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疑う態度

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08/29/2007 にアップした文章です。

 

私は、すぐに疑う人間なのではないか?と、エッセイを読み起こして、ランダムに選んだ10個を数えてみたら、「疑う」「ダウト」「疑惑」「疑問」という言葉が、かなり頻出しており、10個のうちに、12個ほど見つかりました。やっぱり疑い深いのか?と、今日は、疑う態度について考えてみることに・・・。ところが、私はYahoo!で大蔵映画(なぜか途中でピンク映画になっちゃったんだけれども、今見ているのはホラー。日華合作の幽霊のお話で、それに刺激されて疑うということについて考え始めた・・・)を見ており、両方をこなせるかどうかがんばってみましょう。なんたって映画は1時間半弱ありますから。

大蔵映画について>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E6%98%A0%E7%94%BB

疑う:(1)得られた結果・結論が正しくないのではないかと思う。うたぐる。(2)その人が悪いことをしたのではないかと思う。うたぐる。(3)はっきりしないことについて、よくない方に、否定的に考える。

何にしろ、よい側面と悪い側面の諸刃になっており、この疑うということについても同様。(1)を見ると、真実を追求していく真摯な態度にも見えるのですが、もしも誰かとの共同作業であれば、相手を疑っているようにも思えていけません。

ところが、私個人に関して救われることは、私の「善悪判断」は非常にゆるいのである(爆)。当然、そこには正しい・間違っているという二元にも掛かっており、私の正しいはアテにならぬことは、自分でよーく知っているので、他人が正しいことをしているか間違ったことをしているかに関して、さして興味なし・・・←見方によっては、非情だし、身勝手だし、他人に対してまったく無関心でひどい人間に見えるのだけれども(笑)。誤解を受けてしまうので、申し開いておくと、誰かが何かを選択するまでには;
1. バックグラウンドとその個人と当事者たちの元々の性格
2. 問題や事件や事実に直面したときのコンディション(取り巻く環境と個々人それぞれの)
3. その個人たちにAvailableなリソース
4. 3.から導かれる選択肢
5. 決断
があるので、私は、他人の1から5が合致しているものであれば、文句はないし、本人が納得していること以上に、優先順位はないと思うのだ。ただし、5.の決断ができないような追い込まれ状況などは、非常に憎みます。健康状況が悪ければ、まずは健康を治すことが先決です。疲労困憊しているのに勉強を続けて意味や生産性はいかに?というのと、似た合理性の前の前提条件整備です。のちのちの4.と5.について、私が何かを言える立場でもなく、他人に関してはすべて他人に下駄預け、でいいと思っています。

ここのところが、子どもに対しても顕れており、よく姪っ子たちに、「ええええ」と言われてしまう由縁(爆)。あ、生徒たちにも言われるかもしれない。学習やカリキュラムの順番がどれからでもいいことはあり(並列事項などはよくあること)、そんなときに何からやりたいか希望を聞いてしまうことがあるがゆえ・・・。私は簡単なのをタタタッと勢いをつけて短時間でやっつけておいて、項目数を減らしておき、面倒で複雑で難しいものを、イチバン最後に時間をかけてやるタイプなのですが、人それぞれですもんね。私のReasoningは「あとから時間が物理的に足りなくなることが怖い」だからなのですが、「やる気を殺ぐのを防ぎ、どんどん高めていく」のが目的であれば、難しいのを先にやっつけてしまったほうがいいかもしれない。最後にいい印象や思いが残りますから。

以上の1.から5.のような態度が確固としてあるので、私は疑うことが多いのです。「私だったら・・・」と個別に考えるようにしているので。しかも、1.や2.はけっこう情報収集がたいへんなので、他人のことは余力やエナジーや時間がないとなかなかできるもんでもなく、ゴシップなどにイチイチ対応しているわけにはいかんのだ。しかも、他人のために3.のリソースを調べてあげるのも親切すぎて気持ちが悪いくらいです(笑)。仕事だったらやりますが、頼まれてもいないのにそんなことはしてられない。

