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横田基地通訳の終了

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03/18/2007 にアップした文章です。

 

昨日は、横田基地の通訳のバイトの終了日でした。2週間行った後、3週間の空きがあり、その後4週間。長い長いバイトでした。一旦引き受けてしまったので、途中で投げ出すこともままならず、この日が来るのを、キリンのように首を長くして待っていたのです。途中、相当嫌気が差していたのですが、やはり過ぎてしまうと悲しいものです。お別れをするのも悲しいし、リズムがあった張り詰めた日々が消えていくのも悲しい。そして新たに考えたのは、「私は長い仕事、ご奉公などはできない性質なのだ」という結論を、さらに強く認識したのでした。

横田のバイトの何が嫌だったかって、たくさんありますが、まずは日焼けです(爆)。滑走路横にある建築現場なので、アスファルトの照り返しがすごいのよ・・・。現在私の顔は、「ねぇ、あなたのお仕事ってスキーインストラクターなの?」というくらいに焼けている(爆)。毎日まいにち焼けるので、黒いというよりはまだ生々しく赤いのです。さらに、その現場の材料が悪い。アルミニウムにスチール、Sidingと呼ばれる壁に貼り付ける板もすべてスチール。おまけに、消防署の訓練地なので、焦げてはいるものの大きな飛行機も常に停まっており、毎日のように消防車が数台停まっています。それらの照り返しはすごいのだ・・・。最初は、ニベア系でも大丈夫だろうと高を括っていたのですが、SPF15から30まで、日焼け止めだけでも数千円の投資だったよぉ。なのにまったく効くことはなく、スキーのインストラクター顔になっている(爆)。

次に嫌だったのは、通勤時間。エッセイを書き溜めしていたから5時起きでよかったものの、6時10分に毎日家を出るのは、きつい・・・。母や西さんは11時や12時まで起きているので、彼らにも迷惑をかけていた・・・。私はどうしても7時間は眠らないと役に立たないし、使い物にすらならないので、逆算すると10時に眠らなければならないのですが、池波正太郎全集を読むようになり、『剣客商売』というのがかなりおもしろく(田沼意次の妾腹の娘が出てくるのですが、田沼意次はこの本ではまったく好人物で不思議だ・・・。今までの常識が覆された感じで、最初はあっけにとられていたのです)、やはり床に入ってから15分ほどで眠れるわけもない・・・。読書となると、身体に無理を強いてまでも続けてしまう癖があるようで、本当にくたくたになっていなければ、30ページくらいは読んでしまう。が、5時間睡眠が続いたあるとき、わずか4ページしか進まず眠ったときは、本当にヤバイと思いました(笑)。なぜならば、その厚い本を持って通勤することすら億劫になってしまったからです。疲労がそれほどになっていた、ということなのでした。

しかも、京王線→南武線→青梅線のつなぎはひどく悪い。朝の6時台であっても、本数が少ないのです。6時から8時って多いはずじゃーありませんか・・・。分倍河原で10分待ち。立川で8分待ち、という具合。帰りなどはもっとひどく、青梅線は10分に1本。南武線は15分に1本。調布から分倍河原まで、急行か準特急というやつなのですが、わずか3駅め。分倍河原から立川までも4駅。青梅線がイチバン長いのですが、それでも7駅。なのに21分もかかるのよ・・・。拝島での停車時間が数分あるのです。痛かった・・・。疲れてくると、日ごろは電車で眠らない私が、うとうとしてくるのでした。朝も帰りも座れるので、ヤバイヤバイ。この短さで座ってしまうと、乗り過ごしそうで、それだけで恐怖なのです。私は、新幹線や特急以外では眠らない性質で、移動時間は読書に充てるのですが、読書できないくらいに眠いってやっぱりヤバイのよ・・・。あとは、終電に近い電車で酔っ払って眠ってしまった経験は数回ありますが、いやー、身体がきついことがわかるってかなりつらいわね・・・。

このふたつがメインだったのですが、仕事の内容としても、不満はありました。軍ってひどい(爆)。認可や命令が絶対的なところが大きく、ボルトの入れ替えだけで待ち時間が5日だとか、ペンキ1缶を調達するのに8日かかってしまったり、などなど、本当に工事の納期に影響するくらいのくだらない流れがあるわけです。現場で、とび職さんや土方さんにいろいろなステキな知恵を教わっているさなか、そういったたいへんにくだらないメンツや義理やパワーピラミッドに、見事に左右させられるわけです。だってねぇ、そもそも私が基地に入る許可証をもらうまでに、5週間もかかったのですから。ゲートには、憲兵がいるのですが(日本人)、私が国際免許とカリフォルニアドライバースライセンスを持っていることで、基地内に入れない、と言い張る人までいたのには驚きました。だって・・・、横田基地って住所はカリフォルニアなんだよ?(爆)あそこの郵便局の消印は、カリフォルニアなのだ・・・。不思議すぎるけれども事実なのだった。だから、カリフォルニアの免許を持っている私が、基地内で車を運転できないわけがない・・・。

