や治療法のバラエティなどを知識として身につけることを奨励したいと思います。

無節操にそこにあるものをむやみやたらに利用することは、その過程で好奇心を以って原理となる基礎を学ぶことができればいいのですが、その意識なしで道具に使われることがあっては情けないと思うわけです。いつかモノに支配され、お金に支配され、テクノロジーに支配され、欲得ばかりの世知辛い世の中に拍車をかけていくことが、私たちの子どもたちに残すものであるならば、私はたいへん哀しいです。

ガソリンゲージを信用しないのは賢いと思います。実際、私の乗っている車はEラインに達してからまだ20マイル以上(約32キロ以上)走ることになっています。実験したことはありません。ガソリンを積んで走らねばならぬほどの遠出をまだこの車ではしていません。町中では32キロ以内に必ずガソリンスタンドがあるし、私は「ああ、もうなくなっちゃうかなぁ」というストレスを自分にかけたくないです。もちろん同乗者には余計にそんなストレスをかけたくないです(爆)。もしも実験するとしたならば、デジカメでEラインに達したときのマイル数をいっしょに写しておいて、ガソリンが空になったときの証拠としてまたマイル数を撮る、という手もあります。そうすればメーカーに訴訟くらい起こせるかもしれない♪>やだねぇ、訴訟社会に住んでいるとこういう発想が出て来てしまう…。あるいは小説の読みすぎなのか?(-_-;)

私たち人間ひとりひとりでさえも、「なぜ自分はここに存在しているのだろう?」「存在意義は何であろうか?」と考えるものです。ならば、きっとモノである利器や文化などにもきっとその存在意義があるはずです。それが私の言う、いちばんシンプルな意味での原理です。その原理さえ知らずにモノや人々が作った慣習や規範や文化にからめとられてぼーっと多数決や雰囲気に従う必要はないということが言いたかったわけです。「権利がない」というのは言い過ぎだったかもしれませんが、そのくらい強く言いたかったのですね。特に凶器にさえなる車や刃物、電磁波を発生させるゲームや携帯電話の功罪(ちょっと大袈裟に言われすぎていると思いますが、いろいろな側面から見てみればいいと思います)、PCに依存してしまうのはなぜか、わからないで依存したままでいる人もかなり多いはずです。

ええええ、Kさん、私はBernoulli’s Principle(ベルヌーイの原理)もAerodynamics(航空力学)もちゃーんとわかっております♪安心してくださいませ。飛行機に旅客で乗ることと、操縦することをいっしょくたにしてもらっちゃぁ困るじゃないですか。たとえセスナの免許であろうとも、このくらいの原理は要求されます。でなきゃ旅客になる側だって怖いでしょ?

文明の利器に感謝をしながらも、私はできる限り、自分でできることは自分でしたいと思うのです。どこまでインスタントを使っていいものか?と悶絶しながらキッチンに立つ自分が好きだったりします♪