留学相談や勉強法など、1.から4.まで手伝うこともあります。相談されれば、です。依頼や仕事という形でこんな事柄が出てくることもあり、この態度は悪くないんじゃないかと思えています。何事でも一般論にできて、大勢の共通項が多ければ多いほど説明はラクなのですが、個人というのは特別でユニークでかけがえがないので、やっぱりIndividualizedして考えたほうがいい場面のほうが多いのだ。なので、自分については簡単にすらすらとエッセイに書いて、あくまで「一例」として披露することはできるのですが、私と同じ意見や傾向がないことを「当然」として受け止めているので、それについて感情が波立つこともなければ、反対意見をくらって揺らいだり怒ったりすることなど、ほぼ皆無です。

ちなみに、私は恋愛や人生方向についても同じ態度で、情報が足りないと「なんとも言えない」とあっさり白旗を揚げます(爆)。わかっているようでわかっていないことは多くあり、語っているつもりでも、話し手のほうが不足している情報を見落としていることも多いので、しかも、「そんなこと考えたこともなかった!」ということも、けっこう多かったりするので、基本的には、「自分のことは自分で考えるのがいいよ」という冷たい態度になっていくわけですな・・・。

あ、私の疑う態度ですが、そんなことなので、自分に関しての事項に対して向けられており、他人が善行をしようが、どうしようが、私が対象物で詐欺等を働きかけない限り、全般的に信じているようです。というよりは、信じるというより、「関知する事柄ではない」と分類していくのでしょうね。ただし、好奇心が動くことに関しては、アンテナを張っており、「なんでアノ順番でアンナフウにアレをやるんだろう?」と、知らない人を見つめてしまうことはありです。ただ、あまりに好奇心旺盛な性質らしいので、じー見(じーっと集中的に見つめる)するわけではなく、ざー見(ざーっと波が押し寄せるように圧迫感を以って見る)をするわけでもなく、ちら見を小出しに分けてやっていたり、数歩引いて風景の遠くに押しやって見る習慣がついているので(ちなみにコレは、チラ見と俯瞰ですね)、怪しまれないで済んでいます←こんな工夫があることがスラスラ言える私って、一体ナニモノなんだろうか?(爆)写真をやったことがある方ならば、もっといろいろな見方があることを教えてくださるのだろうか?とまた謎は湧くのである・・・。

あー、さらに、他人を疑うよりは、さっさと質問してしまうので、きっと疑っている時間が短いので、自分が他人を疑うことはないと思えているのかもしれません。残っている小皿の料理などがあっても、「コレ食べる?」と聞くのは、マナー違反な場合もあるのでしょうが、私が言うと許してくれる人に囲まれているのには感謝です。西さんが、運動をいい歳こいても続けていくのは、おいしいお酒のためでもある、というのも、本人の自己申告なので、まぁ、理由のひとつなんだろう、とみなしているわけです(笑)。他人を疑っている時間は、相当に無駄なので、疑っているあいだは心も晴れやかではないので、とっくの大昔に止めちゃったんでしょうね。

さらに、(3)のはっきりしないことについても同じで、私は一時期「検索の女王」というあだ名をいただいていました。すぐに調べる癖がついており、わからないことをわからないままにしておかないので、それほどネガティブな時間を過ごす必要もないのです。ただし、今回、世界陸上を見ていて、西さんがオンラインしていたままだったので、彼に頼みすぎて、彼に辟易されてしまった、という事実もあります。たとえば、投擲という言葉を聴いて漢字を調べてもらうとかね・・・。室伏兄妹の母親はどこ出身か調べてくれとかね。本当に山ほど質問していたらしい(笑)。

疑う癖はありますか?コツは、自分に関与しないことであれば、あまり気にせず、自分に関することであれば、さっさと調べてクリアにすることですな♪