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片想いの昇華;Bridget Jones’s Diary

05/22/2006 にアップした文章です。

 

Bridget Jones’s  Diaryをどうしても好きになれず、1はそれほどエンジョイしないまま終わり、2のBridget Jones; the Edge of Reasonを見るのをもう8ヶ月ほど延期していたのです。が、昨日、なぜか気が向いて見てみました。泣くまではいかなかったものの、いろいろな謎が解けた気がしました。

感情を複雑に捉えてしまう傾向は、心理学部に入るずっと以前からの大きな問題でしたが、映画を見たあとでも、やはりシンプルに捉えたほうがいいことと、深部までしっかり解析したほうがいいこと、には分かれるとは思います。が、欲しいものがたとえ「部分的にでも」手に入るのであれば、それは得ておいたほうがよいのかもしれない、という、謎の多い結論に至りました(爆)。さて、説明しましょう。

私の過去の恋たちも、すべてが両想いに終わったわけではありません。いや、精神的にはたぶん両想いになったことが100%なのですが、その想いの強さは「どちらかがいつも片想い」でした。私の愛情量の多さから行くと、私が片想いだったことがずっと多い、と結論を出したほうが安全です。特に、自分のプライドをこんなところで保っても仕方ない・・・。「惚れられた自慢大会」ではないですから(爆)。手に入らないものをずっとないものねだりしつつ、たとえわずかでも手に入ったものに感謝しながら恋してきた、というのが痛い現実です。私は、恋に理想は一切持っておらず、「白馬に乗った王子様などいてたまるか!」と、かなり小さい頃から思ってきた夢のない女です。

コレは西さんへの侮辱ではなく、現実に即して、お互いの持って生まれた先天的ポテンシャルを、生きているあいだに大いに咲かせるために、幻想を最小限に抑えてきたというタクティクスです。私は、未だに西さんにも私のほうが強い片想いをしているとみなしているのですが、倖せなことに、西さんも自分のほうが片想いをしていると思っている誤解があり、何とかうまく行っているわけです。が、西さんはもうすぐ気づいてしまうのだと私は予測しています。生まれ持ってさらに育ってきて、大人になってからも培ってきた愛情量が、私のほうが圧倒的に多いのです。がゆえに、チャンスとしては、彼が彼のキャパの95%を賭けて私を好きでいても、私の50%にもかなうわけはないという数論が成り立ってしまうのです。西さんが、退社し、起業して以来、自分の器についてまた鋭く深く考え始めたので、今回は避けられず、きっともうすぐ気づいてしまうのでしょう。けっこう哀れな現実よね・・・。でも受け止めないとね・・・(笑)。

10代くらいから、この悲しい現実を悟り、私は人に100%心を預けてしまうことをしなくなりました。いや、したんだよね、部分的には(笑)。そして、飲み明かして食って乱れて泣いて叫んで、態度が悪くなり太って醜くなった・・・(爆)。それもこれも、「愛情の押し付け」を避けるためで、ひとりSMを簡単に楽しんできた、という第三者の傍観になるのでしょうか。愛情を押し付けたままで突っ走るよりは、救いがあったのかもしれません。ストーカーにならなくてよかった・・・。貧乏なのもよかったです。稼がないと生き延びていけなかったから。が、しばらくそれを繰り返すことになる。

若い頃はダメじゃないですか。生理的に好みのタイプを追いかけ、相手にまったく外見に比例する中身が伴っていないことをなかなか認められず、自分のホルモンも調整できず、ドラマの見すぎや本の読みすぎに酔いしれており、後頭部の左後ろのほうで「小指の赤い糸伝説」にすがりついているところもあり、絵に描いたような倖せへのチャンスは低いがゼロなわけがないと繰り返す日々。私のBridget Jones’s  Diaryな日々だったわけです。どんなひどい男を好きになったかは端折っておきましょう(笑)。少数のステキな人たちに遭えただけでもめっけものです。

でも、それがいかにコミカルなことなのか認めることなどできず、仕事や学業、私の場合はアメリカ留学という形で逃げていったわけです。それでも片想いの傾向は、生きている限り終わるわけではない果てしなさ。

賢いんだかズルイんだかわかりませんが、昔の女性は『女は愛するより愛されて生きたほうがいい』などと多くが言っていましたが、今でも言っている人いるんだよね?私は、やはりそんな道は選べませんでした。愛されることだけで満足できていたら、今頃は何していたんだろう?と思うとぞっとします。

が、こんな繰り返しをしていたら、私がDNAのミラクルでもらった先天性がまったく生かせないことをさらに悟った。が、ゆえに、自分が得られる恋心だけに深く感謝しようと思い立つ。こんな簡単な悟りに到達するまでに、その悟りをしっかり有言実行できるようになるまでに、こんなに長い歳月をかけてしまうとは・・・、というのが、Bridget Jones’s  Diaryを見た感想なのです。

私は、20代になってからは、私のホルモンが「いい!いい!」と地団駄を踏んで泣き叫ぶ男を好きになることはなくなりました。脳がもうちょっと大きな割合で働くようになったせいでしょう。が、それでも完璧な男など存在しないし、そんな男たちに限って、今度は「心を開いてくれることが不得意」という大きなマイナスがありました。口先ではない、寡黙がゆえに、自分の心から現実逃避してきたことが多く、喜怒哀楽を最小限に抑えてきたタイプの人ばかりにぶち当たるようになりました。西さんがいい例です。ビジネスパートナーもそうですし、お鮨やさんで私がなかよくする人はみなこのタイプです。恋心はカケラくらいはみんなに持っています(笑)。でも、もう自分をいじめるひとりSMはやめにしています(爆)。

Bridget Jones’s  Diary;the Edge of Reasonでも、なぜこんなタイプがまさしくハッピーエンディングをもたらす相手だったのかわかりません。結局、みなそう落ち着いていくもの、という傾向があるのでしょうか?だとしたら、私は、悲しい事故を除いては、正しい路線を歩いてきたことになります。それに心なしか満足をしつつも、私が奮闘してきた日々は何だったんだろう?と笑ってもしまいました。

片想いでいいのだ、と落ち着いてきたのは、本当に最近になってからなのかもしれません。それまでは、小娘の頃の「愛した分を愛し返してもらいたい」というナマな感情を、ジェスチャーや口先で表現してきたエゲツなさがあったかもしれません。

英語では、Nobody has done anything like this wonderful for me beforeという表現があります。「こんなにステキなことを誰も私のためにしてくれたことはこれまで一度もなかったわ」というのを、私は一度でもいいから使ってみたいのですが、恋した相手に向かって使ったことはありません。恋じゃなければあったんですが(笑)。

私は、そんな感情を抑えながら生きている男たちに向かって、どうしても彼らの心が動くように意地になっているところがあり、そんなカケラを見せてもらえることがあったら、片想いでいいや、と堅く信じています。それは私への恋心のお返しでなくてまったくかまわない。ただ、それだけステキな男の人たちが、感情を出せる相手を探せたことに、いっしょに歓ぶことだけを支えにしています。それが私であれば、なおさらいいのですが・・・、他の人であっても文句はないですね。

だから、片想いであってもこの「欲しいものが部分的に手に入る現実」にとても歓んでいる日々です。

逆を考えて、Super-bitchyな私も、誰かにこの部分的な欲しいものを、どんな形であるかわからないにしろ、求められているのでしょうか?ふむ・・・。コレについてはもう少し考えてみます・・・。

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