混沌としたBeingを目の前にして

Dec 8, 2005  に書いた文章です。

私はいい歳こいていますので、自分をよく知ってきたし、これまでの勉強・学習方法が正解だったのか、練れてきているので、あらゆることが来てもかなりの確率でクリアできるのではないか?という矜持があります。が、若いお嬢さん支援会員としては、混沌としたままでいる存在に何とか道をつけていく方法がないものか、といつも思案しているところです。あ、特に若いお嬢さんとしたのは、若いお嬢さんのほうが混沌としている率が高く、さらに聞く耳を持っておりやすいこともあるからです。ちょっといい歳こいてしまうと、なかなか他人の話を真剣に聞け、素直にやってみる、というところまでは行かないのが複雑な人の心理です・・・。

基本的に私は過干渉ではないので、誰がどんな失敗をしても先回りしてカバーすることはなく、本人の失敗を本人に学んでもらうのがイチバンだと強く信じているのですが、不思議なことに、そのTaskの難易度が低ければ、結果としても「それなりにこなせてしまう」ということになり、決定的改善などがなされぬまま、人は変わらないで行ってしまいます。

そもそも低い難易度のものにしかチャレンジしない傾向というのを、今回私は日本で見てきたような気がします。

イチバンに髪型。美容院に行ったエッセイでのポイントはいろいろあったのですが、多数決や全体主義に捉えられている傾向に、人々は気づいていない。「最近は髪のボリュームを抑え目にしてさらっとしあげるナチュラルが流行」というマジックワードに、かなりの人々が流されているわけです。私は自分の髪質を痛いほど知っていますので、ストレートはダメとすでに断り、手入れをこまめにできるわけではないのできついパーマを全体にしてもらい、メンテがしやすいようにすべてをそろえて短めに切ってもらいながらも、ショートではなくロングのままな其本型を保ちました。髪の色もいつもと同じにしてもらい、私の行き着けのまき子さんと比べてしまいましたさ。まき子さんも私の髪をショートにしたがりながら、もう15年が過ぎてしまったのですが、私はあくまでロングを通しています。一昨年の夏に30cm切って以来、やはり私はいくつになっても限界まではロングを通そうと思っています。とにかくLow Maintenance(ローメンテ)が大切です。

そこで、「なんで自分だけ流行から外れた髪型でも平気なんですか?」と聞かれたりしましたが、平気なんですからしょうがない(笑)。毎日シャワーを浴びたあとに、髪に20分費やすことを考えたら、1ヶ月で600分(10時間)になり、私の1日の睡眠時間を大幅に超えてしまうわけです。寝させてぇぇぇぇ、と叫んでしまいます。実は私は、髪もとかさず、ドライヤーも使わないので、シャワーを浴びながらトリートメントをしたときに、ざくざくと櫛を通すだけで、ほんとにメンテ知らずの髪なのですね。10時間あったら、私はきちんと眠るか、本を読むか、映画を見たほうがいいです。人にどう思われるのか?を気にして生きていくのは、もうとっくの昔に卒業しました。

人にどう見られるか?という問題は、混沌としたBeingのかなり共通した懸念であるようです。私は昨日のComing outにもあったように、日本では営業や事務や企画書その他の時間は、TVを見ていてもしょうがないので、パチンコに通うようになったのです。うーん、のべにしたらどれくらいだったんだろう?11月4日頃にデビューして、そのあと12月1日までですから、たぶん20回くらい?京王線調布駅には、パチンコやさんが7個あり、私はそのうちの3個を足場にしていたのですが、いつも負けないので店員さん他に顔を覚えられてしまい、特にガードマンさんには呆れられておりました。が、私がいくつくらいで、何を仕事にしており、なぜパチンコをしているのか、などは、彼らにはどうでもいいことです。人間ウォッチングとして、脳みそを鍛えるために謎は残しておいたほうがいいわけです(笑)。2回だけ大負けしたことがありますが、一度だけ6千円しか儲からなかっただけで、あとは毎回2万以上儲けてました。多いときには、8万くらいになったんで、パチンコは競馬を覚えるよりいいな、と11月中にひしと感じていたのでした・・・。が、私が儲かりまくっていることを知っていたのは、同じ水戸黄門に通い詰めるサラリーマンの方2人と、何やってるかわからない50代の男性1人のみで、あとは母だけ?おもしろいことに、私が8箱以上出して、「勝ち逃げ」をすると、決まって運があまりないサラリーマンは、私の打っていた台に移動するわけです>うーん、セオリー的に間違ってると思うけどなぁ。ま、それはそれでおもしろいので放置でしたが・・・。

