親のありがたみ

05/10/2008 にアップした文章です。

 

ネコの子や犬の子じゃあるまいし・・・と、私は小さい頃よく言われて育ったものですが、それくらいみすぼらしく、どこの馬の骨ともわからないくらいに、野放図に育っていたのでしょう。でも、そんな子どもだった私でも、こうして社会人の一員として、罪も犯さず、他人様に恨みで刺されることもなく、まぁ、波風は多少あったにしろ、暮していけるのですから、たいへんにありがたいことです。父はとっくに死んでしまいましたが、母は毎日、まだ奴隷のように私のために働いてくれています。今も、何か繕い物をしているのですが、よく働くなぁと感心しています。私としては、この母を見本にすべきなのでしょうが、役割分担を家内でしてきたために、見事にこの独楽鼠のように働く傾向は欠落しましたね・・・(汗)。

 

一昨日は、AO入試のために英語を習っている女子高生のご家族とごはんをいっしょに食べました。その風景を見ていて、「親というのは本当にありがたいものだなぁ・・・」と、しみじみ考えた次第です。泣きそうになるくらい、いい親子だなぁと思ったのでした。さらに、昨日は、看護師さんとごはんを食べたのです。彼女と話をするあいだ、やはり彼女もよい育てられ方をしたのだなぁと、しみじみ感じたのです。

 

いやー、世の中捨てたもんじゃないですよねぇ・・・。

 

そのおかげで、2夜連続飲むことになってしまい、ここ1年半の私の生活としては、たいへんめずらしいほどの不良度数だった(笑)。でも、いい気分で飲めたのでよしとします♪

 

高校生の女の子のご両親の「親が子を想う気持ち」の深さは、言葉の端々だけではなく、その視線や気遣いやお皿を寄せる態度など、すべてに顕れており、「ああ、子どもを持ったらこんなヨロコビがあるんだなぁ」と考えさせられたわけです。それでも、私は自分の選択に後悔はしていないのですが・・・(依怙地・爆)。話が盛り上がった箇所は、彼女の将来について、今の能力をどのように育てるかについて、過去どのような苦労をしてきたかについて、などなど、「親が子を想う気持ち」満載で、時々、彼女サイドに徹底して就こうと思っていた意志が挫けるほどでしたが、最後まで、「自発的な気持ちを大切にしていきましょう」の姿勢を崩さないでいられました。お酒も飲んでいたのに、我ながら偉い自分(笑)。

 

ご両親は、「どのような女性になれば、彼女が生涯幸せを感じて生きていられるか?」と一生懸命考えた結果、好きな英語を伸ばして、身を立てることができれば、と考えておられて、私もそれには賛同しますが、まだまだそれは入り口なのだということを、しかとわかっていただけてよかったです。しかも、ガチガチの教育重視なわけではなく、私立の高校に通っているわりには、「アルバイトをしなくてはね」という態度なのです。なぜならば、私立の苦労知らずの男性と知り合い、恋愛をするよりは、たとえ貧しくとも労働の美徳を知っている男の子と恋愛したほうがためになる、と考えておられる。さらに、この時期に「お金を稼ぐ大切さ」を学んでもらいたいと願っており、経済的援助ができるのに「我慢して学んでもらおう」という海よりも深く、空よりも高い親心なわけです。

 

ある意味、これはすごい心の寛さだと思えたし、大人の世界に子どもを出すというのは、『獅子が子どもを谷底に突き落とす』の初期段階を歩み始めたのであろうと感じたわけです。この勇気を持つことは、豊かな時代、かなり難しいのではないだろうか?と。

 

私などは、ネコや犬の子と変わりなく育っているので、16歳になって法律さえ縛らないのであれば、「ちゃんと働いて、自分の食い扶持くらいは稼いでね」と当然のように育ったのですが、そのせいで、母は私を追いかける羽目にもなったし・・・(夜10時まで働いて、食事をして帰るはずなのに、11時までに帰らないといろいろ探しまわっていたのよね・・・)。

 

