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10/21/2007 にアップした文章です。

 

私はたいへんに刹那的な観点を持ったやつだと思われていますが、実際のところは、ミックスでしょう。熱いときもあれば、冷たいときもあり、混ざり具合でどうとでもなるというのが、オトクなのか、損なのか・・・。どうせ人間は死ねば灰に戻ると言い切れるときもあるのですが(こう言い切ったまま考えが固定されているときのほうが多い)、やはり生まれてきたからには、生まれてきた理由がきっとどこかにあり、何か足跡を残して死んでいくのだ、とセンチメンタルにロマンに考えることもあり、そうありたいと強く願う自分がいるのも確かです。たいていの場合、死ぬことも考えたくはないので、やはり残している足掻きのようなことをしているのですが、いい歳をこいてきて、100%ではないにしろ、初めての死である母方の祖母の死を見て以来(満6歳)、ずいぶん歳月が流れたので、それほど死に対する恐怖もなくなってきました。生まれてきた証に、一体何ができるんだろうか?

これは、私だけではなく、あらゆる「考える生命体」の命題で、誰も正解を持っておらず、「なぜひとりで生まれてきてひとりで死んでゆくのか?」という命題とカップリングされています。脳が大きくない生命体では、これについて考えるキャパがなく、Ignorance is bliss! となるのですが、ヒトでは、生死に初めてぶち当たってから、コレについて考えるようになります。その頻度は、個人差があり、経験や環境や性格や気質によっても変わります。

私はそれほど脳も大きくないようで、キャパも天才レベルでもなく、ごくごく平凡な回数考えているようです。英語で表現すると、Every now and thenくらいですか。ただし、環境で、殺人事件があったり、関心のある人物の生死や病気などが情報として入ると、その回数はぐんと増えることになります。ということは、長く生きていて、情報量が増えると、こうしたこともよく考えるようになってしまうということですか・・・。

結論から言うと、私はこれらを長く、かなりの回数考えてきましたが、お墓は要らないと考えています。たくさんの人々が昨今、墓所ではなく、散骨を望むようになりましたが、私は10代から考えていました。それもこれも、おそらく、父方の神道と母方の祖母が苦労して買った墓所への想いがあり、そこから逃げたかったことが大きいのです。奥津城という文字がどーんと入った神道の父方の墓所は、父が生まれ育った実家からわずか3分の山道を登ったところにあります。彼らの生活様式や考え方の中心になっている世界観は、神道に則したものが驚くほど多く(今になって振り返るから、ですよ・・・笑)、父と母の考え方の違いもここから出発しているのだろうということがわかります。母の父の存命期間が長ければ、私ももう少し大きな影響を受けていたはずですが、野良犬のように扱われた祖母の悔しい想いから手に入れた、由緒正しい墓所への想いは、母にも「祖母への郷愁・愛・存在意義」などでしか受け継がれておらず、特に宗教観や信念には大きく影響がありません。

こういう混沌(大した混沌でもないのだけれども、私から見れば二者択一をせねばならないような、そんな気分に追い込まれたような・・・)の中、逃げるというのがどうも卑怯だと思えるので、さらなる理屈をこじつけていきます(笑)。

私は女で、結局、そのどちらにも入る必要がないにしろ、どうもサイドを取るということができないという話をし、西さんが長男であることを考えて(彼を選んでしまったのだから、こうした話もするわけです・・・。セットでくっついてきたわけで、無視するわけにはいかず・・・)、彼自身も鹿児島に縛られる計画はなく、財産も放棄した結果、墓所埋葬は新規にふたりでできるということになり、ならば散骨が理想だという結果になったわけです。

そうなんですね。形に残る後に残した愛する人々のための場所を、あえて作らないワガママを通そうとしているわけです。

ここのところ、池波正太郎の影響で、いろいろな時代小説を派生的に読んでいますが、忍者モノ、忍びモノでは、「先祖を大切にする」気持ちが何倍もあるにも拘らず、どこで朽ちてもいい覚悟をしていることに共感しており、環境問題や科学的根拠はまったく別個にしても、土に還るという世界観を大切にしたいと私は思うのです。時代的にもチャンスなところがあり、管理されているにしろ、散骨が可能になった今、それを使いたいと。こんな考え方ができるのは、子どもがいないこともあり、守るべき家もないこともあり、何より、場所に固執していないところもあるからなのだろうと思います。けれども、日本を愛していないわけではまったくないし、子どもが欲しくなかったわけでもないし、家を粗末にしたいと思っているわけでもなく、形に残すということに対して、どこまで抵抗できるのか?というのを、身体を使って、人生を丸ごと使って、実践しているに過ぎないわけです。忍びの人々が土に還ったのとはまったく違い、私ごときが土に還るのは、何のドラマも何の意義もないのだろうけれども、『千の風に乗って』が実践できるならば、それはそれでいいんじゃないかと。

形に残すことにあくまで抵抗してきた私は、結婚という婚姻届は出してしまったものの(ところが、日本で出したわけでもなく、大使館を通した記憶しかなく、実際の婚姻届に判を押した記憶もないんだよね・・・・)、結婚式もしなければ、写真も撮らず、指輪も持たず、披露宴もしなかった。義務教育のときにはどうしようも抵抗しがたかったのですが、高校以降、私は入学式にも卒業式にも出ていません(すごいのよ、徹底してんの・・・爆)。結婚式にも、アメリカで3回出たきりで、日本では自分の意志が反映されなかった子どものときにしか出席しておらず、祝う気持ちはヒト数倍でも、その場にいないことをわざと選んでいるようなところがあります(結婚式はねぇ、別れるようなことがある場合に、倖せ絶頂な表情を憶えていたくないというのがあるのです。実際、離婚した友だちはけっこういる・・・)。というわけで、今後も、形を残さないことを、徹底してやっていこうかと・・・。

では、私が生まれてきた証はどのように残るのか?

誰かの胸の中にほんのしばらくの時間、生きていけるなら上等です。が、生まれてきた証拠・生きてきた証拠など、残らないほうがまったくうれしいのです。太宰治は、「恥の多い人生を生きてきました」と残しましたが、その文言通りに他人の妻と心中するという言動一致をしてくれました。私はあそこまで徹底した自分の恥をさらけ出すこともできないので、いいところばかりを残そうともまったくのところ思えないでいます。というか、私にいいところはどの程度あるんだか、と、この歳になってもまだまだ模索してるんですからねぇ(苦笑)。

お金は欲しいんですが、地位も名声も要らないし、社会的立場も役割もなるべく軽いものでお願いしたいというのは、私の美徳がさせているのではなく、面倒くさがりな性質が支配しているのでしょう。が、お金が欲しいのも物欲があるからではなく、ただひたすら学校にお金の心配をしないで通いたいからです。教えるのは確かに楽しいのですが、どうもおこがましい気分になりがちでいけません。やっぱり生徒でいるのが最も楽しいわけです。お金があるようになったとしても、大豪邸が欲しいわけでもなく、車が欲しいわけでもなく、あまり消耗率が低いものは買わないことでしょう。つい最近も、2Bのシャーペンが宝物だった、という私の言葉を、「かわいい」と言ってくれた人がいたのですが、いや、ほんとに・・・・。たくさん書くためにはやっぱり指(ペンだこ位置)に負担をかけない2Bでしょ(爆)。

生まれてきた証がなくとも、私の両親はそれほど悲しまないと思います。それだけが助かりますね。いつまでもやくざな放浪癖があり、西さん以外の人とはなかなかうまく行かなかっただろうと、ここでも大いなる感謝です。