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痛快

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01/13/2007 にアップした文章です。

 

ここのところ、読書でしか「痛快」「快哉」を味わっていない気がしていたので、またもや2ヶ月ぶりにパチンコへ←ここんところが、どうも発想が貧弱なのよね・・・。でも、36000円の勝ちだったのでよしとします。新しくウルトラマンができており、私がやっていた水戸黄門は取り除かれていました・・・。2ヶ月って様変わりするのに充分な時間なのね・・・。ところが、ウルトラマンは、ウルトラモードとレギュラーモード(確率変動と大当たり)に大いなる差があり、何度当たってもなかなか箱は増えていかないのよ・・・。バトルで確率変動の回数を測るのですが、そのたびにウルトラマンは酷使されるのでした(爆)。でもね、さすがにバトル14回ほどになると、ウルトラマンセブンやウルトラマンレオまで出てきて、歌にも歌詞がついて、なかなかよかったです♪あ、今日はそんな話じゃないんだった(爆)。

痛快:胸がすっとして、非常に愉快に感じる・こと(さま)。

快哉:〔「快なる哉(かな)」の意〕胸がすっとするように気持ちがいいこと。痛快なこと。

やはり、今の私が思うに、私が本当の痛快や快哉を感じるのは、歯ブラシ除菌器が爆発的に売れることなのでしょう。オーダー処理ができないで、四苦八苦したあとになんとかやり遂げたあと、翌日、実際に入金の数字が並んでいるのを見ることが、痛快なのか?うーん、それではあまりにさみしい。コレをさみしいと考える私は、やはり根っからのお金好きというわけではないようだ・・・。数字が並んだ通帳を見るのは好きだったのだけれども、留学前は、数字の遥か彼方に自分の未来が待っていたことが夢想できたから好きだったのだと思う。今は、生涯学生生活を続けるまで、あまりにステップが多すぎて、やはり数字が並んだのを見て、即座に夢想には繋がらないので、痛快とは思えないのだろな・・・。

実は、これは図書館で借りた、新潮社の山本周五郎 テーマ・コレクションのタイトルなのです。今は、読み進めて「恋慕」というタイトルのものを読んでいるのですが、郵便局で泣いてしまいました(爆)。苗字を変えてから、郵便局に口座を持っていなかったので、今日作りに行ったのです。ええ、私は歩きながらも、駅のホームでも、銀行でも、電車の中でも、果てはまったく動きがないパチンコ台の前でも読書をするのです(笑)。しかし、しまったよなぁ。こんなに胸を突かれるとは思わなかったので、思わず泣いてしまったじゃーないか・・・(爆)。いやー、よかったのよ。これも明日か明後日書きます♪

時代劇ものがなぜいいのか、私にはまったく違和感のないジャンルなのですが、それは大昔、TBSの日曜劇場で、林与一や平幹次郎やその他もろもろの人々が、山本周五郎原作モノを演じており、それを相当に楽しく感じていたからなのかもしれません。さらに、TBSには水戸黄門や大岡越前や江戸を斬るなどもあり、父といっしょにそれらを見るのは、TVが「贅沢な電気機器」だった時代には、たいへんに裕福な、充たされた気分になったせいなのかもしれず、「せっかく電気代を使って見てるいんだから、ちゃんと何か得てくれよな」と言う、吝嗇な父に、どうしても報いたい気分があったことも確かです。当時は、NHKかプロレスか時代劇しか見せてもらえなかったので、父が2勤2休の勤めているときに、前出のウルトラマンシリーズなどは、恐る恐る見ていたのです。でも、歌ってやっぱり憶えてるのねぇ。ウルトラマンレオまで歌えたのでちょっと感動しました(爆)。

特に、山本周五郎は、のちのちきちんと小説で全部を読みきった記憶があります。ところが、山本周五郎が扱う、時代劇の人の名前や町名や長屋名や役職などは、サラリーマンや製造業の役職などくらいの大まかなものが多く、読んですぐに「あ!憶えてる!」というものではないようです。『樅ノ木は残った』などは、きちんと記憶しているのですが・・・。

この痛快のテーマでは、日ごろ、江戸時代に人々から「変り種」とされている人々が、最後に笑うという物語を集めてあります。価値観のズレは、江戸時代にもあり、山本周五郎の時代にもあり、今もある。私の頃にもあったし、それになぜか抵抗し(抵抗というテーマもあるので、楽しみにあとに残しているのです)、私はアメリカに行ってしまったわけです。

主人公は、冷や飯食いの四男でぼーっとしたシュミ(古書集め)の持ち主・誰も嫁になりたくないほどのけちん坊・起きている間中ぺらぺらと口数の多い武家の三男・犠牲的精神が過ぎる良家の武士・うーんとのんびりやの「参(3)」にこだわる武士・貧乏暮らしについて特に何も対策を持たない御家人・男女差別をこよなく嫌った武家娘、の7人が主人公なのですが、いやー、それでも最後には倖せが訪れるのです。

山本周五郎といえば、角ばった政治や憤りなど、社会派ちっくなものを時代劇に託しているようなイメージがあるのですが、それを本人が嫌い、おそらくこのようなジャンルにもたくさん手をつけたのでしょう。山本周五郎や時代劇モノが苦手な方たちも、コレならば楽しく読めます。時代設定は変わっても、テクノロジーがわずかしかない舞台設定でも、士農工商があっても、人がそれほど感覚や感性に変わりがあるものではありません。

変り種と人々があまり丁寧には扱ってくれない人物たちが、それぞれに倖せを見出すのを、作品の最後に見て取れるのは、まことに痛快です。「自分(たち)の常識」があるから、少し価値観の違う人を「変り種」としてまともに扱わない。今も同様です。が、逆にメディアなどの通信手段や広告手段が発達したせいなのか、「変わっていること」をアピールするというのも気軽にできるようになりました。その点、現代人のほうが少しだけ、アドバンテージがあるのかもしれません。私なども、江戸時代に生まれたら、何とか長屋で死ぬまで働いて、足の裏をコチコチにし、凍傷にもかかり、そばかすとしわだらけで今の年齢を迎えていたことでしょう。あるいは、その時代、少ししかなかった稼げる仕事である売春ちっくな仕事に手を出し、すでにこの年齢で他界していたかもしれません。お金を稼ぐ術をなんとか見出せた昭和はよかったのです。私ですら、アメリカに行き、勉強するだけのお金が貯められる仕事があったのですから・・・。

格差社会がどんどん進む中、ハザマにいる人々や、下層に属している不安感を持つ人々には、山本周五郎を読むのは、うってつけだと思うのです。推薦図書です♪痛快というテーマの本がお気に召したら、きっと他のテーマでも、たとえ社会派と呼ばれる題材であっても、問題なく楽しく読めると思うのです。労働者賛歌のような味わいがあるので、私は父を応援するようで、子どもの頃からとても好きでした。

そうした、与えられたものの中で必死に生きていく、けなげな人々が、他愛のないことに笑って夢を見る姿は、私はいつ読んでもダメです。ツボにはまってしまいますね。なので、彼らが最後に倖せになれたことを、とてもありがたく感じ、自分もそうありたいな、と強く、また強く願ってしまうわけです。

胸がすっとするように、早くネコたちに会いたいなぁ←今はコレがメインかも・・・。