泣きたくなるほどなつかしい

06/25/2008 にアップした文章です。

 

私の涙は、私的にはそれほど価値がないのですが、私が泣いているところを見たことがあるヒトはとても少ないので、外向的には価値があるのかもしれません。毎日いくばくかの涙を流す日は続いていますが、大安売りなのです。La Isla Bonita(マドンナの往年の曲)を久々にビデオクリップで見て聴いたくらいで泣けますから(笑)。泣けて気持ちよかったので、さらにAerosmithやらCeline Dionやら、泣ける歌特集をやって、30分ほどひとしきり泣いておきました(笑)。涙を誘う理由というのは、いろいろ違うのでしょうが、どんな理由でヒトは泣くのだろうか?

 

涙が出る構造>http://www.ocular.net/jiten/jiten004.htm 生命体の一部であるヒトとしては、このような役割を担って泣いているわけですが、人としてはどうして泣いているのか?

 

http://www.nagaitosiya.com/a/cry.html 

(※リンクが過去のため下記のまとめとマッチしていない場合があります)

これをまとめてみると、

  1. が生物学的理由について追求しており、
  2. Freyの説を用いていますが、これが一般人に向けた英語の新聞記事。http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?sec=health&res=9F00E4D71738F932A0575BC0A964948260 女性の涙の理由:悲しみ→ヨロコビ→怒り→同情・心配・恐怖。ちょっと調べてみました。すると、女性は、1ヶ月に5.3回泣くそうで、男性は1.4回。これはアメリカでの調査です。文化的背景としては、日本とかなり近いものがあるのですが(これまでの感情的な査定では男女差は、時差が多少あるものの、男性優位+最近の女性進出という秤で近い)、日本も真面目に調査するとそれくらいになるのかなと思わせる数字でした。なので、社会的地位を獲得してしまった大物女性は泣かないのだそうです。
  3. は、「洗い流し作用」を象徴的に説明しており、『うれしくて泣く時とは、棚から牡丹餅が落ちてきた時ではなくて、積もり積もった苦労と心配を洗い流す時なのだ』ということらしい。『涙を流すということは、悲しさ、悔しさ、心配、恐怖といった心の中に生じてくるごみを象徴的に洗い流し、排除しようとする、システムの自己防衛反応であると解釈することができる』と〆ています。

4.5.では、この3.についてを詳しく説明しているので、なぜ分けるにしても、3-1、3-2などにしなかったのかわからないんですが、どうやらそうらしい。

 

私も以前に泣くことについては、自分の考えを書いたのですが、泣いてすっきりするのはいいよ♪とオススメすらしたのでした(笑)。

 

私が人前で泣かないのは、大物だからではなく、他人に余計な気遣いをされたり、他人に勝手に「彼女はこういう人だ!」とみなし作業をされたりしたら、とてつもなく鬱陶しい・イヤだからですね。

 

これを読んでから、じっくり考えてみると、私にとっては、睡眠のときの「脳の最適化」と同じくらい、泣くという行為は、記憶の生理整頓になっているらしい、という仮説に達しました。どうしても行動を伴わないとできないのが、私がどうあがいても凡人たる由縁らしい・・・(汗)。

 

カタルシス:(1)悲劇を見ることによって日頃鬱積(うつせき)している情緒を解放し、それにより精神を浄化すること。(2)精神分析で、抑圧された感情や体験を言葉や行動として外部に表出して、心の緊張を解消すること。

 

笑いのほうがずっと健康にいいと誰かが言ったか言わなかったか・・・。でも、笑うことは健康にいいとは言われており、どちらが?という比較は誰もまだしていないような気がします。とりあえず、笑いの効用を見てみてください。http://blog.livedoor.jp/ocean3906/archives/50883742.html

NK細胞(Natural Killer Cell)が活性化するんだそうです。

 

私には鬱積している情緒というのがあるのだろうか?と少し考えています。特にないような気がするのは、私に耐えられるだけのものでしかないからなのでしょう。が、大昔、子どもの頃は、鬱積した憤怒は多かった(笑)。たとえば、長女に生まれたことでなんだかんだと条件付けられることだけで、たいへんに不平を持っており、そのフェアさがない事実に対して、どうしていいかわからず、途方に暮れたことがある。家族や友だちと仲良くしなければならない、と押し付けられたり、貧乏を我慢しなければならないと繰り返し言われたり、勉強なんかしなくていいから早く働けと言われたことなども、なんだかとてもわびしく淋しかったので、そのたびに泣いていたような・・・(汗)。が、それだけではなく、何かが壊れたことや、虫の死骸や、誰かが泣いたのにつられてしまったり、けっこうよく泣いた記憶はあり。ただし、私は小さい頃から、親や家族以外の前ではやっぱりあまり泣かなかった。そして、いつしか誰かの前で泣くことはやめよう!と決意したのは、8・9歳くらいだったかもしれない。

 

悲劇を見て、自分の悲劇を軽減していた作用は確かにあったよなぁ・・・。なんて小さい人間だったのだろうと今となっては思うのですが、それも30代半ば頃からめっきり減りました。

 

今泣いているのは、カタルシス効果ではないときのほうがずっと多いかもしれない、と思い当たるようになったのは、「泣きたくなるほどなつかしい」という、この記憶に関するキーワードなのですよ。泣き始める理由が、I have been there(私はそこにいたことがあるわ)というきっかけ。雨の匂いが強烈になつかしかったり、生まれ育つ中で聴いたこともない音楽にムショウに心魅かれたり、私も途方に暮れて夕日が沈むのを眺めていたっけ、などというものから始まる。

 

私には浄化しなくてはならない鬱積した心の不満や憤りが今のところはさほどないので(そりゃ、日本社会全体だとか、世界平和が来ないことなどにはありますが、それが私の心の均衡を揺るがすほどにはなっておらず・・・)、泣きたくなるほどなつかしい風景や記憶が思い出されることにより、「こんなに長い道のりを来たんだな」という心と記憶の整理をしているように思うのです。それはカタルシスなのか?特に、浄化する必要などはなく、あるがままをあるがままに、その当時できなかった説明がさらにできたり、いなくなってしまったり、なくなってしまった人やモノに対してのなつかしさを確認して、忘れないようにしようと決意したり、新たにフォルダを作ったり、ファイルの整理をしたり、というのが泣いている最中の心の動きを受けた、頭の動きになっているようです。

 

泣いてるくせにずいぶん冷静だねい!?だって言われても、まぁ、最近は本当にそうなんですよ・・・。心が千路に乱れて死にそう・・・ってくらいの恋愛などはしておらず、解決できない大問題なども抱えておらず(MatrixのNeoだとか、Spidermanだとか、ウルトラマンのような使命を背負うような人材ではないしさ・・・)、映画などを見ていて泣いても、「私だったら必ずこうしたい」という決意をさらに深めるような作業になっており・・・。

 

さらに私が後日研究してみたいのは、大の男が泣く理由について。私はそもそもメンタリティが中年のおっさんのようなところが、若い頃からあるのです。きっと私が泣く理由もそれらにかなり似ているに違いないのだった。相変わらず泣くことには疲れていません。眠りと同じように私の日常の一部です。うん。

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