自律的規範

03/26/2008 にアップした文章です。

なんだか漢字を並べた堅苦しいタイトルではありますが、ここのところ、読書がハードボイルド寄りになっており、しかも英語で読んだものをベースにしているので、チャンドラーがらみな考え方になっているのだ(爆)。元々、面倒くさがりでズボラな私なのですが、私なりの自律的規範というのがあり、昨日のように、ただただ意味なく数学をやってみるわけでもないということは、汲んでいただけたらうれしい(笑)←ここで自分をアピールしても一文の得にもならぬのだけれども・・・(汗)。

 

自律:(1)他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。(2)〔哲〕〔(ドイツ) Autonomie〕カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。⇔他律

規範:(1)行動や判断の基準・手本。(2)〔哲〕〔norm〕単なる事実ではなく、判断・評価などの基準としてのっとるべきもの。準拠。標準。規格。

 

ハードボイルドの基本というのがこれ。

 

ハードボイルド:〔(卵の)固ゆでの意から転じて、冷酷な、非情なの意〕(1)第一次大戦後アメリカ文学に現れた創作態度。現実の冷酷・非情な事柄を、情緒表現をおさえた簡潔な文体で描写していこうとする。ヘミングウェーの初期の短編がその代表的なもの。(2)感情をおさえた行動的な主人公の登場する探偵小説の一ジャンル。D =ハメット・ R =チャンドラーなどがその代表的な作家。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89

 

『カサブランカ』で泣いた方は、ぜひぜひその原作にも触れていただきたいものです。どうしてラストで彼らは別れたのか?あれが、ハードボイルドの自律的規範なんですよっ!あそこで、ボギーは彼女(Ingrid Bergman)と結ばれることは充分すぎるほど可能だったのですが、別れる。それは、ボギーも彼女も、自分なりの規範というものを持っていたからなのです。誘惑がたとえ多くとも、ハードルが低くとも、自分が決めた規範だけは裏切ってはいけない。

 

私も、面倒くさがりでズボラを自称していますから、ともすればすぐに流されて、ラクなほう、ラクなほうへと堕落していくチャンスだらけです。が、ちゃんと留学も叶いましたし、英語も話せるようになりましたし、パイロットにもなり、大学にも最初からトライしなおして卒業しましたし、日本に戻ることになってもアジャストしました。周囲には「できないだろう」とよく陰口を叩かれたものです。が、私には他人の評価も、他人の決めた法則性も、他人の思惑も、まったく中心にはなかったです。もちろん、まったく聴く耳を持たないだとか見ないでいることはできませんでしたが、惑わされるようなことはなかったです。

 

これ以外の何に、人は支えられて生きていくのか?と、今の私は思います。が、ヒトでしかなかった頃からずいぶん長い時間をかけて、人として生きていける学習を積み重ねてきたのだなぁと、体感します。今も時折顔を出す私のヒトの部分は、面倒くさがりでズボラな私を前面に出します。が、規範は私から消えてくれることはなく、誰に命令されずとも、誰に注意されることも必要とせず、私を軌道に戻してくれます。ヒトはいつそのようなものを身につけるのか?

 

子どもの頃は、「躾」という名目で親があれやこれやと世話を焼いてくれます。私は、素直な部分は素直だったようですが(西さんは死ぬほど素直だったので、対面した母親が箸の使い方を教えてくれたときに、「まねしてみなさい」と言われ、そのまま鏡に向かったように左手で箸を使っていて、うまくいかなかったそうで・・・。母親もしばらく気づかなかったそうで・・・爆)、私は何を言われても、ほぼすべての物事をソコソコにはうまくこなせてしまっていたので、しつけられたという記憶はありません。ただし、「迷惑をかけるな」的な躾というのはされましたね。泥んこになって戻ってきたときには、玄関にて洗面器で足を洗ってから上がる、だとか、その後、それができないなら靴下を脱いで遊びに行けだとか、それもできないなら靴を履かせないなどという極端なことまで出る始末で(爆)。そこで、意地っ張りの私は、数日、裸足で遊びましたとさ(爆)。まだアスファルトが少なく、それほど苦に思わなかったんでしょうね・・・。でも、近所の親御さんが注意をして(ガラスの破片で足を切ってはいけないよ、等)母が折れた感じです。