看護師さんとも話していたのですが、「結局、親の仕事が正しかったかどうかは、結果論」という悲しい性質を、親になったらどうやって受け止めていくのか?というのに、母はいみじくも言いました(ええ、外でごはんを食べて、それが調布近辺であれば、私は彼女を誘うんですよ。ひとりで外食すると拗ねるもんですから・笑):ダメな親だったかもしれないけど、子どもによかれと想っていつもいつも動いていた、と。

 

親心だよねぇ・・・。私の母は、結果的には、よかれと想ったことが行き届かず、放置してくれたことが多かったせいで、私は自立心旺盛な子に育ったのですが、かまわれた弟のほうは気の毒だったなぁと思います。その当時は歓んでいたのですが、10代も半ばを過ぎて疎ましく感じるようになり、好きなときには親を求めて安住の地としての逃げ場を作り、肝心なところで孝養を尽くせないような気がしています。私は、普段、粗雑に接しているように見られていますが、母としては楽しそうですし、大したイベントもない生活の中、よく笑うし、よく泣くし(ほとんどTVや思い出話なんですけどもね・・・)、悪くない暮らしをしているのではないかと、手前味噌ながら感じています。

 

でも、これは連鎖が起こしたものなので、半分以上は、亡くなった父や、今でも私の身の回りを面倒見てくれている母に、ちゃんと起因しているのでしょう。本当にどう転ぶかは結果論で、親というのは悲しい生き物なのですが、社会動物性があればあるほど、こうして感情を交えてしまい、いろいろな選択肢を見誤る傾向も増えていくのかもしれません。が、それをヨロコビの源と捉えることができるかどうか?というのも、よい結果を招く態度なのかもしれず・・・。

 

が、私もそれほどいい娘ではなく、まだまだ尽くすべき孝養は山積なのですが、この結果は彼女が死ぬまで、あるいは私が死ぬまで出ないのだろうな・・・というのが、昨日、看護師さんと話した結論です。気の長い話だよねぇ・・・。

 

彼女はこれから結婚して、どうしても子どもは欲しいというスタンスなのですが、大阪の子が家出をして、岡山駅で見知らぬ他人を衝動的に突き落としてしまった事件の、親子関係についていろいろ語ってくれました。あのお父さんは、今でも花を捧げて、ホームで土下座をし、お金と時間が許す限りの範囲で、謝意を示して、息子のところに足繁く通っているそうなのです。私は知らなかったんですが・・・。貧乏でも、賢く育ち、大学進学の夢が閉ざされてしまったあと、職安で仕事のアテもいくつか見つかった矢先の事件だったそうなのですが、あの親をどうしても責める気にはなれないと・・・。マイホームを建てて引っ越すばかりだった被害者の、高齢の親御さんは、その前途ある18歳に「早く更正して償いの道を歩いてほしい」と被害翌日に語ったそうですから、遺族感情もやはり一辺倒の恨みだけではないのだな、とうれしかったことは記憶していたのですが、あれもひとつの親子の結果論なのでしょう。

 

親のせいにするのは簡単ですが、実際は子どもの意志力もあり、親の世代ですら、明文化はされていないにしろ社会が課した重責に耐えているのかもしれないと思うと、事件が起きるたびに「親の顔が見たい」と思わなくてもいいのではないか?とすら思えたりします。いくつになっても子どもは子どもですし、親は親ですしね。むしろ、「こうあらねばならぬ」を取り除くキャンペーンをやれば、もっといい結果が得られたりするんだろうと、暢気な私などは思うわけです。

 

本当に親はありがたいです。今日も、私はお弁当を作ってもらっています。明日もですね。ボーイフレンドの87歳になるお母様が北海道から出てきているので、母はこの週末も私の面倒を見ることになっているのです。そのせいで、なんだか細やかなケアをしてもらっている感じ・・・。どこでも親の愛は繁盛しており、子どもはなかなか応えていないのかしら・・・?とネコたちの顔をじっと見たら、やっぱり応えてくれる子ども(ネコだけどさ・・・)もいるなぁと思ったりもする。不思議ですねぇ、親のありがたみって・・・。

 

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