話していておもしろい人

06/23/2008 にアップした文章です。

 

新しい人にコンスタントに出会い、さらに人と話すことが仕事の主体なので、私は最近贅沢病にかかりつつあります。私にとっての日常が慢性化してくると、どうもつまらなくなり、時間が遅く感じる。これを打開するためにも、私は角度を変えて、目の前にいる人にとっての身近なことや興味のあることに対してのアンテナを張っているつもりでいるのですが、レスポンスが低いと悲しい・・・。それは誰とでのコミュニケーションとも同じではあるんですが・・・。どうもそこには、「先生」と呼ばねばならない、というような、汲み汲みと流れてきた社会の常識にもありそげで・・・。そこを取っ払うのがたいへんではあるのだが、日夜抵抗を続けているのであった。

 

おもしろみを感じる対象が人によって違うことは大いに認めるところなのですが、ヒトというのは悲しいかな、赤ちゃんの頃からセットされており、新しいものに常により興味があるものなのです。それは、生まれてからしばらくは身についていない認知から来るもので、それをObject Permanenceと呼びます。赤ちゃんというのは、そこに存在しているものだけがこの世に存在するものだと認知しており、だからこそ「いないいないばぁ」であんなに歓ぶわけです。その延長で、この世にはいろいろなものがいろいろな場所で自分を中心とせずに存在して、違いを多様に織り成しながら世界を成しているということは、なかなか日常的には意識していないわけです。精神的成熟度が高ければ高いほど、これについては発達しているというのが論理なのですが、もちろん、充分成熟していたとしても、ヒトはEgo-centric(自己が世界の中心にあるという認知)なので、まぁ、だからこそInterpersonal Relationshipでこそ問題は多々起こるわけです。

 

私が英語講師として人気が保てているのは、一重にまだ1年経っておらず新しいからなのでしょう。知り合ってしまえば、私もヒトの目には凡化し、慣れられてしまい、おもしろみが減っていくに違いなく・・・。アノ手コノ手の新しいものを披露していくことができているうちが華なわけです。アポがぎっしり詰まっており、生徒さんの中には、「空いてなかった・・・」と悲しんでくれる方がいて、さらに他の先生に乗り換えることもなく、待ってくださる方もいるのです。そうなると、やはりやはりお代に見合っただけの授業をしっかりせねばならず、英語などというものは、マスターしているヒトにとっては、大した差があるわけでもないので、できない人たちに向けての習得プロセスがさまざまなだけで・・・。というわけで、私はコミュニケーションスキルと話力で引っ張っていくしかないわけです。ところが、これがかなり難しい(汗)。

 

うーん、自分で自分の首を絞めているような発言ではあるんですが、決してネガティブなわけではなく、事実を淡々と述べて認めているだけで、それをどうにかして打破しないといけないと気づきプロセスを満喫しているんですぜ(笑)。

 

だから、大きな企業でも長いあいだ同じメンバーだけで仕事をするのは、どんなに優秀なメンバーが集まっていても、プロジェクトでいい結果が常に出せるわけではないので、人事入れ替えというのがあるわけです。転勤というのも同じ効果を期待しての含みでもあります。もちろん、優秀な人材で「ぜひ」という気持ちがイチバンだと、請ける側としてはうれしいのでしょうが、実際は「今のメンバーとうまく行っていないようだから・・・」というのも、ひょっとするとあるかもしれず・・・←怖がらせてしまっているのか?(汗)

 

私は家にいるときにはほぼ必要以上のことを話しません。ネコたちには話しかけていますが、私などが口を開かずとも、母はひとりで年がら年中話していますから、私が話し始めてしまうと、話がごちゃごちゃになり、母も把握できませんし(笑)。西さんがたまに帰国しても同じことで、必要事項を聞くのを忘れることはないにしろ、それほど細やかに話すということはないのです。無理をして、いっしょに過ごさなかった時間を取り戻そうとする必要もなくなったので(気づくと、もう18年半くらいはいっしょにいるようで・・・)、自然な流れに沿った量のみを話しています。

