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10/15/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、歳を食ってきたせいなのか、想い出ばかり書いていることに気づく。気づいたきっかけは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が、生命保険会社AflacのCMに出ているせいなのかもしれない、と思うのだ。『がんばる女の涙』で登場した生徒さんと、キャリアおよびアメリカ留学のカウンセリング話をしていて、なぜか父のガン闘病について話したら、またもや彼女は泣いてくれて、あれは現場を体験した人の苦悩も含まれており、看護師さんたちは患者側に寄っている方々が多いのだろうと思えた瞬間でした。私には、父に関しての想い出がたくさんあり、かけがえのない宝物だと信じて疑っておらず、生き残っているたくさんの人々に関してもそれは同様で、この自分の記憶力についてよく考える・・・。

が、問題は、記憶というのは都合のいいようにAlteration(改造)ができてしまうという点にあり、私も今の自分に都合がいいように、将来の自分の支えになるように、かなり美化している部分はあるのだろうな、と、たいへんに冷静に考えているところです。嘘をつかないことを信条としている私としては、「それは間違いでしょ」「それは嘘でしょ」と言われてしまうような記憶のとどめ方をしていると、たいへんな窮地に追い込まれることになるわけで・・・。なかったことをあったかのように言うというような次元は、私には到底思いつくことではなく、「あった」という証拠は捏造しなければ作れないので、これは私にとってはありえない。が、あったことについてのHowに当たる量や質については、かなり自分に都合のいいように改造してしまっていることもあるのでしょう。

たとえば、私は大学中退を決意して、留学のためのバイトをしたのですが、2年半で600万貯めたのは事実です。その頃の貯金通帳は残っていないものの、たくさんの証言が取れる。が、母から言わせると、「家にお金を入れていた」という部分には、かなり大げさな表現があるように思えるかもしれない。私が家にお金を入れていても、まだまだ弟が学校に通っており、我が家は裕福でもなく、そこから貯金をしてすぐに必要なお金がたくさんあったのだから、母としてはもっと私に協力してもらいたかったと思えるのです。私がバイトをしていた当時、家に帰る時間はマチマチで、家事は一切やらず、好きな時間に冷蔵庫にあるものを食べてしまうというのは、月々3・4万のお金では安いと思っていたかもしれないので、確かにそれは「大げさな記憶改造」なのかもしれないです。いや、今だから言えるんだよね・・・。留学した当時や、会社を開始するまでは、そうは思っていなかった。むしろ、「よそから比べればましな子どもじゃん・・・」くらいの自負があったわけです。という反省の意味もこめて、最近は、パチンコで勝つと、母に必ず1/3をあげることにしています(笑)。飲み代に使われてもいいし、彼女のことだから、家の装飾や改造にかけたり、ネコにお刺身を買うのに使うのだから・・・。ちょっとした記憶改造の足りない分を補償しているところなのでしょう。

どこまでが許容範囲の「記憶改造」なのか?というのは、PTSDを体験してさらにわかってきました。今と未来を生きていくために必要な記憶改造は、確かに多少していかねば、私は健常に暮らしていけないわけです。レイプされたからと言って、脅迫されたからと言って、それらに関与するすべてに対して、過剰反応をしていたら、暮らしはままならぬ・・・。どこかで記憶を石灰化して、粉々に砕いて、風に流してしまいたいところなのですが、それもまだまだできず・・・。なぜならば、記憶を呼び戻すヒントになる事柄は、本当にたくさん転がっているからです。どう考えても、私は、ポルノ映像は気分が悪くて観ることができません。広告ですらイヤですね。世界の誰かが、女性を力で屈して性を楽しむことがシュミだとしても、私にだけはそれは起こってほしくないことですし、イヤだと思っている女性の誰もにそれは起こってほしくないことです。しかも、それについての脅迫が伴うようなストーリーが、映画や新聞で出てくると、私の頭は瞬間、真っ白になりました。が、マイルドなものであれば、たくさんの露出に慣れることにより、日常でパニックをしないようになってきて、それもこれも、私が自分の身に起きた記憶を、少しずつ改造しているからなのだと思うのです。そこで、自分を責めることばかりしたので、日常をしゃかりきに送るリズムを取り戻すために3年ほど掛かってしまったのですが、私のこの記憶改造は、誰にも迷惑をかけていることではないので、生きていくためには見逃していただきたいものです。

これから脳神経学がますます発展し、技術開発が進むと、もっと明確に記憶のメカニズムがわかってきて、この記憶改造の部分もわかってくると思われます。その日まで私は生き延びていられるのかなぁ・・・。Kennedy Assassination File公開までは生きている予定ですが(笑)。

たとえば、過去の恋愛の想い出の記憶改造は、詐欺や個人情報公開問題に発展しなければ、特に問題はないと思える事項です。人間関係が「とりあえず終了した」と確認できたもので、個人が特定できないほどの情報を公開することであれば、誰でもかなり頻繁にしていることです。むしろ、その記憶をどのように使うか?のほうが重要問題で、記憶を改造する目的は何なのか?が問われて然り。今後、同じような失敗をしないためになっているのであれば、改造はよかれと思えます。

が、私も大きな分野の大いに重要な問題ではないにしろ、掃除っていう弱点があり、それについては繰り返しが多いので、言い訳がましいことも披露しており、人々を目撃者にしていて、改造できないように予防線を張っているわけで・・・(汗)。家の中のことが多いので、特に誰も傷つけておらず、迷惑を一重にかけられているのは、母と西さんなのですが、彼らは許容してくれているので感謝です。が、まだまだがんばらないとなぁ・・・。

よりよく生きていくためには、私は亡くなった人に対して、美化した想い出を持ちがちです。それについては、母が盛大に不平不満を言う言う(爆)。父は聖人でもなかったし、欠点の多い人だったのですが、死んでしまった人の悪口を言わない私を、母は心狭く「じゃ、私が悪いって言うわけ?」とさも言いたげに不満げ・・・。露骨に「いいわよねぇ、死んじゃった人は悪口言われなくて・・・」とも言うし(爆)。

いやいや、特に父だけではなく、人類の英知たちや著名人や友人たちについても、すでに亡くなった人々に対して、それほどの「鋭い解析」を必要とされる場面はないように思えています。もちろん、その人々が生きている頃にした言動に関しては、鋭い解析が必要な場面はたまにありますが(特に学説や人心を導くような哲学などは)、そんなにしょっちゅうあるわけでもなく、ネガティブに言うことも大してなく・・・。なので、父に関しても、私にもたらした感謝ばかりが先行し、どうも「殴られたことやら暴言を吐かれたことなどを忘れている」と母は嫉妬しているようで(笑)。いやいや、そうじゃないんですけどね。しかも、母がしてきた言動についても、今繰り返していなければ、特に問題視もしていないんですが・・・(汗)。

同じ長さの時間を生きても、想い出の質や量は、人によって本当に違うのだ、ということは、誰でもわりとたやすく気づいていることではないかと思うのです。が、想い出の質や量が充実している人々にも日常はしっかりとあり、そんなドラマチックな人生を歩んでいるわけでもない、ということは、さほど実感して身体で感じてもらえることではないようです。

というわけで、私は今日のことも想い出になるんだな、と思いながら、平凡な日をまた送ることになります。今日は盛大にたくさん支払いをしたり、母につきあって買い物だ・・・。またパチンコに行くかもしれず←ほら、母に昔の記憶改造の補償をしなくちゃいけないしさ・・・←これは言い訳だなぁ(爆)。