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気になる美醜

04/01/2007 にアップした文章です。

始終うつむいて歩きたくなるほどの不細工に生まれたわけではなく、かと言って、振り向かれるほど美人に生まれたわけでもなく、というのがほとんどの人たち。これもおそらく、美意識の変化はあるにしろ、67%ほどの人たちが「平均値」であるμに属すのです。ええ、社会科学ですから、ブレが時期であったり、年代別認識であったりすることはままあれ、だいたい、ベルカーブだと断言してしまってもかまわないことでしょう。なのに、どうして、人はこんなにも美醜に左右されるのか?ここは、不思議すぎる問題です。

私個人も、ごく平均に生まれたので、造作や表情が好きだと言ってくれたりする人々には、長い人生の中、多数逢いました。が、決して世紀の美人でもなく、踏みつけなじられるほどの醜女(しこめ)でもなく、至って平均のどこかに属すことはわかっています。それをどのように体現していくか?というところで、私は、「いつまで化粧なしで暮らしていけるのか」にチャレンジしてきましたが、そろそろ断念せねばならぬようです。なぜならば、知名度の高い会社の社長付の通訳の仕事を、3ヶ月請け負うことを決心したからです。私個人の思惑ではなく、会社を代表する人間のそばでいろいろな人に曝されることになるので、これはパッケージのひとつ。どうしてもお化粧はして行かねばならぬことでしょう・・・。が、この近所を闊歩する限りにおいては、ノーメイク主義は今後も続けていく予定です。

余談ですが、スキーインストラクター日焼けは、少しは落ち着いたものの、まだ他人様よりは赤い(爆)。しかも、小鼻のそばや額など、皮が剥けるんだよなぁ・・・。信じがたいことには、日々角質化された皮膚が、少しずつ剥がれるという感じではなく、あきらかに日焼けのようにまとまった面積で剥ける(笑)。もー、二度とこんなすごい顔の日焼けはしてはならぬ!と、心に誓っている日々です。ど

私個人は、美醜に対してたいへんに鈍感な人間のようです。私の美醜の基準が、それほど確固たるものとして確定されていない、というのが原因で、たくさんの引き出しがあり、そのコンビネーションの多さを「是」「美」「心地よい」と認めてしまうので、誰が美人で誰がブスなどという分け方をしていないためだと思われます。そりゃー、「世間の基準でいう美人・ブス」くらいは、「ふむふむ」と納得できるし、篩い分けはできますが、それには賛成していないことも確かです。

私は、ハーフだとよく言われる顔立ちなのですが、その由縁は、眼の大きさと眉毛の濃さと造作の大きいところにあります。アメリカでもハーフだとほぼ9割の人間に言われていましたし、アメリカ人というのは基本的におらず、どこかの混血というのが通念ですから、当然のことでしょう。ただ、日本に暮らしていると、ハーフというのは、あくまでハーフで、父親と母親の血液と、その前の祖父母あたりまでに混血が著しく認められる人々は、明らかに「気づかれる」対象となるようです。そのせいか、私は、ある程度その話が出るくらい話した人にの2人にひとりには、ハーフ?と訊かれてきました。小さい頃からです。なので、「混血かもしれない」というだけで、「美しい」「異質の美」をおまけとしてもらってきたというオトク感はあります(笑)。そんなもん、実は損するところも多いのですが・・・(汗)。