 

私の場合は、あまりにもきれいにすることをうるさく言われたがゆえに、それに関しては徹底して身についたというよりは、スタンダードが高い基準を下げて、衛生的であれば・・・と妥協していますねぇ(笑)。しかも、勉強のときなどは、教科書や資料が山積になっていないとむしろ落ち着かない・・・。それでも救われない程度ではなく、やはりモノを最初からたくさん持たないことや、デコレーションをしないことで、なんとか辻褄が合っています(笑)。シャワーは毎日入るし、お風呂も今は隔日か2日おきくらいには、足湯か半身浴をやっていますしね。

 

母が今もお洗濯をしてくれているのですが、なんだかいつも出すだけで悪いような気になっており、小さい頃からやっていたことは今も励行しています>下着と靴下は自分で手洗いしてから洗濯機に放り込む。これも躾の一貫なんでしょうか?だとしたら、うまくパブロフのわんちゃんになってしまったものだわ・・・(汗)。それにつけても、自発的というのがいかにキーワードになっているか?を考えると、読んでいるみなさまも思い当たる節があるに違いない。私は、他人に無理やり押し付けられたことは暴力を振るわれても絶対にしないのです。散々父に殴られましたが、イヤだと思ったら断固としてしない。そのイヤだと思う基準も、気分だけの問題ではないことは、周知の事実になってきました。子どもの頃は、親たちもさぞ理解しがたかったことでしょう。

 

スピードを出してもいいが、他人には決して迷惑を掛けてはいけないと思ったら、私はサーキットランをするようになりました。そこでちゃっかりアルバイトもできたし、反社会的な道徳観も、捻れば何とか+になるものです。他人の恋人と恋愛していいかどうか?というのも、ヒトによってはOKなのでしょうが、私はダメですね。とにかく面倒だ・・・(爆)。宣言してから了解を取れればいいようなものの、それでもそんなことを過渡しないといけないことが面倒である。自分よりも大切なBeing(存在)というのが、そもそも私にはとても少ないので、しかも自分で自分の面倒を見ることができないBeingなどにあまり興味を持てないので、反社会的道徳観をいくばくか持っていたにしろ、他人に迷惑を掛けたことはこれまでにとても少ないです。うーん、割合的な問題ではあり、何回か引っ掛ってるか・・・(爆)。でも、何も実験しない人生よりは有意義でしたよ。

 

メリハリが利いた日々を送るためには、健康を大切にするには、人生を満喫するには、人類の英知に感謝しつつ生きるには、私にはたくさん規範があり、わずか2・3分でも本を開いて読んだり、たとえ1問でも問題を解いたり、意味がないとしても信号機で停まったり、借りたものに利子をつけて返したり、ビールを飲んだらそれを相殺するエクササイズをしたり食べ物を摂取したり、母を使ったら見合うように労ったり、文句を垂れたら抱きしめたり、と、まぁ忙しい日々を送っているのです(笑)。

 

スペンサーが物語の中で、お金によって殺人を引き受けるホークについて、「彼は怖くて悪い人間かもしれないが、立派な人間だ。その違いがわかるか?」と問うところがあります。私は、自分の規範を持ってそれに即して生きている人を、たいへんに立派な人間だと思うので、ヤクザやマフィアの中にも、立派だ・・・と思う人もいるし、スパイや政治家でも立派だ・・・と思う人がいるのでしょう。それに反して、烏合の衆の人気取りや全体の基準で行動している人間を、屑だ・・・と思えてしまうのです。

 

やっぱり私は自分の規範で今後も行動していこうと思います←だから商売は儲からないんだけどさ・・・(爆)。



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