現代国語の読解力

01/07/2008 にアップした文章です。

昨日、佐藤信夫の『レトリックの記号論』が問題になっている、現代国語の問題を高2の生徒さんといっしょに解いたのですが、なんだかまんざらでもないなぁ、と自分の現代国語能力には満足しました。言語学の入門のようなもので、分類すると、「説明文・解説文」というところなのでしょう。隠す必要もなく、私は受験後、日本の大学は国文だったので、これくらいわからねばならぬのですが、途中、英語をやったので、かなり毒されているのではないか?と不安ではあったのです。さらに、現代国語の読解力、あるのだろうか・・・と不安だったのは、遠藤周作をはじめ、いろいろな人が「受験問題に出されたけど、俺はあれを意図してないよ」などのコメントが多かったからです(笑)。

国語:(1)国家を形成する成員が自国語として使用し、共通語・公用語となっている言語。(2)(自国語としての)日本語。(3)漢語・外来語に対して、日本固有の語。和語。やまとことば。(4)学校教育の教科の一。「国語科」に同じ。(5)書名(別項参照)。
読解:文章を読み、その内容を理解すること。
理解:(1)物事のしくみや状況、また、その意味するところなどをわかること。納得すること。のみこむこと。(2)相手の立場や気持ちをくみとること。(3)道理。わけ。また、道理を説いて聞かせること。

英語学校でも、読むスピードが遅いなぁと思う人たちはかなりたくさんいます。スピード以前に、「読むことが嫌い」という人々がいるわけです。言語の中で、読み書きがない言語がありますが、少なくとも、日本語も英語も、読み書きが含まれているわけで、それを飛ばしてマスターするということは叶わず、やはり読み書きの恩恵は受けていただきたいもの・・・。なぜ読み書きがある場合できたほうがいいのか?を考えてもらっています。

1. Temporary(一時的)ではなく、言語が継続する性質を加味できる
2. 物理的に存在しておらずとも、第3者の考えや意志を読み取り、また、第3者に自分の考えや意志を伝達することができる
3. 表現や理解の可能性の幅が広げられる

と、まぁ、単純に考えただけでも∞(無限大)を予測させる可能性が3つも出てくるわけです。読み書きを持たなかった言語は、歴史の中でも埋没する運命を持ってしまったものが多いです。生活用品などが考古学者などによって発見されても、説明が文字として残っていない場合には、100%の確率で解明されることとはほど遠い確率に下がってしまいます。エジプトの遺跡の発掘は20世紀に熱病のように広がりましたが、残されている文字があったために、かなり多くのことがわかっており、再現できることも多いです。当時とまったく同じ味のビールやヨーグルトやパンなどを、商売にしている人々さえいるほどですから、その流布率というのは恐ろしいものがあります。ピラミッドの石がどうしてあのように高いところまで、クレーンもないのに上がったのか?という謎を持っている人がいたとしても、こうして書き文字として残っている場合、「知っている人を探して歩く」必要などもなく、書物やネットを調べれば簡単にわかってしまうわけですね。すばらしいことです。

ヒトの記憶力はアテにしきれないものなので、書きとめることができるかできないかで、日常的にもドラマチックな効果を得ていることはたくさんあります。お買物に行くときのメモから始まり、レシピやThings to do(やらねばならぬこと)や電話番号、日記、ブログなどなど、読み書き言語である恩恵は大きなものです。読み書きがない言語しか持たなかったならば、俗説である民話などが継承されただけで、書き留められることもなく、「伝言ゲーム」のようにいろいろなお話は変節していったに違いありません。書き留められた物語ですら、変わってしまってきているものもたくさんあるくらいなのですから・・・。

そこで、気づいているのは、読むスピードはともかく、読む量ががくんと減っているということ。もう年末年始からこれに関することは既に書いていますが、しつこくもう一度(笑)。以前から、私は自分が読書をするので、これを自慢するかのように書いているのですが、恩恵は余りあると思えるのです。

英語の生徒さんに、「日本語でいいからたくさん読んで」と頼みまくったところ、今年の抱負で、「読書量を増やす」方々がたくさんいて、とてもうれしく思いました。その中でも、「大学を卒業してから、雑誌以外は何も読んでいないかも・・・」と不安に慄いていたビジネスマン諸氏のうちのひとりは、私の大好きなRobert B. ParkerのSpenserシリーズを手にしてくれて、まず『初秋』を読んでいるものですから、おもしろくなって、シリーズ全部とはまだ言っていないものの、きっと多くを読んでくれるのではないかと思っています。『初秋』は、父親と母親が、自分たちの人間性のだらしなさや虚栄などを離婚劇でぶつけあっている中、子どもである男の子が武器として利用されるのです。そこで、クライアントに呆れた主人公のSpenserが、Paulという男の子に、着るものから食べ方、大工仕事や音楽、読書など、フツーに暮らしていくことを、ただただひたすらハードボイルド風に披露していく、という物語。偉そうに教えるわけじゃないんですよ。ベンチプレスをしているところを見せてみたら、Paulもやってみたくなり、無理をせず、彼に見合うようにただ、調整してやってみるときに事故が起きないように監督する。彼がいやなことを我慢してがんばったら、彼がイチバン今好きだと思えるダンスを見に行く。そのときにもだらしないカッコウではなく、スーツを買って着せてみる。食べ物にしても、好きなものを食べてしまったときには、健康のために何かを我慢したり(たとえば、ビールを飲んでしまったらデザートは抜くとか)、嫌いなものを食べてみたりする、というただそれだけのことなのです。

私は、子どもたちに対してそれらを実行しているのですが、たまに甘く見られるのかもしれません・・・(汗)。

日本人に生まれてよかったなぁと思うのは、言い回しが日本語独特のもので、自分が会話で日常的に使っていないものに出遭うとき。池波正太郎や京極夏彦やら、本当にお世話になっています(ぺこり)。今日も、テレビ朝日で海音寺潮五郎の『天と地と』をやっていましたが、ずいぶん端折っちゃったんだなぁ・・・、と少し悲しかったですが、原作を読んだのでよしとします。

現代国語の問題はよく読んでいるのですが、ここのところ忙しくて、図書館にも新年明けてからまだ行っていません。明日は行きたいと思っていたのですが、それもかなわず・・・。明後日もきっとダメだろう・・・。明々後日ならば何とか行く時間を作れるかもしれないです。

毎日、何が楽しくてこんなに長い時間教えているのか?と、ここのところ、はたと思っています。英語を教えるのはとても楽しいのですが、やはり受験のための勉強を教えるのはしんどくなってきたところ・・・。しかも、相手がいたいけな小学生や中学生が多いと、少しきついです。が、NASAに将来お勤めしたい中学1年の男の子とは、英語で軽い会話ができますから、少し息抜きになっています。楽しいです。

現代国語は、授業としては大しておもしろくもないのでしょうが、本は本当に読んでおいたほうがいいですっ!小説だけではなくて、論説文や解説文や批評文なども併せ、新聞や雑誌だけではなく、詩や時代モノなど、バラエティに富んでいたらなおよしです。

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