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自己理解の希薄

05/05/2008 にアップした文章です。

 

自分を水溶液にたとえるのは、たいへんに難しいかもしれませんが、実際、やってみるととても参考になるので、やってみるといいと思えるのです。ヒトの脳は、もうそれだけで小宇宙になっているので、それをフルに意識して、使ってみようという意志や動機付けができていないことだけで、私などは「ひぇぇ、もったいない!」と思うのですが、この観点からいくと、ヒトというのは、実際はとても濃い水溶液になれる可能性があるにも拘らず、どこかでダムを自分で作っているわけです。水溶液を想像する際には、小学校の実験のときに使ったビーカーがわかりやすいと思うんですが(好きだったらフラスコでもなんでもいいんですが・・・)、そこにいくつかの敷居・仕切りのようなものを、どこかで持ってしまったというのがあり、その敷居や仕切りの開閉システムが、もしも自分でコントロールできるようなものであれば、とてもとてもいいのですが、ヒトも所詮、生命体の1個の種類でしかなく、コントロールせずに、自然の摂理に任せて、ただただ浸透圧などに頼っている人は多く実在しています。

 

うーん、ここまで考えると、本当にヒトというのは各種の液体を使って、人体というものを維持しているので、あながち悪いアナロジーでもないじゃん、とにやついてきています(笑)。

 

ヒトの欲望はかなり本能的で、それをいくら理性で自分では抑えているつもりでも、実際は名残っており、私も日々、「怠けたい」という欲と闘っています。その達成のために、多忙を続けて、一気に憂いなく休む、というスタイルが好きになったのは、「ダラダラといつまでも休んでいられないヒト社会での大人のポジション」を理解してしまったせいです。

 

お金に何の不自由もなければ、本当に子どもの頃のように、毎日学校に行き、スポーツをし、健康にはそれほど不安もないように暮して、定期健康診断を欠かさず、おいしいものを食べて、たっぷり眠って暮したい、というのが、私の希望ですが、実際はそんな暮らしは、みんなにできるものではないわけです。私の場合、特にあちこちに旅行したいわけでもなく、モノが欲しいわけでもなく、車も家も合理性の上に成り立っており、高級なものが好きではない貧乏な口ですしね・・・。楽しみは、映画と読書とアイスホッケーですから、アイスホッケー観戦にはお金が多少かかりますけども・・・。いや、でも、こんな暮らしを労働なしでできるわけもないので、やはりがっちり一気に稼いでみたいというのは、大きな目標ですねぇ。贅沢に暮したいなどという大望はなく、ただただ、ずっと学校に行ってフツーに暮したい。それがフツーではないと言い切るのは、学びというものの考え方の違いだとは思うのですね。

 

うん、こう考えると、私の目標というのは至極全うなものなんだなぁ・・・←かなりいまさら(爆)。

 

自分を理解しているがために、これまで一度たりともOLになったことがなく、帰国してからも通訳・翻訳の仕事ではなく、英語講師を選んだのですが、これも1年半を振り返ると、正解だったなぁと。Interpersonal Relationshipの近い人々に関しては、それほど大きな失敗があるわけではないのですが、距離感との関係で、人付き合いがうまく行かなくなる原因もわかっており、やはりいろいろな人が集まる会社などで、同じ目標に向っていくことが、私個人としてはできるとわかっていても、他の複数の人間が、サブ目標を作ってくれていたり、こうでなければならぬをたくさん押し付けてきたりすると、とてもじゃないがやっていけなくなる。私が譲らないところが全面的に悪いと、幼い頃は思っていたところもあるのですが(いや、渡米するまでフルに感じていたんだろうなぁ・・・)、今では、大勢の人の歪みやズレを変える努力をむやみにすることは、私のような微力な人間には到底できないことは感じており、そこにそもそも行かないということで、終結してしまっています。

 

