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詰め込みの危うさ

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08/13/2007 にアップした文章です。

 

 

初期段階での詰め込みが、いかに危ういものであるか?早期教育などというバカげたことはやめたほうがいい、という提言を、私はもう10年ほど前からしていますが(初期HPのエッセイの頃から)、よかったよ、こういう実験をしてくれる学者たちがいて・・・。日本のママたちはどのような態度を見せるのか、ちょっと楽しみですが、おそらく、このニュースも「赤ちゃんのときだけよね。幼稚園くらいになったら別よね・・・」と、体のいい解釈をしそうな気もしています・・・。

元ニュースはこちら>http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=int_30&k=2007081100259
この実験は、言語習得に関してのものですが、これは追跡調査についての可能性をたくさん秘めている、すばらしいデータ収集です。ジャガー横田と木下さん夫妻の赤ちゃんも、ビデオでなければいいと願っているのですが(以前、何かの番組で、フラッシュカードを使って生まれて数ヶ月なのに、言語学習をさせていた・・・;ひらがなだけでなく、ABCまでやっており、ちとびっくりした・・・。音を聞かせて通り道的記憶を作ることと、発達発展目的での学習データ積載は、相当に違いあり・・・)、脳のデータ処理能力の熟成と、新しい情報のインストールメント、他の身体的発育との兼ね合い、などなど、真剣に考えれば、フツーにわかるはずなんだが・・・。

卵子が受精し、細胞分裂が始まるとき、2から4に4から8に、と倍数になっていくのですが、胎内にいる9ヶ月をかけて、ヒトになっていきます。ところが、それでも充分ではなく、鹿や牛や馬と違って、生まれてきたばかりのヒトの子どもは、立つこともできません。自分で乳房を求めることもままならず、乳首を口にくわえるところから、学習が始まります。立ち、移動するということが、いかに脳の発達に役立つことかは、これまで何度か書いてきましたが、Mobility(可動性)のスイッチが入ることにより、筋肉と脳のたくさんの関連部位の発達が、ここで初めて他の哺乳類に並ぶわけです。ヒトの脳は、他の哺乳類のものより複雑なので、Mobilityのスイッチが入るのが、遅い。寿命にも関連性はありますが、脳の発達に必要とされる時間が長いことは、他の哺乳類に比べて長いのです。その可動性のスイッチが入ることが、まず、認知能力の情報収集へと繋がり、ここで学習が始まります。それまでが、「生き延びていくための経験からの学習」だったごく原始的な学習だったのに比べ、世界の中の自分のポジションにより、外界の学習を開始することになります。それを自己に取り入れ、フィードバックし、またも繰り返し練習することにより、情報処理の初期活動を始めていくわけです。その可動性のスイッチが入るのが、個人によって違ってよく、学習のスピードも個人によって違ってよく、順番の間違いが、いかに有害なのか?という問題になります。

過度の情報を与えることで、シンプルなところからスタートしている脳は、多忙シグナルを受信して混乱します。ところが、刺激を与えられると、それに反応せねばならなくなることから、Attention(注意力)の分散が起きます。ビデオを流すということは、この時期、Mobilityのスイッチをつけておいても、「一旦停止」させたり、「二又や三又に脳機能を使う」こととなり、無駄を生じさせ、回路に混乱を与えます。それは、大人でも同じことで、この初期に、ひとつのタスクを正常にスムーズに行えることができるようになってから、次のタスクを与えることは、必須です。マスターした段階で、次のタスクを与えることは、どんな分野の学習でも同じことです。混乱しているので、同時期、ひとつのタスクであるMobilityに専念できている子どもに比べて、発達の遅れが生じます。さらに悪いケースになると、初期学習のMobility時期に、余計なタスクで分散癖をつけることにより、「集中力」と呼ばれる回路に歪みを生じさせることになります。

