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欲望を貫く根性

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04/19/2007 にアップした文章です。

 

いろいろなかっこいいことを言う人がいるのだけれども、所詮浮気は浮気で性的欲求だし、食べすぎや飲みすぎは生理的な欲求。欲望を貫く根性というのは、「原始に戻る」という意味で、たいへんに潔い行為ではあるなぁと思うのだ。どうよ?開き直ってできますか?飲みすぎ・食べすぎは、私もやっているのですが、回りがどうなっても構わない、心も身体もボロボロになっても構わない、というほどに、欲望を貫けるってぇのも、見上げたものなのかもなぁ、と思うのだった・・・。

欲望:ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち。

この過不足なんだよねぇ。何を充分と思うか?という基本的なところなのだ。私には、「スタンダード・理想」というものがほぼないので、無我夢中にがむしゃらに求めるってぇことがどうもできない。飲みすぎるときなども、ただの薬物作用で(笑)、気づくと酔っ払っているというだけのこと。食べすぎも脳内に「満腹感」が到達するのが遅いから為せる技で、「よぉし!今日は食うぞぉ!」というのは、年に1回あるかないかのこと。

不足していると思うことは、私にはほぼない・・・。支払いなどが歴然と数字になっていて、それを充たすためにお財布からなり、口座からなり、お金が落ちるというのが、私の過不足認識で、感情的なもの、特に欲望と呼ばれるような、「欲しいっ!」というのが、非常に希薄なのである。

たとえば浮気。「浮気じゃないんだ、本気なんだ。恋なんだよ」と、いくらでも自分の心に上ったことを言う人はいます。配偶者がいる人とおつきあいするのは、まったくいいですよ。私の決めるこっちゃーないわけです。ただ、言い訳とか動機が、欲望だってことは認めようよ、と思うの・・・。それについて、のらりくらりと言い訳をして、哲学的なことを言い出して、雲や霞を食べて生きていけるようなことを語る輩は、生活をしなければいけない、とばっちりを食う人間のことを考えないといかんでしょ。

食べ物にたとえると怒る方がいるのでしょうが、毎日ステーキが食えないから、お茶漬けを食べるという感覚で、違ったタイプの女性を追いかける男性は実在する。あるいは、本人だけがそう思い込んでいるだけで、タイプというのはあまり変わらず、ステーキの中でも、フィレミニヨンとニューヨークステーキと和牛となどという結果になっている場合もあり。どちらにしても、欲望なんだよ。

必要なのかどうか?を考えたところで、過不足の不足というのは、必要なはずなのだろうか?

昨日のエッセイでも述べた通り、私は全般的に人間に対する執着が非常に薄いので、性的関係や恋心がないといけない、老ける、人間らしくない、などとは考えておらず・・・。不足している充実感を、恋で埋めようと思うことはまず、ありえない。自分という工場で作れないものを、他人の工場とドッキングしてコラボするって考え方は、私は商業上ではありだとは思うけれども、個人として使いたいとは到底思えない。

ただし、老いに対する恐怖心のようなものが、20代後半から人によっては4・50代まで続くのはよくわかる。その老いに対する抵抗が、恋愛で昇華できるのではないか?という、安直な道筋は、私も辿ってきたしね。でも、結局は、冷静で充実していたときに選んだ西さんが、私には最もぴったりしており、私はただの欲望と自然の摂理に負けて行動していたことが、今になるとよーくわかる・・・。私の場合は、30代中盤だったのだけれども、悟ったのでもう大丈夫です(笑)。

恋愛の定員は、2人だというのが私の考えなので、たとえ不倫や浮気をしていても、彼女が妻に対してモノを言うのはご法度だと思っています。逆も同じで、意思表示ならば、ぜひぜひ「慰謝料請求」を、弁護士を通してやるのがいいかと・・・。出会う順番が云々とわからないことを言う人がいますが、だったら、ひとつをきれいにして、もうひとつを始める準備ができてから開始すればよい。出会っちゃってから気づいたというオマヌケな場合ならば、早いところきれいにして、誠意をしっかり見せないとね・・・。うだうだ、欲望に詩をつけたり、哲学を含んだりする必要などないのだ。それよりも、生活だ。

もしも自分の欲望を通したいのであれば、恥などはかなぐり捨てて、昔の詩人や哲学者やその他の偉人のように、「我は正義なり」面をして、主張し続けてみればいいと思うんだわ・・・。どんな倫理的不義をしても、通す人は通すだけの説得ができるし、万人の同情や共感を引くだけのことが言えるのだろうと思う。

私はできないことが身に染みてわかっているので、欲望は通さないことにしているし、そんな勝負に出る根性もないよ・・・。

根性:(1)生まれつきの性質。根本的な考え方。(2)苦しさに耐えて成し遂げようとする強い精神力。

人間は完全ではない、と言い張るのであれば、人間が持っている野生や本能について、大いに認めた暮らし方をすればいいのに、と、恋愛以外のところでは活躍させないことを不思議に思うわけなのです。どうやって血圧の低いのを正常値に持っていくか、買い物依存症を治すか、太陽に即した暮らしをすると体調はどうなるか、などなど、恋愛以外については、大事業だとは思っていないらしいことを、どうも不思議に思うのだ。「恋愛は尊く美しく儚く脆く語る価値がある」というステレオタイプは、なんだかもう辟易しているのは、私がいい年をこいたから、ではなくて、かなり前からそういう体質だったのだろうと思う。

昨日も書いた通り、私は粘着質の人間関係が大の苦手なのだろうから、浮気や不倫などの面倒くさい、妙に入り組んだことなど、素通りしたいというのが、私の欲望なんだろな・・・。だから私も、ここでであれば、自分の欲望を貫く根性はあると見える・・・(爆)。孤独も大丈夫だし、人間関係の輪が小さくてもいいし、大きくなっても希薄でもいい、ってことになるのかな・・・。

なんだか考えるのは、合理的で冷たいと自認する私がゆえに、恋愛、しかも浮気や不倫に費やすエネルギーと、時間とお金のもったいなさ(笑)。莫大でしょーよぉー。しかも、結果的に何が倖せなのか、わかっていないから放浪を続ける自分を、最後に認めなければならないことはつらくないのか?何があれば不足のない暮らしなのか、倖せと呼べる暮らしなのか、わかっていたら欲望は追い求めないような気もする。むしろ、今ある倖せを自衛し、守り続けるために必死な気がする・・・。

でも、その単調な繰り返しで、失敗をして、妻や夫を恨みつらみ、憎み、飽き、するなか、いつしか、「自分は悪くない」が、どうも身についているのかなぁ、という気がするな。「こんな状況だったんだもの、無理ないでしょ?」という、切ない言い訳。なんだか聞き飽きたというのが、今の私の事実で、それについて喧々囂々(けんけんごうごう)と話している人々や、書いているブログというのも、興ざめなところ。冷たいよねぇ(笑)。

だったら、やはり、欲望を貫く根性を、きれいに、きっぱり、潔く見せてほしいなぁ、と思うのです。そんなのだったら、かなり楽しく読める気がするし、見れる気がするし、聞ける気がするのね・・・。気づくと、浮気やらその他も、いろいろな切り口があるわね・・・。これについてはもう何度も書いているのだけれども、今日はこんなふうに表現してみました。ただし、私は不倫や浮気は、肯定しています。やるなら根性決めてかかれ!と思っているだけで♪