とにかく、私は誰にどう見られようともまったく気にせず、ついこのあいだ、「40過ぎているように見えますよ」と初めて言われたときにもまったく気にかけませんでした。むしろ歳相応に見えたほうがいいので、今までの若く見立てられていたStreak(流れ)がぶち破られてよかったのです。が、それを反省材料にし、今回、免税店でSK-IIを買ってみました(爆)。が、当然まだ封を切っておらず、使っておりません>気がないねぇ(汗)。

私が若いお嬢さんだった頃、混沌としていた理由に持病がありましたが、それとうまくやっていくために、理解者に廻りにいてもらうことに邁進し、USまでたどり着いてしまい、かなりの労力は解消しました。それでもまだ少し混沌としていた理由は何だったのだろう?と考えると、「見えない将来」なんだろうな、ということが見えてきます。データ解析能力があれば、不安になることもなく、混沌はきちんと整理され、どんどん自分が好きになり、自信を持って生きていけるのにな、と思います。私自身はどうなりたいか?を自分に問うたあと、その通りに計画し、沿って行動し、ダメ出しをさらにし、また軌道修正して、計画をどんどん成し遂げるので、将来に不安があったことはなく、むしろ「わからないからおもしろい」と思えたりするわけです。が、混沌を混沌のまま放置しておけると、混沌としたまま大人になっていくのでしょうね・・・。私はUSに来て以来、ずっと学校に通い、仕事もちょろっとして、自分を実現してきましたから、これからもその通りにできるという自信が大いにあります。混沌としてる場合じゃないってこともあるけれども、混沌とするならば、自分ではなく、コントロールの利かない他人や社会のほうがもっと面倒で、私はそちらのほうに労力を使いたいです。

楽天的であるか悲観的であるかは大きな分岐点で、私は生まれ持った部分の楽天加減がとても大きいのでしょう。がゆえに、たまに悲劇のヒロインをやってみても長く続きません。悲劇のヒロインを長いことできる人は、悲観的な設定の自分に酔うことができ、自分の中にいるもうひとりの自分といっしょになって、自分に言い訳をしているのでしょうね。うつ病の悪循環サイクルも似たような原理です。なので、本当に治りたかったら、薬には初期しか頼らず、まともなセラピーに通うのが有効なのですが、日本の現状は、会計監査士の親友に教えてもらったようにひどいようです。なので、権威に対して立ち向かえる体質を持っていない、病気で気が弱くなった人たちには、あまりいい環境が整っているとは思えません。うつ病まで行かずとも、悲観-楽観を分ける日々の環境はとても大切です。混沌さを少しでも軽くしたいのならば、何かを成し遂げた達成感を、のちのちまた引き出して暖めて自分に微笑むことができるよう、達成する何かをたくさん持つほうがいいわけです。が、日本は電子ジャーが歌ったり(母の炊飯器はアマリリスを歌うのである・・・)、お茶も自分で淹れなくてもペットボトルがあり、料理をすると却って高くついてしまうような環境で、とてもじゃないが、自分が何かを日々達成するのが難しいのでしょう。そこで、家事と買い物全般を母任せにしている私は、仕事のほかにパチンコを思いついたという短絡さ加減なのですが(笑)。

髪を洗うというひとつの行為にしても、今の自分ができるベストを尽くす、なんて気合を入れている人はあまりおらず、私はそうして風化し、絶滅した恐竜のような存在になっていくのか?とも思います。トリートメントが浸透するように最初に髪を洗い、時間があれば、あとでの掃除がラクになるようにタイル磨きをしている素っ裸の自分を誰かが見ていたら笑えるんだろうな、と思える行動はしばしばです。私は掃除が大嫌いですが、蛇口や換気扇も掃除せねばならぬ箇所だというのは知っており、自分がどうしてもできない場合にはプロを雇います。が、自分でやってきれいになったときはうれしくてたまらなくなるわけです。TVの画面にほこりがついていても平気で見れるという神経を私は持ち合わせておらず、日本では母によく拭いてもらっていました。そこに気づけなくなっている人たちが、日本で今多いことを実感した次第です。

どうやったら自信が持てて、自分なりのシステムを創りあげることができ、それでも他人の話を聞く余地をきちんと持ちながら、まっとうにけなげに生きていけるのか?混沌としたBeingでいつまでもいることは、自分だけではなく、愛する人たちにも大きな負担になるかもしれません。自分のことがいつも好きで、改善の余地をいつも認められ、自分にしかできないだろう人生を、みんなに歩んでもらいたいと願う私は、まだまだナイーブなのでしょうか・・・・。
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