 

そうですねぇ・・・、量で考えるとそれほど多くないのだろう・・・。私は読書しちゃってますし、ネットで何かを読んでいることも多いですし。

 

が、西さんと話すのは相変わらずおもしろいです。素っ頓狂なことを言ってくれる割合というのも多いし(私の考える道筋と違う対象物などがあるという意味で)、言葉の端折りも多いので私の脳が活性化される機会も多いし(いや、これは母も同じなんですけども、疲れていると、さらに本当に疲れるのですが・・・)、私とは違う生活をしてきているのがおもしろいのです。

 

ええ、私は自分と同じものを持っているヒトよりは、違うものを持っているヒトのほうがいっしょに話をしていて楽しいのです。考えてみれば、同じような考え方のヒトと話していると、ひとりがすばらしいと言い、「そうだよねぇ」「うん」などで終わってしまうのではないか?と(笑)。文句は逆になぜか延々と繋がっていく傾向にあるのはなぜなんでしょね、あれ。「そうそう!」と言いつつ、湧くように出てきているのを見かけます。

 

私は「違い」に注目するという、原始的なところから一歩進めていくのが、話が楽しくなる、おもしろくなるコツなんじゃないかと思っているのです。話だけじゃないなぁ・・・。色気なども差から生まれるし、賢さも差から生まれるんだしね・・・。ある人にとっての新しいことや、知らないことを、いかにおもしろく話せるか?というのは、特にコメディアン資質がなくても誰にでもできると思うのです。同じような人生を歩んでいるようで、実はヒトというのは、それぞれが特別でユニークなわけですから。

 

そういう意味では、私は誰の反応を見てもおもしろいし、自分が提供している話へのリアクションは、なだらかで凪いでいるものでさえなければ(こちらがピックアップできないほど、無表情で無感動だとキャッチボールが成り立たないという意味で)、かなり柔軟に対応しています。「英語ができるようになったらいいこと」というのも、当たり前の基礎的なことから、その目の前にいる人の多様化されたニーズを察知して、それに関連する、新しくて知らない話をするように心がけています。

 

最近、お友だちとして確保!と思った生徒さんがいて、彼女にも話のついでに、文化人類学の話をしたのですが、彼女はイロハから学びたかったようで(自分に追求できるのかどうか知りたかったらしい)、さっそくたったの3日後以内に本を買ったらしいのです。こうした反応の速さはいいなぁと思い、メールでさらに関連著作を薦めておいて、ネットで押さえられるくらいの基礎のURLを貼り付けておきました。そのときの私の話がおもしろかった理由は、彼女にとても近く感じられた、今まで知らなかったことだからなのでしょう。どうしてMargaret Mead(文化人類学者)が自分になど近いのか?と、その関連性にびっくりしたに違いなく・・・。その日の話のなかで、私が強烈に憶えているのは、彼女が言った、「私も自分の周りを眺めて、イチバンくらいにポジティブな人間だと思ってきたけど、10倍も何十倍もすごいかもしれない」と褒めてもらえたことでした。そうか、私はそんなにポジティブなのか、とうれしかったのです♪

 

明日や明後日、このヒトにはどうやって理解してもらえるように話をしようか?と意識して考えるだけで、日ごろ、あまりつまらないことをたくさん量だけ話すのは、やめる傾向にあります。その成果がしっかり見られるよう、がんばっていかねば・・・。

 

とはいえ、今日は冷蔵庫だけではなく、Fujitsuの新しい消臭空気清浄機を買ったので、家全体の雰囲気はとてもいいです(笑)。冷蔵庫はコレにしました。明日の昼の配達なので、母は掃除に余念がありません。しかも、掃除機を掛けたり、タバコを吸うと、空気清浄機が自動で匂いを吸ってくれます。充実だ・・・。

 

おもしろい話をしてくれるヒトにあまり会いすぎると疲れると言えば疲れるのでしょう。たまに会うからいいんだよねぇ。そういうヒトでありたいと私は思います。

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