Mobilityひとつでも、その派生学習の範囲は大きいものです。Dr. Camposが行っている実験でも、Visual Cliffと呼ばれる崖に見立てた二段ベッドを改造した実験では、這い這いで、段差がわかる状況を作り、筋肉や視覚のほか、母親(あるいはPrimary Caretaker)との心の繋がりを測っています。その後、実験では、Moving Roomというトンネル状の中央に椅子を置き、赤ちゃんを座らせて、壁を前後に移動することで、視覚やバランス感覚(耳も関係あり)を測る方法で、すでに這い這いができる赤ちゃんは、自分がバランスを取ろうとし動くのですが、這い這いができない子は微動だにしないので、まだ、視覚や耳などの感覚器官のワイヤーリング(脳と外界の繋がりと発達と学習)が終えていない段階にあることを示します。

ネコを見ても、犬を見ても、鳥を見ても明らかだと思うのですが、何かをジャンプして学習することはできかねる。筋力が発達していないのに、トイレットトレーニングを完成することはできないので、情緒的な問題なのか、筋力発達と脳のワイヤーリングの問題なのか、しっかり把握してから、次の段階に進むのが順当なのですが、最近の早期学習には、エゲツないものが多すぎるように思えます。

しかも!英語学習などでは、セット料金で20万30万などという、親の願いや夢に掛けた心を、お金に換算するものも多く、その馬鹿ばかしすぎるほどの料金と、おかしな企業に祭り上げられて利用されている科学者や教養人の言葉(広告塔というんですよね・・・)には、素人には甘やかに感じられてしまうものも多いです。何度も繰り返すようですが、母国語を超える第二・第三言語能力というのは実在した例がなく、母国語習得後であっても、第二・第三言語は、Natives並みの発音になることは可能です。ただし、母国語には充ちることはあらず、その8・9割ほどのキャパになります。なので、母国語のキャパを増やすこと・伸ばすことは必須です。だとしたならば、幼児期にできることは、耳から伝え脳に記憶として残し、通り道を作ることだけで、英語の発音だけNativesによるものを聴いた経験があればよろし・・・。2歳以下までの間に、音だけ聴いた経験があればよく、それが定期的であれば理想的で、音楽でもナレーションでもいいので、テープかラジオで事足ります。大げさな教材セットを買う必要はありません。しかも、幼少期に発音などできなくてもかまわず、時期が来て、自分の動機が満ち満ちてきたときでもまったく遅くはありません。そのために、脳に情報をストックしたわけです。

母国語にしても、順番はとても大切で、言葉がわかるよりも先に、サバイバルスキルをあげることのほうがずっと優先順位が高いわけです。ヒトも動物の一種であることは確かで、サバイバルスキルのイロハは、他の動物と変わりません。危険から身を守るための感覚器官を磨くことや、衣食を確保することやその感覚を身につけること、愛嬌で守られるために鳴き声や笑い声をまず発すること、自分で可動することにより認知器官をより発達させていくこと、などなど、言語前にやることはたくさんあるわけです。たとえ、言語習得を開始したあとでも、そのサバイバルスキルというのは果てしなく、問題が起きたときの解決への方法スキルを身につけることや、ある物事の法則性を見出すことや、複雑な世界の中で音や匂いや味を分別すること、数字や方向感覚、情緒をあらゆる分野で磨き一定に保つこと、などなど、本当にキリがないわけです。情報処理能力が備わっていない大人は、悪いが山ほどいますぜ・・・(汗)。

赤ちゃんはとてもかわいく、未来には可能性がいっぱい詰まっているにしろ、詰め込みはいけませんや・・・。大人になった私たちですら、「うんざり・・・。生活ってたいへんね」「世間の風は冷たいわ・・・」と思うことが多いのですから、赤ちゃんでいられるあいだは、シンプルな学習で済むうちはそうさせてあげてほしいです。しかも、詰め込みすぎて集中力が少なくなるという危うさに曝すことで、彼や彼女のサバイバルスキルの根源を奪うことになる恐れは大きいのです。動けるかどうか?声が出せるかどうか?で、彼らは自分の成長度を教えてくれており、それ以上のことを押し付けるのはやめていただきたい。察知できない親でしかなく、自分の理想をそのまま子どもに託すことは、不条理です。

子どもたちが笑いで世界を満ち溢れさせてくれる地球を願う私は、やはり過干渉や詰め込みすぎなどの、かまいすぎ傾向のほうが、心配です。やり直しが効かないほどにいじってしまうのは、ゼロに戻すのがたいへんなのだから・・・。