新型うつ病だと思われているもの

08/12/2008にアップした文章です。

昨日の続きになってしまっています。昨日、あまりに反響がよく、アクセス数が過去最高でした。やっぱり4人にひとり、という統計学的割合からも、「私もそうかもしれない」という心当たりがある方々が多いせいなのでしょうか。ぐったり疲れてしまっていて、1日の帳尻が合わないまま、翌日に疲労や心の負担を持ちこして、どんどんマイナス貯金が貯まっていく感じである方は危険だという認識はあるのかもしれません。昨日はうつ病にしか触れませんでしたが、今日は、日本では元来他の病名として扱われてきたものについて考えてみたいと思います。

 

なんだか簡素化しすぎているイメージ作りがいけないと思うんだよなぁ・・・。人々に喚起を促す目的で、わかりやすくしようとしている態度は理解できますが、そうした単純化により、弊害は山ほどあるわけです。そもそもの、社会科学の分野に入る物事というのには、「答えはひとつではない:ケースごとにしっかり見つめていこう」というキャンペーンが必要です。しかも日本に蔓延しがちな、『べき論』は、単一化することで、Dominant(数的・質的に優勢な側)に有利になるように組み立てられていきます。死刑なども同様で、「犯罪者の隔離」をすることでDominantな側にいる善良な市民の安全を確保しようとする意味合いも大きく入っています。なので、性犯罪者が刑期を終えて出てきたときのことなど、きちんとした更正プログラムが実施されているわけでもなく、泥縄状態が続いているわけです。裏の意味では、「何度もやってくれよ。多少犠牲者が出ても、また入ってくれればいいからさ」と考えているようにも取れるわけです。

 

新型と呼ばれているうつ病も例外ではなく、実際は国際化により、日本社会にも多様性が増したことにより、いろいろな側面を見せている社会科学の答えの広がりです。あるいは、要因組み合わせの多様化とも言えます。基本的には『環境に対する生命体としての順応の不適応』であり、その社会の仕組みが世界中のどこで違っていても、基本は変わりません。

 

『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった』

というのは、日本社会がそうした多数を持っていたからこそ目立ったケースにしか過ぎず、ただのイメージでしかないわけです。イメージ先行型である風潮だからこそ、ひとつの文化や流行が日本中を駆け抜けるわけです。これには、帰国して2年経とうとしていますが、まだまだびっくりしています、私・・・。

 

さらに新型についての説明は:

『07年から急激に増えだしたとされる「新型うつ病」は、仕事中だけうつで、帰宅後や休日は普段通り活発に活動する。自分を責めるのではなく、身近な人間や社会に対して攻撃的な態度になり、休職したとしても会社や同僚にかける迷惑などあまり感じない、というのが典型らしい。』

というもの。

 

おい、ちょっと待て!それまでの蓄積である、『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった』を受けて、社会を構成するひとりひとりが、うつ病候補者あるいはうつ病者に、適切なカウンセリングも療法も学習してもらえるように促してこず、『がんばってとは言わないこと』『追い込まないこと』『欠点についてはあまりふれないこと』という単純法則をマニュアル的に守ってきたから起きた結果だとは思わないのか?

 

このうつ病の廻りの態度というのは、確かに真性の『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケース』の治療導入時期には有効です。が、その後、セラピーもせず、放置し、ただただ好き勝手にゆっくりな時間を過ごし、投薬だけを続けていても、何も変わらない。だから日本のうつ病は長引く傾向にあるのです。お天気も関係ないというのに・・・。

 

うつ病でない人も同じではないか!と思うのが二点目。家と会社、友だちと同僚、どっちが生き生きとした話ができますか?と問われたら、充分なコミュニケーションが取れていないままであれば、そりゃ、会社はきつい。しかも、話を聞かない上司や同僚よりは、自分が言いたいことに話を傾けてくれる人に囲まれていたほうがラクに決まっている・・・。そして、Self-Worth(自己価値)を守るために、それについてアピールをごくごく身近な人にしたり、そうでない場合は、不満の矛先を社会や個人に向けて、必死に自己を守ろうとするわけで・・・。うつ病であろうがそうでなかろうが、この傾向については押さえておけや、と思います。

 

その社会的に許されるケースケースについて、どうして誰かが砕身しないのか?ということのほうが、私には不思議だ・・・。誰も何もしてくれないから、大樹である会社に対して恩義など感じない。うまくやれている人は余力があるんだから、少しくらい甘えても大丈夫、だと思ってしまっても、よい、とは言いませんが、論理としては理解できる構図でしょう・・・。

 

そこまで責めるのであれば、外注でもいいから、産業医や産業カウンセラーを使ってみればいいのに・・・。あるいは、職場での密なコミュニケーションを促進する方法論について、人事や総務のほうで考えればいいんじゃないのか?

 

そして、記事にあるような、実際はDMS IVではうつ病ではなく、他の精神病であったとしても、それについて本人が対処できるような機会がないこと、社会的理解や認知がないことが問題だと思ってくれや、と強く私は思いますね。特に、人格障害などは、家族も友人も気づいていて当然なことですし、だとしたならば会社勤めそのものがかなり怪しい。私の場合は、「私は会社には就職できない」と自分で査定できましたからね。神経症もうつ病同様ムード障害(気分の状態で顕れるもの)なので、日々の適応について、考える場・学習の場があれば、変化は必ずもたらされていきます。

 

私は小さい頃から自分の躁鬱病に苦労してきましたから、ここまでじゃじゃ馬馴らしをしてきて、自分で追い求めてなんとかしてきたのですし、みんなそうしろ、とは言えません。社会にもっと窓口があったならば、もっと早いうちにBreak through(打破できる境界線超え)があったような気がします。ただし、振り返ってみれば、アメリカに18年半も住めたので、それはよしとします(笑)。しかも自力でなんとかしてきたというのは、けっこうな宝物です。

 

確かにうつ病に甘えている人々は増えているのかもしれません。が、誰かが迷惑がかかるかどうか?というのは、順位からすれば損害は下のほうで、実際に困るのは本人です。その本人の周りに彼や彼女を愛する人がいるのであれば、本気で対峙していただきたいものです。企業側にしても、そんなに迷惑がかかる、損害が大きいというのであれば、なんとか対策すればいいじゃん・・・というのが、私のスタンスです。あまり情熱を賭けて声高に、「日本の精神病に理解を!」などとNPOを作るのは私のスタイルではなく、微力でいいから、知り合いから壕埋めをしていこうと思います。

 

本当の国際化というのは、一朝一夕にはいかぬので、やっぱりここでも問われている日本の真価、ということですか・・・・。

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