企業の基本的存在意義および目標は、市場主義の下、営利を得ることが第一目的で、それを社会の発展と繋げていくことなのですが、人々や動物や地球そのものに悪影響を及ぼしたり、人心管理のための行き過ぎの規律があったり、ヒトとしての存在を損なうほどの労働条件を明文していないのに、パワーや多数決で押し通したりするところがあったり、ある一人のエゴの塊のようなヒトのために、パワーゲームが横行していたり(派閥や学閥は未だにある会社が多いしなぁ・・・。お局様現象だって、これのスケールが小さい版だし・・・)、マイナスばかりが多く、私個人にとっての+はごくごく少ないわけで、優先順位としてはひどく小さくなってしまうわけです。

 

が、考えるに、これが技術職だったり、研究職だったりすると、やはり潤沢な資金や実績を持っているところで働きたいと思えば、それしか選びようがないのだろうなぁ・・・。あるいは、純粋な技能発揮動機だけではなく、子どもや家族のことを考えたり、経済的事情を考えたり、周囲と自分のスタンスや性格などを考えると、やはり仕事で悩む人は多いのかもしれない・・・。

 

「自分を理解しているんだけれども、二進も三進も行かないんだよ。我慢するしかないんだよ」ってこと。

 

私は非情で冷たいので、それもやはり最終的には言い訳のひとつ、しかもかなり説得力のある言い訳と思ってしまうのでしょう。実際、結婚したのも子どもを作ったのも自分だし、自分の技能がそのフィールドだけにあると思いこんだのも自分だし、自分の性格や考え方を形成してきたのも自分だし、ということは言える。それというのも、死刑囚が殺人を犯してしまったときに、「ヒトを作るのは最終的には自己選択の積み重ねであり、社会が形成したものではないから」という本人起因理由を逆手に取っているようなところがあるのかもしれません。実際は、私たちひとりひとりが、他人の人生を影響しており、ピンポイントすることは難しいけれども、みんなに責任はあるのだというシェア説を採りたいのですが、それはあまりに複雑すぎてしきれない作業です。

 

だからこそ、私は死刑執行にも反対ですし、悩んでいる人に対していつも寛大でありたいと思っているのですが・・・。

 

いわゆる、その選択をしてきたいろいろが、水溶液ビーカーに入れ込んでしまったダム装置(仕切り)なのでしょうね。その開閉システムやら、ロック方式など、しっかりした設備を持てば、浸透圧だけに流されていかずともよく、自分を理解することはできるし、まったく濃度の違った溶液を、自分の中にいくつもの仕切りに分けて持つこともできるはずなのですが、実際は、その仕切りを持っていることもあまり考えたこともなく、自分の溶液濃度も考えたことがなく、ましてや開閉システムについても、ロック方式についても、想いを馳せたことはないヒトのほうが多いのでしょう。

 

せっかく脳の大きなヒトに生まれてこられたのだから、考えてみるとおもしろいです。そして、意図的に、溶液の濃さの違いを、自らの意志で均等にしていくことができたり、しなくてもいい溶液濃度を大切にキープしたり、ビーカーそのものを揺らす何かがあっても大丈夫やように、耐震システムも兼ね備えたり、折れない心にするための防弾ガラス使用をしたり、まぁ、そりゃいろんなことができるわけです。

 

今振り返って考えるに、なんだかむしろ、このために、理科の実験があったと考えてもいいくらいなのではないかと・・・。対流(熱により空気や水の流れが変わること)も学んだし、溶液の濃度によって反応が違うことも学んだし、加熱する部分によっての変化も学んだのではないか、とすら考えてしまうわけだ(笑)。そして、私のような人間に接すると火傷したり痛い目に遭うと思えてしまうヒトは、最初から私を敬遠するために、理科の実験を経たのかもしれない・・・とすら、思えてしまったりする・・・。

 

とはいえ、他のアナロジーもたくさん今後思いつくのだろうから、これが最良の喩えだとは想わないよう、ますます考えていこうと思います←懲りない(爆)。

 

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