個人的に好きな顔というのは、どうやって生まれるのか、心理学的に説明すると、まずは、1.安全や安心、心地よさをもたらしてくれる顔 となります。実際のところ、たいへんに売れているハリウッドスターの統計学をやった、たいへんに気長な心理学者がいますが、彼の統計によると、「左右対称率が高いこと」「顔が小さいこと」「造作が大きいこと(特に眼と口)」となっています。これは、黒人・白人・アジア人など、肌の色にまったく関係ありません。視点はどこにあるのか?出発点は、哺乳類ほぼすべてが遺伝子の中に本能として持っている、Alloparental behaviorに現れるものです。種の赤ちゃんを見ると、ほんわかした気持ちになり、「守ってやりたい」と思わせる本能が埋め込まれているのです。しっかりした表情が持てない赤ちゃんは、頭が大きく、造作がしっかりしておらず、ちぐはぐなところもありますが、このときにはまだ感覚器官も使われておらず(発達中)、左右対称率が高いのです。その後、人は、大人に対して、「純粋な部分を残したまま美しく成長した形」に魅了されていくことになります。左右対称率が高く、頭はすっかり成長し、四肢がしっかり伸びやかになり、造作は大きなまま、主張や表情をしっかり持った顔を好むようになるわけです。ここが、「汚いものに影響されずに純粋さを保った」と同時に「生きてきた途中でしっかり自分の主義主張を培っていた」という2大要素をしっかりカバーした顔に、安全や安心、嗜好、心地よさを感じていくわけです。納得?

そして、人というのは身勝手なもので、ある人にとっては嗜好は違うことになります。たとえば、パワーゲームを無意識にしろ意識的にしろ、している男性で、パワーを掴みたい傾向が強い人であれば、「純粋さが保たれたまま」の「従順で主張は少ないと主張している顔」を好むようになるわけです。純和風美人というのは、かなりこの様相を示してきました。一重まぶたの眼というのは、パチパチすることでの鬱陶しさや主張が少ない。おちょぼ口も同様です。実際に話すかどうかは別問題なのですが、視覚から入る脳としては、それに左右される悲しさがあるわけです(笑)。肌の透明さは、純粋さを表しますし、柳腰などの細さや小股が切れ上がるなども、奥ゆかしい主張が奥に隠れていることを指します。こうして、男の人たちは女性の嗜好を、知らないうちに選んできたわけです。

幕府が鎖国を解いて以来、美が多様化してきました。近年においては、ますますのことで、異質に傾倒する嗜好が台頭しました。これが、2.の「危険なもの、手に負えないものへのチャレンジ、興味、憧憬」です。眼は圧倒的に二重が人気になり、肌は一時期小麦色がもてはやされました(最近また戻っています)。希少価値を認めることもできるようになり、統計学のベルカーブの左右に位置する、「うんと美人(むしろ人工的に見えてしまう)」や「ブス」でも、嗜好が多様化してきました。お笑いだからいいじゃないか、というのが、まだ日本の嗜好の幅の狭さを顕しているところではありますが、森三中やハリセンボンなどが、昨今人気があるのもこういったところなのでしょう。さらに、素人のあいだでも流行に乗じて、「ブスカワ」「エロカワ」などと略される、ブスだけどかわいい、エロいけどかわいい、などの傾向が広く認められるようになるわけです。

昨今流行している巨乳ブームなどに至っても同じで、胸だけが大きいことがよく、顔はあくまで童顔がもてはやされているようでは、まだまだ日本の嗜好の幅は狭いのよ・・・(笑)。グラビアアイドルの顔立ちを見て、「うひー、みんなかなり双子のように似ているな」と、思った私は、冷静すぎるかしら?(笑)

ただし、みなさまお気をつけあれ。純粋さを保ったような顔を持っていても、実際のところはわかりません(笑)。作り笑顔などができる人なのかどうか、をまず見極めていただきたい。私個人は、涙は我慢できますが、笑いはどうしても我慢できず、吹き出し始めると「ちょっと待って」と頼んでしまうほどに笑ってしまいます。さらに、ちょっとしたことで、笑いのツボが違うとへんなところで笑っていて、違和感を与えることもあります。涙も同じで、好きなときに好きなように泣ける人というのは実在します。悲しいことに、顔というのもツールのひとつではあるので、筋肉なども与えた表情により発達する可能性が多く、作り笑いであってもそれがその人の顔になっていくわけです。

さて、美醜についてのあなたの考えは、少しくらいは変化しましたか?なぜ私は(俺は)この顔が好きなのだろう?と、じろじろと愛する人の顔を眺めてみてください(笑)。きっと、何かがわかるはず・・・。

 

 

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