虚無に囚われる

 

ハイパーな私でも、バイオリズムがあり、やはり虚無に囚われることがあります。そんなときどうするか?を知っていれば、またバイオリズムの波の調整ができますが、悪循環に嵌まると、その環からなかなか抜けられないことになります。そろそろ五月病の季節なのですが、きっと回りにもそんな人がいるかもしれないので、ちょっと眺めてみてね。

 

虚無:(1)何も存在せず空虚なこと。特に、価値のある本質的・本源的なものの存在しないこと。(2)はてしない大空。虚空。(3)「虚無の学」に同じ。

虚無の学:有無相対の世界を超えた無為自然の境地を究極のものとする学。老子が初めて唱え、荘子らが継承し、のちに道家となった。老荘の学。

虚しい:(1)形だけで中身がない。形式だけで実質が伴わない。うつろである。(2)何の役にも立たない。結果が何も残らない。(3)確実でない。頼りにならない。はかない。(4)根拠がない。無実である。(5)魂や心が抜け去って体だけになっている。命がない。

 

なんだか、虚無の学というのは、たいへんに難しい(笑)。私は、普段からハイパーなので、禅が唱える虚無というのになる状態がたいへんに少ないのだと思われます。それもこれも脳内ケミカルのせいなのですが、たまーにある。こう、ハザマにしっかり嵌まってしまうというか、ふと息をついたらそういうタイミングだったというか・・・。達成感を歓ぶところなのに、どうも虚しくなってしまうというか・・・。それもこれも、実際のところは、私がいくつものことを同時にやるやつなので、何かが「形だけで中身がない」だとか、実利や効率性が伴わず「何の役にも立たない」と実感することがあったときに、どうもふと訪れる。

 

実際はそんなことはないのですけれどもね・・・。どうしてか心が弱っていると、自分がしたことが無為だと思えてしまうことがある。しかし、無の境地と大いに違うのは、真実の無ではなく、「無かもしれない」と考えているその一点に心が占められていることですか・・・。コレに気づけてしまうと、どうも禅の境地などには行けないんだろう・・・。あるいは、本当に催眠術にかかりやすかったり、ひどい集中力で時間が経つのを忘れたり、などというエクスタシーの絶頂にいる場合には、無に限りなく近い経験ができるのかもしれない・・・。ちなみに、私はそういうことはないですな・・・。いつも、常に、自分以外の自分がそばで自分を見ている感じがあり、やたらと冷静です(笑)。

 

ただし、躁うつ病なので、エピソードがたまにあり、それに近いものを体験することはあり。脳内ケミカルが分泌されすぎて、記憶がない状態、機能していない状態です。まぁ、そもそも私はセロトニン受容体が多いのか過敏なのか、どちらかなのですが、自分がきちんと機能する状態を把握しているので、その閾の幅もだいぶ広がりました。が、時々やはりぶっ飛んでしまうことがあり、そんなときはたいへんです。けれども、これも長い人生の中で、年に数回が、ここのところ数年に1回ほどになり、安定しています。学習の成果ですね。哀しいかな、そんなときの記憶はないのです。朧すぎて、自分が自分を失っている快感はないし、不安もない。だから暗いエピソードのときには自殺まで行き着いてしまうことがあるので要注意なのですが、私は鬱エピソードよりも、躁エピソードのほうが多いようですし、強いようです。なので、余計に、鬱モードになるとヤバイ。慣れていないせいでしょう。10代の頃はよかった。みんなブルーな時期というのがあり、みんなに混ざりつつ、露呈しないことが多かった←木の葉がくれの術みたいだ(爆)。

 

脳内ケミカルが閾を超えた分泌になるまで、サインのような状態があります。それが、抑うつ状態で、少しだけ気分が暗いほうに向いて来ている状態。それを解消できれば、重くうんと暗い気分にはならないのですが、それが難しい。一度、Vicious Cycle(鬱の悪循環)に嵌まってしまうと、脱出が不可能に思えてくるくらいに無気力になります。少しだけでも気力が残っている状態に対処する。コレが最重要事項です。

 

だから、日ごろ、ため息の連発や無意味な癖について、自分や愛する人を把握していること、理解していることは大切なのですね。ガンや成人病などと同様、サインはあるわけです。

 

たとえば四十肩とか五十肩とか言われる現象などもそうです。普通の肩こりとは違うのは、老化してきて、関節までもが弱化してくるからで、そのためには肩付近の関節や筋肉を鍛えておけばならない。もちろん、先天的な要素がありますので、予防には万全というのはありませんが、心がけておくことくらいはできる。そんな心がけは、持っていたほうがいいわけです。

 

虚無に囚われそうになったら、

・          お日様の光を浴びる

・          深呼吸をしてみる>できたらきれいな空気だと自分が信じているところで

・          自分の好きな季節に好きな場所にいて好きなことをしていることを瞑想する

・          好きな人と会う>嫌いな人と会って苦労するこたぁない

・          好きなTVや映画を見たり、好きな本や詩を読む

・          ウォーキングする

・          とりあえず家から出てみる

・          動物を飼っているお家に遊びに行ったり、触らせてくれる動物園などに行く

・          コンサートに行くか、家でBGMではなく音楽を聴く

・          アロマを使ってお風呂にゆっくり浸かる

・          自分が能力のあることをひたすらし続ける>漢字の書き取りや編み物やプラモデル作りなど、何でもいい

 

などなど、たくさんいろいろできるのです。切ない方法としては、自分よりも不幸な状況に置かれている人々を見ることなどもあります。共感できる以上の哀れみや憐憫が持てれば、まだそれほどのうつ状態には置かれていないということです。でも、それはひどいことだと思うのであれば、やらないほうがいいです。罪悪感は、さらにうつ状態を進めます。もちろん、まったくの赤の他人に対する哀れみと親しい人に対する哀れみは、心の作用が違いますので、ニュース等であれば害はないことでしょう。

 

さて、五月病を取り扱ったサイトはいくつもありますが、医院のものは通院やチェックを薦めています。それほどではない人はチェックしてからね。http://www.tepore.com/column/special/20050502/01.htm 

http://www.shokuiku.co.jp/tokusyuu/satsukibyo/ 

http://www2.health.ne.jp/library/5000/w5000349.html

 

そして、これらを読んだ私が今不安なのは、やはり夏が来ることか・・・。五月よりもずっと怖い(笑)。ネコたちが来るので、私はもう虚無感には囚われずに済むようになると思うのです。ネコのリッターの掃除だけでもけっこう手間がかかるし、いっしょに眠って体温を感じるだけでも相当に癒される。見上げてくれた顔だけでも、ごはんを食べるよりも元気をもらえる。

 

いやー、ネコの輸入は本当に面倒だ。たぶん、我が家の数のせいなのでしょうが・・・。昨日、西さんが手作り家具を作ってくれました。爪研ぎ用のネコ缶詰と砂置き棚。いやぁ、いいパパだ♪

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