現代におけるゴシップの役割

07/25/2008 にアップした文章です。

 

今日はけっこういい記事を見つけましたねぇ。しかも、中央日報からなので、ちょっとうれしい。昨日、私が受け持っていた韓国人の女の子の授業が終了し、彼女は2ヶ月ほど日本と韓国を行ったり来たりの生活になります。彼女は私のことを好いてくれており、メールを約束してくれていたり、英語の勉強の続行や、将来設計などの相談などをしたりすることは自明になっており、私ももう少し日韓関係について考えたほうがいいのかなぁと思っているところ。私個人は、韓国に対しての悪感情はなく、感情ではないところで、冷静に論理的に物事を解析したいと願っていて、それを言動に反映させていきたいと毎日思っています。今回、彼女の大学の面接試験の準備で、それについては本当にいろいろ考えさせられました。



元記事はコレ>例は、韓国の芸能界のゴシップなのですが、特に日本でも米国でも同じことで・・・。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102785&servcode=100&sectcode=120 

 

そもそもの実験を行ったのは、米国で、とはあるのですが、科学者の名前が書いていないところが悲しいです。さして重要ではないと思っているのだろうか?私が見るに、これは進化心理学をやっている人々か、文化人類学や社会心理学のある分野での実験なのです。この実験の設定は、リアルライフを反映した凝縮版でなければならず、仮想とはいえども、なるべく忠実に深層心理を通って、行動に顕れるものではなくてはならず・・・。けっこういいセン行っているんじゃないかなぁと思うのですが、論文そのものを見ることができないので、ちょっと残念。

 

生きていくことそのもの=サバイバル、という前提が成り立つので、それを小さいスケールで設定するのですが、損益がゲームの目的である、メンバーの価値了解が至って明確な貨幣による投資ゲーム。そこには、情報が入るというもので、2種類あり、ひとつは投資活動そのものに反映される類の情報で、もうひとつは投資先のヒトに関する情報。それぞれにポジティブとネガティブな情報があるが、ゴシップという後者の影響のほうが、投資活動そのものの情報よりも影響が大きかった、という結果が出たのですって。

 

なんとなくわかる・・・。

 

「人間は他人の形態を常に観察できないため、他の人が集めてきた情報であるゴシップに大きく頼る方向で進化してきた」「ゴシップを通した情報共有が集団の紐帯感を強め、各自が評判を憂慮して協力的に行動するよう導く肯定的な効果を発揮した」

 

これを狩猟活動などに置き換えてみるといいのだろうと・・・。グループで狩りをするのが主流だったのは、大きな動物を分配して生活をしていた狩猟民族で、たとえ仕留めても個人ではとても運び切れなかったり、保存や冷蔵ができないので、分配したほうが効率的で無駄がない場合、多くの部族は男の人たちが幾人かのグループを作って活動します。狩猟そのものの活動情報よりは、残された女性や若くてまだ狩猟グループに入らない人々たちは、ゴシップのほうを信じた、ということになります。でも、当時は、きっと純粋に口伝を今よりもずっと信じたのだろうし、マスメディアなどがないがゆえに、情報の統一性も大きかったのだろうと思えます。良い・悪いというヒトの判断なども、きっと今とは格段に違っていただろうし・・・。

 

残された女性たちは、分配方法にはいろいろな方法があったにせよ、自分とその子どものサバイバル率を増やすために、狩猟が上手な男を選びたいはず。若くて狩猟グループにこれから入る男性たちも、いっしょに活動したほうが学ぶものが多かったり、分配率が高くなったりするので、きっと、有効なのは、狩猟そのものに関する情報のはずなのです。

 

現代に生きる私たちも、「口コミ」が流行ったり、これだけの情報誌がたくさん出ていたり、大きくてたくさんの利益が出ている会社には、多くTV局や雑誌社やIT業界や広告会社などが座しています。たくさんの感じ方や考え方があっていいはずですが、その良い・悪いというのが、どうも他人を評することになると、しかも匿名性を帯びると、どうも悪いことばかりが氾濫しちゃってるんですねぇ・・・。昔の匿名性などというのは、探偵や刑事が来たときに、「ここだけの話ですよ・・・」などと言いつつ、秘密めいて話をしたり、近所での井戸端会議で小さい世界のことだけを話してきたはずでした。ところが、新聞に投稿欄ができたり、TVやラジオにはがきが出せるようになり、今度はネットだ・・・。その受け口というのはきっと大昔の何万倍くらいになっていることでしょう。いや、もしかすると、もっとかもしれないです。

 

もうひとつ考えると、情報を正確に流すというのは、かなりな労力が必要です。ゴシップには少しだけ、その苦労や情熱やエネルギーが少なくて済むようなところがある。プロは別でしょうけれども(というかそう願いたいだけですけども・・・)。

 

そして、その情報が正確でなければ、情報処理や解析ができるわけもなく、人々はどんどん横道に逸れていき、論理性は減り、ゴシップ性が高くなっていく・・・。

 

井戸端会議などでは、秘密や他人の評価などをしたヒトは、近所にやはりいつかバレたりしていたのです。その制裁というのもあり、村八分になるようなこともあったり・・・。が、匿名性というベールの内側で、人々は、面と向かった他人には到底言えないようなことが言えるようになってきています。特に、無機質のスクリーンの向こう側のナマミの人間について、しかも一度も会ったことがないヒトについて、思いを馳せることはなかなかできないです。

 

生業でもないことで、細心の注意を払い、他人を傷つけないようにするって、かなりたいへんでしょうし、自分が生活していく上で受けているストレス値も、大昔に比べればひどく上がっています。いや、ここ20年ですらこんなにドラマチックに変わっていることは、私が請け負います(笑)。私の知っていた20年前の東京と、今の東京は、ものすごい差がありますから。ストレス度合いは、私がアメリカカリフォルニアの田舎な暮らしに慣れてしまったせいもあるにせよ、やはりそれを引き算しても、格段の差です。便利になった反面、Give and Takeしてしまった代償がここには満ち溢れています。ええ、エレベーターの中で他人に話しかけられないつらさ、まだ味わっていますし(笑)。20年前は話せたんだけどなぁ(笑)。私は六本木でも銀座でも挨拶してましたけどねぇ・・・。

 

というわけで、私はゴシップをあまりよしとせず、記事を見ることは見ても、誰が書いているのか、どこが発信元なのか、どういった証拠があるのか、などなど、しつこく見るのを癖にしています。ただ、私も東京生活に疲れてしまっており、時々、よく数字などのデータを集めることを面倒くさがって後回しにしたり、誰かに頼ったりしていますよね・・・。

 

もう少し、意識しながら他人のゴシップはするようにお願いしたいです。悪口は、本人に言えることだけしか言わない、というのを、私は励行しています。まぁ、Obama氏や福田総理やその他の人々に生涯、一度たりとて逢えるとは思っていませんが、それでもそれを励行しています。きっぱりした覚悟がないと、きっと近くにいるヒトのことも、いつしかおざなりに悪口を言ってしまうかもしれませんので・・・。

 

 

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