ブログ

10/06/2007 にアップした文章です。

 

私がいつも繰り返し書いていることに、「人間は積み重ねの存在」という大前提があります。コレを芯から理解していれば、老いる恐怖やその他付随してくる社会的評価などは、かなり軽減されるはずなのですが、どうも煩悩は果てしなく食い入ってくる。うーん、やはりヒトは弱いのですなぁ。強いけれども、弱い。何を積み重ねてきたのか?ということを、そもそも整理してきていないというのが、最初の躓きです。あなたは自分史を書けますか?

蓄積:たくわえること。たくわえ。
積み重ね:(1)上へ上へと重ねて高くする。(2)物事を何度も繰り返してふやす。

ところが、この積み重ねはいいことばかりでもなく、今後の積み重ねをやっていく中、邪魔くさいものがたくさんあるはず。「存在したこと」を掻き消すこと=キャンセル=削除はできないものの、してきたことを繰り返さないことはできる。が、なかなかヒトはその決心に至らない。私のタバコがいい例なのだ・・・。が、ネガティブばかりではなく、積み重ねてきた中に、宝物がたくさん詰まっていることにも、自分で気づけないでいることが多いのも事実。

どうしたらいいのか?まずは、自分史を書いてみるといいのかもしれない。私は、将来的には、ドリル方式にしたこうした自分史を簡易的に書ける、記入方式の著作を出したいと、長年思ってきたのです。どうしたらそれが実現するか?を模索してきて、「きっとできる」というところまで、やっとこぎつけました。あとは、「きっと」を「必ず」に変えることなのですが、その準備は着々と進んでいます。いつか誇らしげに発表できたらいいなぁと思っているところ。ところが、今はまだそれを発表できないので、やはりコマメに自分史を書いていただくしかなく・・・。

そこでちと気をつけていただきたいのが、自分にとって都合がいいように、記憶を改ざんすること。本当の意味での「明日のためのよりよき記憶改ざん」であれば、私は特に何も言わないのですが、間違った自信を持ったり、他人を蹴落としたり貶めたりする記憶改ざんというのは、ままあります。それほど多い例ではないと、素人に思えるのは、「イヤな記憶をなかったことにすること」で、たとえばいじめに遭ったことなどを、大人になってからすっかり忘れることがあります。あるいは、そのいじめに遭った理由についても、Self(自身)を守るために、それほど追求することなく、タッチしないままに過ごしてきたせいで、事実が変わることはあり。生き延びていくためには、こんなことはしょっちゅうあることです。理由についても、自分を責め続けていくとうまく生きていけないので、他人にもその責めを負ってもらうことがよくあります。

私も、自分に都合のいいように記憶を改ざんしているところがあるのでは?と、冷静に考えるのですが、こう考えられるうちは、おそらくそれほどひどい改ざんをしているわけでもなく、事実を事実として受け止めることはできているのではないか?許容範囲なのではないか?と、自分について考えています。特に、PTSDの原因になったことについては、自分を責めすぎてなかなか日常生活に戻ることができず、いつしか3年近い歳月を棒に振ることになりましたから、逆に、加害者や周囲にも少しずつ責めを負ってもらえたら、と、セラピストのアドバイスもあって、わざと努めたようなところがあります。

Freudを中心に精神分析をしていくと、親が必ず悪者になることに相場が決まっており(笑)、それじゃー、あまりに世の親はかわいそうである・・・。私は親になるという選択をしなかったせいで免れていますが、特に私のような子どもを持った母などは、目も当てられない被害である(笑)。整合性をどうしても求めてしまう私は、何もかも親のせいにはできず、Freudを活用できないでいます。ただし、ここのところの母の口数の多さを言及しているのは、やはり疲れがたまっているせいなのか、文句ではなく彼女のよさを受け容れているつもりでいますが、女々しいようであればご指摘ください(汗)←女だから女々しくていいとおっしゃる方もいるのでしょうが、私はこの女々しいという形容詞が符号する人間ではいたくないのだ。嫁ぐなどと同様、女をバカにするような単語ではありますが、ここは流しましょう(笑)。

犯人探しの構造は、おそらく本当の論理性までに到達するための、発展途上だと思われます。しかも、過去はどう考えても変えることができず、その存在そのものは否定できないので、なかったことにしたりする努力をした揚句、それが不可能だとわかると、理由に手をつけてみる。それもダメだと、積み重ねなので、親の育て方にまで手をつけてみる。

ただし、本当に重要な事件が起きていることはあるんですけどね・・・。殺してしまったほうがいい親や、死んでくれたほうがいい親というのは、たまにですが、実在しますから。さらに、レイプや強盗や殺人未遂などに遭遇することも、やっぱりありますから。

同じくらい大切なのは、自分がしてきたことを積み重ねの中で軽視していることが多い。よりよい改善点が見つかるかもしれないし、すでにやっているいいことについて、自分を褒める材料があるのに、放置。私が英語を教えている中でよく尋ねる初歩質問が、「電話は右で取る?左で取る?」なのですが、けっこうやってみないとわからないらしい(爆)。自分について、つくづく考えてみることがないといういい例です。手のことが済むと、足のことを聞くのですが、そのときに、パンツやジーンズを履いたり脱いだりするしぐさをするのにはけっこう笑えます(爆)。

見ている側からよくわかるのは、口癖です。他にもいろいろなジェスチャーがありますし、行動についても見えるものは見える。ただし、限られたセッティング(場所・状況)であることは考えています。意外な一面が見えるとうれしくもあり、褒める材料がさらに増えることもあり、他者をObserve(観察)する分にはキラクなのですが、自分が観察されたらどうなのか?(苦笑)

私はわりと自分の無意識行動をわりと知っているほうで、やはりコレも心理学を学んだおかげなのでしょう。メガネを上げるしぐさをメガネを掛けていなくてもしていますし、眉間にすぐしわを寄せますし、腰のアジャストメントはしょっちゅうしています。水は山ほど飲むし、タバコはつけたら必ず吸って放置はしない。ボードに字を書いても、句読点はつけない(この前、いちいちつける人を見てものすごい気になったのだった・・・)。他人ががんばっている姿を見ると、どうしても力んでしまう(赤ちゃんを見てるとその傾向が強くなる・・・)。などなどに代表されます。

他にも美徳と言える部分は、自分でかなり知っているつもりでいるのですが、まだまだタッチしていない部分があるだろう、と、まだまだこのエッセイは続いていくわけです。蓄積の妙を、書いて理解する行脚の旅は、果てしないのです。

私は生徒さんに、非公開の英語ブログを書いてもらうことをオススメしています。が、PC環境や使用率が高い方にのみ。わざわざ立ち上げるのが面倒という人たちにはオススメしていません。が、私にURLを教えてもらえれば、コメント欄に添削ができるので便利です。コレも記録を残しておくという蓄積。日記を書くというのは、絵日記でなければ私としてはいいことだと思えるのです←絵日記がいい方はぜひぜひ♪

火曜日は、1000円エステに行くことになっています。キャンペーンの一環らしいので、その先に商品売りつけがあるに違いないのですが、頑なに断ってきます(笑)。やはり老いに関しての恐怖なのか?いえいえ、人前に出る商売なので、必需と思い、ちょっと肌のコンディションを見てくる、という程度の軽い気持ちです。あとは、腰をやってしまったのでたまには他人に触ってもらう心地よさを再認識してしまったせいかもしれません。老いることはもう恐怖でもなくなってきましたねぇ。母の遺伝子を半分もらっていると思うと、私の場合は、たいへんにキラクです。よかった♪