経済的自立について揺れる若者たち その2

01/23/2008 にアップした文章です。

経済的に自立する気がある若者たちはまだマシだという、いささか消極的な〆だったのですが、どうしてそう思ってしまったのか見てみると、成人式か大学を終わるまでは、親に養ってもらうのは当然、という考え方が、戦後少しずつ復興してきたあと、定着したような気がするわけです。もちろん、子どもが子どもで居られる時間が長くなったのは、いいことなのでしょう。ただし、準備期間が長い分、巣立ちをするのが難しくなってきていたり、多様化したために思い悩んだりすることも多いのだろうな、と。

銀の匙(スプーン)をくわえて生まれてくる子どもは、確率的にとても少ないので、いずれは経済的に自立しなければなりません。与えられすぎて育ってしまうと、自力で経済生活を支えていく段になって、そのギャップに喘ぐことになります。私が日ごろ、「苦労は買ってでもしろ」というのを念じているのは、自分の不遇(それほどの不遇では、結果的には、なかったのですが・・・)を慰める意味ばかりではなく、ここのところへの懸念があるからです。

生活水準というのは、上げるのは容易いのですが、下げるのはひどくたいへんです。たとえば私のワインですよ。日本とアメリカの価格差という原因ではあるものの、アメリカで1000円出せばソコソコのワインが買えて、こちらで同じ質のものを買おうとすると、3000円くらいは出さなければなりません。お祝いなどのときに飲んでいた30ドルから60ドルのワインは、日本では1万以上します。アメリカの400円ワインは飲めないのか?ええ、なかなか難しいです・・・(汗)。

生涯必要なお金をどうやって計算すればいいのか?まだ見ぬ配偶者や作るかどうかわからない子どもや、インフラやインフレや年金や利子計算など、昇給するかしないかもわからず、どうやってみんな経済的自立を目指せばいいのか?と考えると、限りなくネガティブではある・・・。

子ども二人を持つ予定にして、頭金だけを支払いマイホームを持つことにしてみて、奥さんが働かないあるいは控除内で働き、年金や退職金をそれほどアテにしないこと、とすると、男性たちは生涯で3億くらいは稼がないとならないようです。単純に計算すると、35年労働にしてみると、年収860万も稼がねばならず・・・。奥さんに働いてもらい、投資をしっかり管理したとして、マイホームを早めに完済して、子どもにそれほどお金を掛けないと考えて2億だとしても、年収575万も稼がねばならず、これが税込みで行けるのかどうかも怪しいところ。しかも、年収は徐々に上がるもので、最初からこんなにもらえるわけもなく・・・。やはり、質素に暮らしていたものが、子どもができたりいろいろする中、せめて子どもができるまでは、パートだけでも、などなど、共稼ぎは絶対不可欠になって行くのだろうなぁ・・・。

ええ、私は子どもがいないので、ネコにかかるお金と自分自身にかかる学費などを自由に出している気ままな暮らしで、この先に関しては、母がとても心配していますが、私は大丈夫だと思っています。心配なのは、母が100歳過ぎるまで生きるだろうということ。そのとき私は74歳だか75歳なので、年金生活になってから、一体どうなるか?というくらいのことか・・・。せめて彼女のために、彼女よりは早死にするであろう私は、生命保険を完備しておかねばなりません。

私は貧乏に育ったので、今も贅沢なことは何一つしておらず、ささやかな出費の蓄積もそれほど莫大なものではなく、支払いで大きいのは駅前家賃と、交通費と、会社の費用なので、「これ以上切り詰めようがないだろう」と経済アナリストに言われてしまうくらいの質素さで暮らしています。必要だと思わないので、レジャーも「混んでいるから行きたくないな・・・」などと思うくらい(笑)。口が貧乏なので、エンゲル係数もそれほど高いわけではなく、晩酌もしませんし、たまに母が自分が飲みたいときに私にビールを買ってきてくれるくらい。彼女は大根の葉っぱもカリフラワーやブロッコリーの茎も料理しますから、貧乏な実感もないわけです。おかずが一種類増えますからね♪

考えるに、定年といわゆる言われている年齢までに、西さんと私が毎年1000万くらい稼げば、特に問題もないのかな、と。だとしたら、今のところ猶予があるので、あとの貯蓄はリタイヤのためのものなのですが、私は生涯学生でいたい身分なので、他人様よりお金がうんと必要なのよ・・・(汗)。アイビーリーグに行くには、半分は奨学金がもらえて返済義務がないにしろ、やはり年間250万くらいはかかります。さらに教科書や通うために費用などを考えると、+350万くらいは考えておかないと・・・。それを20年続けていくとなると、7千万くらいは余分に必要です(汗)。そのために一念発起して商売を始めたわけですが、どれも思うように花開いているわけではないです。今度の4月で西さんが会社を辞めて丸3年なので、なんとかせねばならぬのですが・・・。

こうしてつらつら考えてみるに、やはり世の若者たちは、生涯働かねば、経済的自立などは無理だ・・・。道理で、宝くじ売り場に人々が群がるわけね・・・。でも支出のほうを抑えようという気持ちは、年々少なくなっているのではないのかなぁ、とも思うのです。もちろん、「ない袖は振れない」のですから、レジャーなどは無理だとしても、事実、海外旅行の数だけは、とても増えている。どこから来ているのかなぁとは思う・・・。

ずっと質素に暮らして、貯蓄して、子どもを育ててきた世代の人々が、まだ誰かにお金を上げているのか?という疑惑がもたげるわけです。それを「団塊の世代」に押し付けるわけではないのですが、子どもたちに贅沢をさせて、経済的自立や生産性を低くしたという責任をよく問われているので、気の毒に思います。彼らは本当によく働いたよなぁ・・・と思うのです。

もちろん、お金の循環を考えてしまうと、果てしなさ過ぎて目がクルクルと廻ってしまうので、あまり無意味なことはしたくはないのですが、誰かが誰かにお金を上げるのは自由だし、それがどんな目的であれ、私が個人の行動に口を挟むことはできないのですが・・・。

精神的自立は、経済的自立から来ると言っても過言ではなく、動物界ではごはんを見つけて食べるというのは、サバイバルの最大の焦点です。では、いつからヒトだけがこんなに暢気になってしまったのか?と考えると、脳が発達したからだ、という答えは出るのですが、その脳の発達がゆえに、社会を作り上げ協力して物事を効率化したり、便宜化したり、感情という技術でも生き延びることができるようにしてきて、さらに文明の利器を発明できる脳の使い方をする個人も出てきて、本当に種全体にとってよかったのか?という疑問が湧いてきます。

ちなみに、アフリカンバッファローやアカシカなどは、ヒトが興味を持たないだけで、民主的に投票制度を用いて、群れを移動します。「あのくらいの発達でもよかったのかもしれない」と思いつつも、私は自分の脳の限界にチャレンジしており、この矛盾にはいつまで経っても喘ぐのでしょう。

が、自分のメシを自分で調達できるヒトだけが生き残るような物騒な社会が、そこまで足音を立てて来ているようではないですか。戦争は目に見える形でなくなったものの、戦争に近いような経済ゲームが、私たちを試しているとは思いませんか?技術や経験をまだ持たぬ子どもたちや、若者は、本当に気の毒です。ゆとりがある大人たちが、どんどんそれを教えていけるよう、せめて大人は「簡単に与えるのではなく、自分でやらせてあげる」とトライアル&エラーを我慢して見守ってあげてほしいものです。

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