他にも肩身が狭かったのは、みなさんが現場でこつこつと技術熟練した能力を発揮しているあいだ、私は遊んでいるわけなのですよ。口が商売と言えば商売なのですが、せいぜいできることは、次に使う材料にしるしをつけたり、設計図に書き込みを入れたり、軍関係者のところに伝達やお使いに行ったりするくらい。ドア1枚だって、訓練用なので10キロもあり、私が運ぶとみんなが駆け寄ってきてしまい、却って迷惑なのだった・・・。Stud(柱)も材質や長さが違うものが揃っており、それなどは運べないし、せいぜい私が運べるものは、Sidingのつなぎ目のジョイント部分だけなのだった(爆)。あとは、滑走路に飛んで舞ってしまうようなごみになりそうなものを拾い集めたり、削りカスなどをはき集めたりするくらいなのですが、現場にはそれを専門でやる女性もいらっしゃって、私がやると彼女の仕事を奪うことになってしまう・・・。アメリカ人のJimは、エンジニアでもなく、彼らと同じ職人で、これまでこのトレーニング用の建物を40以上作ってきた人。彼は、まったく知識が乏しい私をアテにして、一生懸命説明してくれるので、本当に勉強になったのです。が、彼も保険の関係で、実際に工具などを持って作ることには参加してはいけない、という軍の不思議な決まりがあり、彼も私同様に「すまないねぇ」という気分だったのですが、彼は190cmの長身で、材料をささっと運べるわけです。しかも、ダメだとはわかっていても、「軍部が見てないから」とちょこちょこ仕事をするのですね。が、私はやはりぼーっとしている(爆)。床を張ることだって、説明はわずか5分。そのあと、1階すべてを張り終えるのに3時間だったりしますので、次の工程の準備が終わってしまうと、私はひたすら待つだけなのよ・・・。

が、みんなが風が強かったり寒い中で作業をしているのに、私だけが小屋(飯場小屋のようなものが簡易的に建ててある)の中で暖を取るわけにも行かず、Jimにくっついて、ぼーっと立ち尽くしている時間ばかりが多いわけです。せめて、休憩時間の缶ジュースの買出しなどを手伝うのですが、そんなことじゃー、まったく補えないほど、現場のみんなは働き者なのだ。

そして、みんなが5時まで作業するのに(最後の30分は毎日みんなできれいに掃除をする)、私は要らないし、お金も時給で払いたくないということを尊重し、3時には現場を去るわけです。でも、Jimは残りたいから残る。そのあと、みんな不思議なジェスチャー英語で、和気藹々だったらしい。そんなことが最初の1週間を過ぎると増えていき、Jimとみんなが親密になるのはよかったのですが、すまない気持ちは拡大していくわけでした。

そんな気にしいの私としては、やることが少ない、あるいはまったくなくなってしまうNothingnessがイチバンつらかった。寒いことも風も我慢できたのですが、通勤時間もつなぎが悪いことも我慢できたのですが、やはり、ひとりだけ遊んでいる風なことにはどうも我慢ができず、余計に気疲れしてしまった感じ・・・。それが4週間も続いて、昨日は、飲み会の席でみんなに謝ったのでした。焼肉やさんだったので、好き嫌いが多いJimもたんまり牛肉を食べて、みんながお酒を飲んでいる横でジュースやコーラを飲み、楽しそうでした。私は、やはり記憶がまばらになるほど飲んでしまい、英語が話せないみんなのリクエストで宴会に参加した西さんに思いっきり負担をかけることになりました。

21日からカルチャースクールが始まります。とても楽しみです。もうこういったNothingnessとはおさらば!だぜ。お金をいただいている分だけしっかり働ける場所でないと、なんだかやっぱり気分はよくないものだ、というのが、今回の通訳の結論です。やはり通訳をやるのであれば、みんなが肉体労働をしていない、会議系のものや、アフター5の通訳がいいのかもしれません・・・。自戒して仕事を終えました。が、知り合ったみんなとは、今後も長いおつきあいをしたいと思っています。彼らについては、また今後のエッセイで触れていきます。