日本でも始まったか、保育園の虐待問題 その2

07/09/2008にアップした文章です。

一昨日のエッセイでは、社会の構造全体を俯瞰して見たところで終わってしまいました。子どもを持っていない私でも、「子どもたちが未来を繋げる宝物」ということはよーくわかっています。が、同時に、私が子どもを持たなかった理由のひとつに「自己実現」があり、社会の現状と私の力量を比べてみて、やはり私には到底子どもは育てられないという結論に至ったせいでもあります。私には、誰かの手助けを受けずに、子どもを育てることができる技量もなく(家事は料理しかできないからなぁ・・・)、かと言って、心を穏やかに乱さずまま、誰彼かまわず預けられる性格でもなく・・・。女性であれば、誰でもこのジレンマとは人生のある時期、戦うものだとは思うのです。その答えが「少子化」という答えなのだということは、政治家の皆々様は強く認識していただきたいものです。

 

変化というのは、スピードがついていることがいいわけではありませんが、ひとつの要素ではあります。アメリカでは、Women’s Liberation Movementがあったのが、1960年代後半からで、女性学なるものがしっかりと大学に設置されたのが、1980年代。世の中では、「専業主婦は贅沢のひとつ」とすら言われるようになったのが、1980年代終わり。今に至ります。これがいいというわけではなく、選択肢があるということがポイントです。

 

日本にも、その流れは来て、1972年に中ピ連というのが結成されて、まずは「ピル」から始まりました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%B5%B6%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%B3%95%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97%E3%83%94%E3%83%AB%E8%A7%A3%E7%A6%81%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E9%80%A3%E5%90%88 

 

その後、一般にわかるように改正されたのが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%87%E7%94%A8%E3%81%AE%E5%88%86%E9%87%8E%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%94%B7%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%9D%87%E7%AD%89%E3%81%AA%E6%A9%9F%E4%BC%9A%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%BE%85%E9%81%87%E3%81%AE%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B 男女雇用機会均等法で、これも改正を重ねています。が、コレを見てみると、明らかに建前から開始して、半分以上が機能するようになり、社会に役立つようになるには、ものすごい時間が掛かっています。私はOLをしたことがないので、一般職と総合職というのすら知らなかったのですよ・・・(汗)。

 

やらないよりはいいけれども、本当に何か前進しているのかどうか疑ってしまうのが、現在のコレですよね・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%8F%82%E7%94%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%B3%95 確かに受け容れの箱を作るというのは大切です。が、あまりにスピードが遅いのでびっくりです。政治の力で、一般企業をどんどん巻き込む発想がないのか?と。そうやって、本当に機能するシステムを作っていくことが、雁首そろえていてできないのか?と・・・。自治体による一般市民の応募などを見かけますが、私は参加する気持ちにはなれないです。いじめ問題のときのことを考えると、さらに萎えますね・・・。

 

というわけで、こうしてスピードがまったく遅く、先進国に名を連ねているニッポンでは、育児も家事もまだまだ女性の負担が大きすぎる現状です。少子化率は上がるばかりで、子どもたちが増えることにはならず、国力のことをとやかく言いつつ、国防には鈍感にならざるを得ない状況をかもし出しています。そりゃそうだ・・・。見えない敵について考えるよりも、子どもをどこに預けよう?だとか、お金が足りないよ、今月、だとか、疲れすぎてるけど骨休めしたい、というほうが先立つんですから・・・。子どもがいない私ですらそうですから・・・。

 

そして、子どもを実際に預けた揚句に、虐待疑惑を受けるプロが出るようになった、というニッポンの現状です。私は保育士や幼稚園教諭などになろうと思ったことすらないので、詳細を知らないのです。で、調べてみることにしました。

内容としては、社会福祉・児童福祉・発達心理学・精神保健・小児保健・小児栄養・保育原理・教育原理・養護原理・保育実習理論、が要求されているので、虐待疑惑を受けてはいかんだろうとは思うのです。もちろん、福祉学・心理学・栄養学などでは、答えがひとつではない社会科学分野なので、各人が持つスタンスというのも違って当然です。ただ、法規の部分を理解するのは、万民に共通した項目なので、虐待については全面的に×だということは理解したうえで、仕事をしているはずです。

 

宇都宮の保育所の園長がインタビューを受けていましたが、「おしりペンペン程度であればやっていた」と認めています。親御さんもその程度であればいいと受容しているからこそ入れているのかもしれません。私のスタンスでは、他人の子どもに手を挙げるというのは無しですし、しかもその相手が、まだ口がスラスラと利けない年齢であれば尚のことです。中には、洗濯機のところに連れて行き、「言うことを聞かないと入れてしまうぞ」といった脅しまがいの保育もあったそうで、真偽のほどは「勧告」なので歴然としませんが・・・。

 

虐待という日本語自体がそもそも違うのか?

虐待:むごい取り扱いをすること。

むごい:(1)見ていられないくらい悲惨だ。いたましい。(2)思いやりがなくひどい。無慈悲だ。(3)程度が限度を超えている。はなはだしい。

 

程度問題らしいので、やはり判断は難しいのでしょう。が、こうしたことは今後も起こるに違いなく、人為ミスによる被害というのは、どんな分野でも起きます。ましてや、みな疲れていたり、生活に追われていたりする中、いくらプロといえども、コミュニケーションや信頼関係の最低ラインがあってこその契約社会なのでしょう。

 

人間関係が煩わしくない場合には、やはり親族や友だちに頼めるのであれば、お金のやりとりがあろうがなかろうが、子どもを預けるのに心配は要らないのかもしれません。核家族化というのも、それほど深刻ではないにしろ、子どもを頼めるくらいの人間関係というのは少なく、友だちもみな働いていたりします。

 

自分の子どもですら、虐待をしている報道が多いのだから、他人が誰も見ていないところで子どもとふたりっきりになったときに、全面的信頼を寄せていいものなのだろうか?ということも、考慮しなければいけないのが、世知辛い世の中です。アメリカでも、自宅で保育所をやっていた女性が、他の子どもが見ていないところで、男の子を階段から突き落としてしまうという殺人がありました。彼女はゼッタイに認めることはなく、科学的な証拠を使い、再度取上げてもらうまでに10年以上の歳月が掛かったのでした。しかも、食事に電子レンジでチン!するご飯を与えていたというのも、安価ではあったがゆえの、選択肢のなかった女性の悔いても悔やみきれないところです。

 

こうした事件は今後も増えていくのだろうか?と思うと、少し胸が痛くなりました。

 

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